32.聖書③
疲れた身体をしっかり休ませたおかげで体力もメンタルもかなり回復した。
今日も豪華な馬車で迎えに来てくれたレグと一緒に乗り込み、お城へと向かう。
シャルルさんとセトさんも…。と言ったけどレグは絶対に首を縦に振らなかった。
その変わり、馬車の上に乗ることは許された。
久しぶりにお城に来ると相変わらず視線を集めるけど、レグと番を結んだおかげでチラリと見るだけで凝視してくる人はいない。
これは助かる。ジロジロ見られるの苦手だし、何かと話しかけて来る人がいて大変だったんですよ。
「聖書の原本はこっちだ」
レグの案内で城内にある教会へと向かい、像の隣にある小さな部屋へと入る。
紙とインクの匂いに包まれた部屋には机が数個とあとはたくさんの本棚で埋まっていた。
その中から厳重に鍵がかけられた本棚まで案内され、手際よく開錠。
「……文字が違う…」
「ここは協会に置いてある聖書とは違う原本だ」
「レグはわかるんですか?」
「読めはしないが違うことは解る」
「これは……」
手渡された聖書に目を落とすと中国語とインド語?とあと欧州のどこかの文字で書かれた聖書だった。
「原本はこれで全部ですか?」
「ああ。他の文字で書かれたものが読みたいのか?」
「はい…。でもどこに行けば…」
「僕が調べて来るよ。こういうのって大体お城や大きな協会で保管されてるからすぐ見つかると思う」
「い、いいんですか?」
「トワコの記憶が取り戻せるなら何でも協力するよ」
「ありがとうございます、シャルルさん!」
日本生まれの日本育ち。
英語は学校のテストでなら解るけど改めて文章を出されると解らない。他言語なんてもっと解らない。
辞書なんてないので読むのは諦めて日本語で書かれた聖書はないか探したけどなかった。でもまだ望みはある!
探してくれるというシャルルさんに「お願いします!」と言うと、彼は嬉しそうに笑って頬にキスをする。
後ろから殺気を感じたけど、今日は許す!
「おや、声がすると思ったらトワコ様でしたか」
和やかな空気のなか、聞きたくなかった声が響く。
扉のほうを振り向くとこの国唯一の始祖返りである男性、ルルヴァさん…。
すぐにセトさん、レグが私を隠してくれたけど不安が消えない。
何でこんなタイミングよくここに? まだ私を諦めてないの? いくら強いからってさすがに三人を相手には勝てないよね?
「何の用だ」
「いえね、あれから不思議に思ってたんですよ。見慣れない顔付き、そして不思議な発音をするトワコ様に」
「始祖返り様、何が言いたいのでしょうか」
「貴方達も感じませんか? 彼女が発する言葉…いえ、声に居心地の良さを」
前から言われていた。心地いい声だと。
私には解らないし、口説く為のお世辞だと思っていた。
でもルルヴァさんは何かを確信したハッキリした声で三人に問う。
「監視していてよかった」
「え…?」
「テメェの影だったのか…!」
「ええ、ネコ族の優秀な影を使いました」
「始祖返りであろうと殺すぞ」
「トワコ嬢に手を出せばタカ族も黙っていません」
「お前達にそのメスは勿体ない」
ギラギラと下心と野望が溢れる目…。
冷や汗が止まらず、思わずシャルルさんの服を強く握り締める。
「誰も読めないはずの聖書の原本を読んだそうですね」
「…」
「何故読めるのですか?」
「それは…」
「テメェいい加減にしろ。いくら始祖返りであろうとたかがサル族。すぐに殺してやる!」
「おかしなことを聞いてますか? それとも質問を変えたほうがいいでしょうか。そうですね、何故聖書の原本を探しているのですか? 翻訳されたものがあるのに」
「興味が出ただけです…。すみません、ここまで騒動になるとは……」
「いえ。興味を抱くのは問題ありません。それよりこうやって隠れているのはいささか…怪しいですね」
「下がれ。それ以上追及すると殺すぞ」
「レグルス様もご存じですよね?」
部屋に緊張感が走る。
それ以上喋らないでほしい。言わないでほしい…!
「翻訳された方々はトワコ様同様、心地の良い声を持っていたと聞きます」
「下がれと言っているだろう…!」
「全員ありえない場所で発見され、種族を明かすこともできない。記憶喪失だと言った方もいたそうです。文字すら読めないのに原本は読める。おや、これもトワコ様と同じですね」
「ち、違います!」
「トワコ、許可をくれ。こいつを黙らせる」
レグの言葉にシャルルさんとセトさんも殺意を飛ばして臨戦態勢をとる。
「ではトワコ様、貴方の種族は? 獣化できるなら信じましょう。ああ、始祖返りという反論は私にききません。同じ始祖返りであれば解ります」
「っ…」
「ここまで言えば皆さんもお分かりですよね。―――彼女は現代に蘇った始祖です」
ルルヴァさんの言葉に三人が一斉に襲い掛かる。
しかしそれを解っていたのかルルヴァさんは右手をあげて部屋の外で待機していた兵士たちを呼ぶ。
飛び交う血と斬撃音。
初めて見る戦いに足が震え、身体の底から震えが生まれる。
人間だってバレてしまった。逃げないといけないのに…。早くこの国から逃げないといけないのに身体が動いてくれない…!
三人が強いことは解っているけど、多勢には不利だ。
部屋に取り残された私はただ彼らが死なないように祈ることしかできなかった。
「トワコ様」
「っ!」
兵士のおかげで無傷のまま部屋に入ってくるルルヴァさん。
変わらない穏やかな笑みで一歩一歩近づいて来るルルヴァさんに気づいたシャルルさんが黒豹の姿で襲い掛かろうとするのを虎によって阻まれる。
どちらか解らない血が部屋に飛び散り、生臭い臭いが充満する。
「悪いようには致しません。ただその血と身体をお守りしたいだけです。純粋な始祖の血を」
「な…にを…」
「抵抗は止めて下さい。争いはお嫌いでしょう? そうすればあの三人も生かしておきますし、誰よりも豪華で贅沢な暮らしをお約束致します」
「………っいやだと言ったら…?」
「大変心苦しいですが、子供を産むだけの袋になってもらいます」
「メスの同意なしでは番にはなれませんし、ましてや子供はできないと聞きました…」
「おやそこまで聞いていましたか。そうですね、マリッジリングの力のせいでメスの許可がなければ番にはなれませんし、番ではない相手といくら交尾しても子供はできません。できませんが……」
胃袋が熱い。気持ち悪い。
寒くないのに奥歯がカチカチと音を立てる。
「そうなるよう仕向ければいいだけの話です。例えば四六時中交尾をしたらどうでしょう? ああそれより簡単なのは人以下の生活を送らせるのがいいですね。妊娠した時だけ尊厳を取り戻せると解れば、喜んで番になるでしょうね。薬を使えば何でも言うことを聞く生きた人形にもなれますよ。マリッジリングがあろうがどうとでもできます」
倫理観も何もない気持ち悪い言葉に頭をガツンと殴られた気がして足元がフラつく。
ルルヴァさんに捕まれば子供を産むためだけの道具になってしまう。
最悪な人に最低な場所で最低な行為をされ続け、その絶望から逃れたいのであれば妊娠するしかない…。
自分から最低なことをした男を受け入れなければならないというのも私のプライドや尊厳を失わせる行為だ。
そんなの生き地獄だ。絶対に嫌だ!!
「近づかないで!」
机の上に置かれていたペーパーナイフを手にし、自分の首に突き立てる。
先程まで笑顔を浮かべていたルルヴァさんは真面目な顔になって睨みつけてきた。
「兵士たちを止めて! じゃないと私、自殺しますよ!」
「……兵よ止まれ」
仕方なく右手を挙げて命令すると、ようやく兵士たちは攻撃を止めてルルヴァさんの周囲を囲む。
「三人は?」
「トワコ!」
「シャルルさん!」
その脇を血だらけのシャルルさんが通り過ぎ、私を抱き締める。
セトさんとレグもシャルルさんほどではないが血で汚れていた。
「始祖様、ここから逃げられるとでも?」
「あなたに捕まるぐらいなら死ぬ物狂いで逃げます」
「無駄なことを…」
「私が始祖じゃなくてもそんな提案絶対にお断りです! 好きでもない男に抱かれてたまるか!」
マリッジリングに埋め込まれた金の宝石が光る。
さっきまで怖くて苦しくて気持ち悪かったのに、今は力が溢れてなんでもできそうだった。
部屋に置かれた椅子を持ち上げ唯一の窓に投げつけると、盛大な音を立ててガラスが飛び散る。
生臭い臭いが若干薄まり、ようやく呼吸ができた。
「あなたたちに捕まるぐらいなら死んでやる!」
「な、何を…!」
割れた窓に足をかけ、最後にルルヴァさ…ルルヴァを睨みつけて飛び降りた。
下は見ない。見たら怖くて気絶しちゃう。
「―――ありがとうございます、セトさん」
セトさんと番になったから加護で私も空を飛べるはず。
もし加護が発動しなくても絶対にセトさんが助けてくれると信じていた。
鷹になったセトさんにお礼を言って飛び降りた窓を見ると、黒豹とライオンも窓から脱出してこちらへ向かって来てる。
窓からは悔しそうな顔をしたルルヴァが一瞬見えた気がした。
「セトさん、屋敷に戻りましょう。セティさんに説明してすぐにでもこの国を離れます」
喋れない代わりにゆっくりと目を閉じて速度をあげる。
チクチクとした痛みが露出した肌を突き刺す。
ああは言ったけど絶対に追いかけて来るに違いない。始祖…人間だとバレた以上ここにはいられない。
始祖だからって何で私に執着するのか最初は解らなかったけど、聖書を思い出して眉をしかめる。
獣人は「元人間」だ。人であったことを忘れないために始祖と呼び、協会に祀っている…。私に執着するのも解る。
この世にただ一人の始祖であり、子供が産めるメスだとなれば権力者は欲しくなるだろう。だって政治的にも利用できるんだから…。
「とにかく逃げないと…」
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