【短編】冷酷な夫と身体が入れ替わったら、思ったよりも溺愛されていました
私、ミアがクルキネン伯爵家に嫁いでから、半年が経った。
朝早く起きて、自分で服を着替えて髪を整えて支度をする。
普通の伯爵家の女主人だったらメイドを呼ぶのだが、私が呼んでも誰も来ない。
自分で支度をして、部屋を出て食堂へと向かう。
食堂の前にメイドが立っていたので話しかける。
「おはようございます。私の朝食をお願いします」
「もう用意できているので中へどうぞ」
挨拶も返されず、目も合わされずに中へと案内された。
メイドが言った通り、すでにテーブルには朝食が並んでいた。
私は座って食べるのだが、もうご飯はかなり冷めていた。
普通は出来立てを用意するはずだが……もう慣れてしまったわね。
朝食を食べ終わり、いつも通りに執務室へと向かう。
クルキネン伯爵家の女主人として、私は毎日書類仕事をやっている。
「ミア様、早くその仕事を終わらせてください。まだまだ仕事は溜まっているんですから」
執事長に急かされながら、書類を確認して仕事をしていく。
仕事が溜まっているって……これは私の仕事じゃなくて、執事長の仕事でしょ?
私がわからないと思って渡しているのかしら?
まあ仕事が終わったら暇になっちゃうから、暇つぶし程度にやっているけど。
それに……私は他国に嫁いできたから、頼れる人が近くにいないから。
「これでいいかしら?」
「……はい、確認しました。次はこちらです」
執事長がニヤッと笑ったのを見過ごして、私は新たな仕事をやっていく。
私はもともとスマリン王国の侯爵令嬢だった。
家族仲も良好で特に不自由なく暮らしていたのだが……スマリン王国が隣国のフォート王国と侵略戦争に負けて、仲を取り持つために政略結婚を持ちかけた。
敵国であったフォート王国に嫁ぐなんて、ほぼ生贄のようなもの。
貴族の中でも位が高い侯爵令嬢で、特に婚約者もいなかった私に白羽の矢が立ったのだ。
私の家族は猛反対してくれたが、王族からの命令を断れるほどの権力はなかった。
そして半年前に、私はフォート王国のクルキネン伯爵家の当主、ヴィル・クルキネン様のもとに嫁いだのだ。
ヴィル様はフォート王国の騎士団団長で、前の領地戦争ではとても活躍をしたらしい。
騎士爵位で下位貴族だったようだが、今回の活躍で伯爵位に上がった。
そして一番の活躍だったので、報酬のような形で侯爵令嬢の私が嫁いだというわけだ。
そんなヴィル様だが……まだしっかりと喋ったことがない。
この半年間、彼と食事をしたのはわずか二回。
その時の会話も……。
『ヴィル様は、本日は何をしていらしたんですか?』
『仕事だ』
『どのようなお仕事ですか?』
『騎士団の仕事だ。詳しくは言えない』
『……そうですか』
このような、とても会話とは言えないものだった。
それ以外に顔を合わせたのは十回にも満たないだろう。
ヴィル様は騎士団団長で忙しく、あまり家に帰ってこない。
帰って来たとしても伯爵家には屋敷が二つあり、彼は私がいる屋敷とは違うところに寝泊まりしている。
ここ半年でヴィル様のことは社交会などで得た情報でしか、人物像がわからないけど。
――冷酷無慈悲な「戦場の悪魔」と呼ばれているらしい。
前の領地戦争で大活躍したからこそ、そんな異名がつけられたようだ。
だけど悪魔と呼ばれるのには、その容姿もあるだろう。
ヴィル様は黒髪でパッチリとした目をしているが、目尻が上がっていて鷹のような鋭い目をしている。
身長も高く、上から見下ろされると威圧感が凄まじい。
だから怖い印象を覚えるのだが……それを踏まえても容姿は良いので、社交会などではヴィル様の人気は凄まじい。
騎士団団長で伯爵位なのだから、いろんな令嬢から狙われていたらしい。
それもあって社交会で私は針のむしろなのだが……まあ今はそれは置いておこう。
「ふぅ……」
私は今日の仕事を終えて、一息ついた。
そういえば夕食もまだだったわね。普通ならメイドが夕食の時間を知らせてくれるか、気を利かせて執務室に持ってきてくれると思うんだけど。
いつものことだけど、私は使用人に本当に舐められているわね。
伯爵家の当主、ヴィル様に大事にされていないということが周知の事実なので、伯爵家の使用人に舐められるのも仕方ない。
だけどここまで下に見られて、態度に出されるとは思っていなかった。
これも私が隣国の者で、助けを求められるような人がいないのが原因ね。
ヴィル様には大事にされていない、もしくは嫌われているから、彼には助けを求められない。
そんなことを考えながら屋敷の廊下を歩いていると、前からメイド長がやってきた。
「あら、奥様。ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
彼女は私のことを一番舐めていて、廊下ですれ違うと対等かのように挨拶をしてくる。
そして私の姿を見て、ふっと貶すような笑みをしてから去っていく。
私はこの屋敷でずっと仕事をしているから、外に出て買い物などをしない。
なので服や宝飾品はずっと同じものをつけているのだが、メイド長の彼女は私よりも多くの宝飾品を持っているようだ。
だから私の服や宝飾品を見て嘲笑って、自分が着けているネックレスとかを自慢するように胸を張って見せてくる。
だけど、なぜ彼女はあんなに宝飾品を持っているのかしら?
私が伯爵家の財務管理をしているから、横領なども出来るはずはないし……メイド長の給金も適正なので、宝飾品を何個も買えるほどの額ではない。
はっ、もしかして、ヴィル様がメイド長に宝飾品を買い与えているのかしら?
ということは、ヴィル様はメイド長が好き……?
それなら辻褄が合うかもしれない。
私はそんなことを思いながら、また冷めた夕食を食べて、風呂に一人で入って夜の身支度を終えて、自室のベッドに入る、
クルキネン伯爵家に来てから、毎日がこんな感じだ。
今日はまだ社交会やお茶会がないからマシなほうだけど。
敵国だった国の伯爵家に嫁いだのだから、最低限の衣食住が確保されているだけいいかもしれないわね。
だけど、私も結婚に憧れがなかったわけじゃない。
侯爵令嬢だったから、恋愛結婚が出来るとはあまり思っていなかった。
政略結婚だとしても、夫と仲良く……出来れば愛し合って、暮らしていきたかった。
でも、やはり現実はそう上手くいかないようね。
明日も仕事があるから、余計なことを考えていないで早く寝ないと。
今日はなぜか眠気がすごいから、ゆっくり眠れそうね……――。
――私、ミアは夢の中から目覚めて、ゆっくりと目を開ける。
今日もいつも通りの一日が始まると思っていたのだけど……知らない天井が目に入って、一気に意識が覚醒した。
上体を起こして周りを見渡すと、やはり知らない部屋だ。
いつもの寝ている部屋よりも狭く、置いている物も最低限で質素な感じだ。
「いったいここはどこ……えっ?」
思わず独り言を呟いてしまったのだが、自分の声にまず驚いた。
いつもよりもかなり低く、男性の声のようだった。
そんなに声が枯れるようなこともしてないし、枯れてもここまで低い声は出ないと思うんだけど。
そう思いながら異変があった喉に手を当てようとしたのだが……自分の手を見てまた驚いてしまう。
ゴツゴツとして筋肉質で……男性の手じゃない?
一瞬固まってしまったが、すぐに自分の姿を確認したいと思って鏡を探す。
ベッドから降りて、全身鏡があったのでその前に立つと……。
「っ、ヴィル、さま……!」
そこには私の姿はなく、私の夫のヴィル・クルキネンの姿があった。
右手を動かしたり、頬を触ってつねったりすると、鏡の姿のヴィル様も同じことをする。
えっ、ちょっと待って、なにこれ……なんで私がヴィル様の姿に?
……はっ! 夢ね!
そうよ、こんなの夢に決まっているわ。
逆に夢以外の何があるっていうのかしら、現実なわけないじゃない。
はぁ、ビックリしたわ……だけど意識も五感もハッキリしているし、夢っぽくないわね。
それと、いつ夢が覚めるのかしら?
部屋を見渡すが、ここはおそらくヴィル様がいつも寝泊まりしている騎士団の寮だろう。
騎士団団長だから、他のところよりも豪華そうだ。
そんなことを考えていたら、部屋のドアからノックが響いていてビクッとした。
「ヴィル団長、リエトです。もう起きていらっしゃいますよね」
ドアの外からリエトという男性の声が聞こえてきた。
「……ヴィル団長? 本当に寝ているんですか?」
「えっ、あ、いや、起きています」
「起きています? えっ、寝ぼけているんですか?」
あっ、いつもの私の口調で話してしまった。
え、えっと、ヴィル様の口調は……。
「あ、ああ、問題ない」
「そうですか? それなら早く出てきて仕事をしてください。今日こそは書類仕事をしてもらいますからね」
「わ、わかっている」
「本当ですか? とりあえず、執務室に来てくださいね」
リエトさんはそう言って部屋の前から去っていった。
ふぅ、ビックリした……。
というか、この夢はいつ覚めるのかしら?
本当に私がヴィル様に成り代わって、仕事をするの?
……とりあえずリエトさんに言われたから、執務室に行こう。
私は適当な服に着替えて、部屋を出て執務室へと向かう。
なぜかわからないけど、服は慣れているように着られたし、執務室の場所もわかる。
夢だから、都合よくできているのかしら。
そう思いながら執務室へ向かって入ると、すでに男性が中にいた。
「ごめんなさ……すまない、待たせた」
またいつもの口調で喋りそうになり、寸前で止めてヴィル様っぽく喋る。
「ヴィル団長、来てくれたんですね。また僕に任せて、訓練場に行くのかと思いました」
さっき部屋の外から聞こえてきた声と同じだから、この人がリエトさんね。
金髪のショートで癖毛のようで、触ったらふわふわとしてそうな髪質だ。
顔立ちも童顔で優し気な男性、女性に好かれそうな見た目だ。
騎士団にもこんな方がいるのね。
「机に処理すべき書類を置いたので、上から順にやってください」
「ああ、わかった」
「絶対ですよ? 逃げて訓練場で他の騎士達にストレス発散のように、模擬戦とかしないでくださいよ」
めちゃくちゃ念を押すわね、そんなに私は疑われているのかしら?
あっ、だけどこれはヴィル様の身体だから、ヴィル様が疑われているってことね。
リエトさんは最後まで疑うような目で私、ヴィル様を見ながら出て行った。
さて、よくわからないけど、書類仕事をしようかしら。
ヴィル様になった夢の中でも書類仕事をするって、私は書類仕事ばかりやるわね。
少しため息をつきながら椅子に座り、書類を上から確認していく。
魔物討伐の遠征費用、適した費用になっているかどうか。
前回の遠征費用とも書いてあるので、それと比較して……ここは削れそうね。
で、判子を押して終わり。これでいいのかしら?
クルキネン伯爵家の財務管理をしているから、こういうのは簡単ね。
次に武器の調達、消耗した武器の数と費用、これの確認。
うん、しっかり出来ているみたいだし、結構簡単な書類作業ね。
伯爵家の仕事とは違うから、結構楽しい。
だけどこの仕事も夢っぽくないというか、本当に現実でありそうな書類仕事ね。
騎士団に無関係な私が具体的な数字とかいろいろ見てるけど、夢だから大丈夫よね?
そんなことを考えながら書類仕事をやっていったが、終わってしまった。
量は多かったけど、だいたいは確認して終わりって感じだった。
おそらく書類を書いた人がとても優秀なのね、リエトさんかしら?
そう思っていたら執務室のドアにノックが響いて、丁度よくリエトさんが戻ってきた。
「ヴィル団長、リエトです」
「ああ、入っていいぞ」
ヴィル様の口調ってこれでいいのかしら? 少し偉そう?
だけどリエトさんは特に違和感を覚えているような素振りは見せずに、執務室に入ってきた。
「書類は確認しましたか? 急ぎの書類くらいはやっていてほしいんですが」
「終わったぞ」
「終わった? えっ、今日の分がってことですか?」
「今日の分がどれかはわからないが、全部だ」
「全部? それはさすがに嘘では……」
リエトさんはそう言って疑いながら、私が終わらせた書類を確認していく。
次第にリエトさんの目が見開いていき、「信じられない」と呟いた。
「本当に全部終わらせてる……! しかも適当に判子を押したんじゃなくて、書類の不備を的確に指摘しているし、文句の付け所がない……!」
「それならよかった」
「え、ええ、本当に。ヴィル団長がまさか書類仕事を完璧にやるとは思いませんでした。しかもこんな早く」
「書類に書いてある要点が纏められていたからな」
「はい、私がやりやすいように纏めましたが……それでもめちゃくちゃ早いですね」
「リエトさ……リエトのお陰だ」
「……本当にヴィル団長ですか? 褒められるとなんか寒気がするんですが」
「お、俺に決まっているだろ」
これくらいのことでヴィル様か疑われるということは、本当にヴィル様は書類仕事が苦手なのね。
まさか夢の中なのに本物かどうか疑われるとは思わなかった。
ヴィル様は完璧な人間だと思っていたけど、苦手なこともあるのね。
人間だから当たり前かもしれないけど。
「今日は早く家に帰られそうで嬉しいです。団長は、今日も寮に泊まるんですか?」
「……ああ」
「結婚して半年間、ほとんどずっと帰らないですよね。前は帰っていたはずなのに」
……やっぱり、夢の中でも私はヴィル様に嫌われているのね。
本当にこの夢は現実に忠実みたいだ。
夢でくらいは、ヴィル様から好かれている……少なくとも、嫌われていないくらいの設定でよかったと思うんだけど。
「スマリン王国の侯爵家の令嬢でしたか? 天使のような姿に一目惚れして、自分みたいな『戦場の悪魔』が汚すことは出来ないとか言って、離れの屋敷を急遽作ったくらいですもんね」
「……えっ?」
リエトさんの言葉に、私は目を見開いて驚いてしまった。
天使のような姿に、一目惚れ?
「まだほとんど食事もしたことないんですよね? それで毎回食事する時は緊張して、何も喋られないとか。団長がそのくらい緊張するくらいの美女って、僕も見てみたいですが」
「……あの」
「はいはい、ダメだって言うんですよね? わかってますよ。意外と独占欲が強いですよね、ヴィル団長って」
リエトさんは、何を言っているんだろう?
確かに離れの屋敷はあるが、あれは私が嫌いで会いたくないからでは?
私を汚さないために、私専用の屋敷を作ったってこと?
それに、ヴィル様が私に対して独占欲が強い?
いきなり夢のような設定になったんだけど、どういうことかしら?
「確か、ドレスとか宝石を何個も贈っているんですよね。もう百個ずつとか贈ってないですか?」
「えっ?」
「そんなに贈られても奥様も困っていると思いますよ。まあ言ってもやめないと思いますけど」
リエトさんがため息をつきながらそう言った。
そして「あっ、この書類を先方に出してくるんで、失礼します」と言って出て行った。
残された私はしばらく呆然としていた。
本当に、いきなり夢の中みたいな設定が出てきてビックリしたわ。
だけどこれでハッキリした、私が夢の中にいるということに。
私はドレスや宝石など一個もヴィル様から頂いたことがない。
つまりこれは、私が想像している夢の中だということだ。
感覚とかはいろいろ現実っぽいけど、さすがにヴィル様が私に一目惚れして、汚さないように離れの屋敷を作ったり、ドレスや宝石を百個ずつ贈っているなんて、絶対にありえない。
だけど……少しドキッとした。
ヴィル様も私と同じで……一目惚れだと言われたから。
◇ ◇ ◇
「なんだ、これは……」
俺は、何の夢を見ているんだ?
朝起きて身体に違和感を覚えて、目を開けると全く知らない部屋にいた。
そして近くにあった全身鏡を見たら……俺の妻、ミアが映った。
冷静に考えて、俺がミアになっているようだ。全然冷静ではない気がするが。
しかし……。
「美しすぎるな」
やはり俺の妻、ミアは天使のように可愛くて美しい。
銀色の絹のような美しい髪は寝起きなのに寝癖一つ付いていない。
顔立ちは俺が見てきたこの世の女性が全員霞むほどに美しく、一度笑った顔を見たが目に焼き付くほどに可愛らしかった。
寝間着姿も可愛らしすぎて、絵画に描かれた天女に見える。
こんな美女が……俺の妻らしい。
俺には身に余る光栄すぎて、夢のようだ。
むっ、夢……そうか、これは夢か。
まあ冷静に考えれば、俺がミアに成り代わっているわけがないな。
俺の手は戦争で人を殺しつくしているから、血で汚れている。
だからミアのような美しい人に触れたりするのは躊躇ってしまい、ずっと家にも帰らずに寮で過ごしている。
ここはミアが寝ていた寝室、つまりクルキネン伯爵家の屋敷か。窓の外を見たら、伯爵家のもう一つの屋敷もあった。
俺が作らせた屋敷だが、内装はほとんど知らない。
ミアの寝室だからもっと豪華だと思ったが、意外と質素な寝室だ。
あまり無駄なものを置かない主義なのか?
いや、ここは俺の夢だから、俺が想像しているミアの部屋ということか?
よくわからないな……。
そんなことを考えていたら、寝室のドアがいきなり開いてメイドが入ってきた。
「奥様、まだ寝て……って、起きているじゃないですか」
「……はっ?」
なんだ、このメイドは?
俺の身体は今、ミアなのだろう?
なのになぜ、このメイドはドアをノックもせずに勝手に入ってきて、ミアに無礼な態度を取っている?
「まだ寝間着姿なんですか? 早く準備しないと、朝食が……」
「おい、お前」
「……はい?」
俺は我慢できず、メイドを睨みながら近づく。
メイドよりも少しだけミアの方が身長が高いから一応見下せる。
「なんだその態度は?」
「えっ、いや、その……」
「その態度は何だ、と聞いているんだが」
俺がキレながらも静かに問いかけているのに、メイドは目を丸くして答えない。
騎士団の部下相手だったらもう殴ってもいいほどに怠慢なのだが、今は夢の中とはいえミアの身体だ。
柔らかく綺麗な拳を傷つけるわけにはいかない。
「俺は……いや、私は誰だ? 言ってみろ」
「ミ、ミア様、です」
「ああ、クルキネン伯爵家の女主人だ」
自分で言うのもなんだが、ミアがクルキネン伯爵家の女主人というのは素晴らしいな。
それなのに、なぜメイドごときに舐められているような態度を取られているんだ?
「お前のその態度は、伯爵家の女主人である私に対して適している態度なのか? どうなんだ?」
「あ、その……」
「どうなのか、と聞いているんだ」
「い、いえ、適していませんでした! 申し訳ありません!」
メイドがそう言って青ざめた表情で頭を下げてくる。
ここまでしてようやく頭を下げるのか。
「それで、お前はなぜここに来たんだ?」
「え、えっと、朝食のご準備が出来ましたので……」
「まだ身支度も終えていないのに、先に朝食の準備が出来ただと?」
「す、すみません!」
「……まずは身支度からだ。お前一人じゃ足りんから、他の奴も呼べ」
「は、はい、かしこまりました」
メイドは一礼してから、慌てたように部屋を出て行った。
はぁ、何だ今のメイドは……もしかして、この屋敷のメイドはミアに対して全員があんな態度を取るのか?
最近はあまり家に帰ってないのでわからなかった……いや、ここは夢の中だから、現実は違うのか?
ややこしいが、夢の中だとしてもミアがメイドにあんな態度を取られるのは腹立たしい。
許すことは出来ないな。
それと、俺はこのままミアの身体で身支度をするのか?
……絶対に見ないようにしなければ。
数十分後、メイドに身支度をしてもらってから、朝食を食べる。
完全に目を瞑って着替えたから、俺は何も見ていない。
夢だからといって、ミアの綺麗な肌を見るわけにはいかないからな。
朝食も冷めていたようだから、作り直させた。
俺がすること全部が意外なのか、使用人が驚いているのがよくわからん。
ほとんどの使用人がなぜかミアを舐めているような態度だ。
今も朝食をゆっくりと食べているのだが、また食堂の扉がバンッと無作法に開かれる。
入ってきたのは、こいつは執事長か。
「奥様、まだ朝食を食べているのですか? 今日の仕事を始める時間は過ぎていますが」
「……お前もか」
メイドや執事、全員がミアである俺に失礼な態度を取る。
まるでそれが普通で当然かのように。
これが夢の中だとしても、全くもって許されないことだ。
「おい、執事長」
「はい?」
「なぜ、私が朝食をゆっくり取っちゃダメなんだ?」
「えっ? いや、だから仕事が……」
「仕事があったところで、なぜお前に急かされないといけないんだ?」
「その、急ぎの仕事ですので……」
「それがなんだ? 急ぎだから、お前が伯爵家の女主人である私に無礼な態度で、朝食を早く食べろと言っていいのか?」
「い、いえ、その……」
「お前と私、どちらが上の立場だ? 言ってみろ」
「お、奥様の方が、上の立場です」
「そうだろう。だったら黙って私が朝食を食べるのを待っていろ」
「は、はい、申し訳ありません」
俺がそう言ってまた朝食を食べ始めると、執事長は食堂の壁側にメイド達と一緒に並んで立った。
全員がようやくミアの朝食を待つようになったな。
しかし夢の中だとはいえ、なぜ本当にミアがここまで舐められているのか。
俺がそうやって想像しているだけなのか?
そんなことを考えながら朝食を食べ終える。
ミアの身体だからか、いつもよりも食べられなかったな。
それと夢の中というのは、ここまで現実みたいに五感を感じられるものなのか?
この夢はいろいろとおかしいところが多いな。
「お、奥様、よろしいでしょうか?」
朝食を食べ終えてすぐにまた執事長が話しかけてくる。
「なんだ?」
「その、執務室に今日の分の書類仕事がありますので……」
「……そうか」
くっ、書類仕事か……俺は苦手なんだ。
だが俺は今、ミアの身体に入っているんだ。
おそらくミアは書類仕事なんか簡単に出来るのだろう。
いつもの俺だったら副団長に書類仕事を任せたりするのだが、ミアの身体じゃそうはいかない。
仕方ない、やるか。
「ああ、案内しろ」
「は、はい。こちらです」
執事長がおどおどとしながら先導するので、俺はそれについていき執務室へと向かう。
執務室の机には多くの書類があって、それを見るだけで俺は頭が痛くなってくる。
とりあえず椅子に座って書類を軽く見ていくが……難しすぎる。
ミアの身体だからといって、書類仕事が簡単になるわけじゃないみたいだ。
はぁ、執事長に頼るのはイラつくが、仕方ない。
「おい、これはどういう内容の書類だ? この数字はどういうものなんだ?」
「は、はい?」
「……なんだ、質問をしているだけだが」
「え、えっと……私もその、わからず……」
「はっ? なぜお前がわからないんだ、執事長だろ」
執事長は女主人の書類仕事を手伝うというのも仕事の内だ。
「その、いつも奥様がお一人で全てやっていらっしゃるので、私が把握しているものが少なくなってきていて……」
なるほど、確かにミアほどの天使だったら一人でやれるほどの能力はありそうだ。
だからといって、執事長が書類内容について把握していないのはおかしい。
「それなら、今読んで把握しろ。それで私に教えながら手伝え。これが本来の仕事内容だろ」
「は、はい、かしこまりました」
執事長が焦ったように書類を読み始める。
俺もとりあえず書類の内容を見ていく。
夢の中でも嫌いな書類仕事をやらないといけないのはきついが、ミアの身体だから頑張らないといけないな。
そう考えて、とりあえず執事長と書類仕事をやっていくが……進まないな。
もう何時間もやったと思っていたが、まだ昼時になったくらいしか時計は進んでいなかった。
はぁ、疲れたな……とりあえず休憩するか。
「執事長、紅茶でも淹れてくれ」
「はい、かしこまりました」
俺は頭に手を置きながらそう指示を出した。
くっ、頭に手を置いているとミアの髪が手に当たってしまう。
絹のような銀色の美しい髪に、俺が触れるのは許されるのだろうか。
いやだが、俺の血で汚れた手ではなく、この手もミアの手だから……問題ないか?
そんなことを考えていたら目の前に紅茶が出てきたので、それを一口飲む。
しかし、あまり美味しくはない。
「執事長……この茶葉は何だ? いつも私はこれを飲んでいるのか?」
「は、はい、奥様はいつもこれを飲んでいらっしゃいますが……」
「……そうか」
執事長が淹れるのが下手というのもあるかもしれないが、これは茶葉がそこまでいいものではないな。
最高級の茶葉をいつもこの屋敷では用意させているはずだが。
しかしミアがこの紅茶の素朴な味が好きというのなら、特に何も言わない。
紅茶を飲みながら、窓の外の庭を見る。
一度、身体を動かしたいな。
いつもなら騎士団で訓練をしているのに、今日は一切身体を動かしていない。
さすがにミアの身体で訓練などはしないが、散歩くらいはしたい。
「少し外に出たい。服も、外着用に着替える」
「えっ? あの……外出するのはいいのですが、外着用の服はあまりご用意がなく……」
「用意がないだと?」
執事長の言葉に、俺はまた眉を顰める。
「そんなはずはないだろう。何十着も俺……いや、ヴィルから届いているはずだ」
ミアに不自由させないために、この屋敷の予算はかなり多い。
さらに俺が個人的な金でミアにドレスや宝石類を何個も贈っている。
……まさか、全部捨てているのか?
ミアほど美しい女性だったら、確かに俺が贈ったようなドレスや宝石などをつけても、むしろ美しさの邪魔かもしれない。
いやだが、天使のようなミアが全部捨てるようなことはしないとは思うんだが……捨てられていたらかなりショックだ。
「なっ!? なぜそれを……!」
しかし、執事長が今までで一番の反応を見せた。
何かやましいことがバレたような、そんな反応と表情だ。
「おい、何だその反応は?」
「い、いえ、その……」
とても慌てている様子の執事長、俺は睨みながら続ける。
「何を隠している?」
「な、何も……!」
「地下牢にぶち込まれて拷問でもされたいなら、今は話さなくてもいいぞ」
「っ……!」
ミアの口からこんなことを言いたくないのだが、仕方がない。
執事長は、ミアが持っていないドレスと宝石類の在処を知っている様子だから。
そして、一時間後。
執事長は執務室にはいなくなり、代わりに他の使用人を何人か控えさせている。
そして執務室に、メイド長を呼んだ。
メイド長は今日初めて会ったが、他の奴らのように舐めた態度を取るようなことはなかった。
おそらく他のメイドに「今日の奥様は変だ」みたいなことをすでに聞いていたのだろう。
しかし、もうそんなことはどうでもいい。
「お呼びでしょうか、奥様」
「そこに跪け」
「……はい?」
メイド長は目を丸くするが、俺はこのクズを睨みつける。
ミアの身体であまり眉間に皺を寄せたくないのに、今日は何度も何度もしてしまう。
「頭が高いと言っているんだ、罪人が。早くそこにひれ伏せ」
「あ、あの、私が何かしたでしょうか……」
「心当たりがないというのか?」
俺がそう問いかけるとメイド長はビクッとするが、すぐに取り繕う。
「は、はい、ありません」
「……その指輪は、なんだ?」
「っ、これは……」
俺の指摘にメイド長はすぐに指輪を隠そうとしたが、もう俺は見ている。
それは、俺がミアに贈った指輪だ。
「貴様、俺が……ヴィルが贈ってきた指輪やドレスを、全て自分の物にして売りさばいていたようだな」
「っ……」
「どうやら執事長と一緒にやっていたようだが、もう執事長は地下牢にぶち込んでいる。そろそろ衛兵も来るはずだ」
「も、申し訳ありません! 奥様!」
今さらになって土下座をし始めるメイド長だが、許すはずもない。
本当ならこの場で八つ裂きにしたいくらいだ。
「死刑になるか、無期懲役となるかは知らんが……牢獄で自分の罪を悔いていろ」
「お、奥様! それだけは、どうか……!」
「戯言は聞かん。連れていけ」
「すみませんでした! 奥様……!」
周りにいた執事に指示を出して、三人がかりほどでメイド長を連れて行った。
はぁ、本当に最悪だ。
まさか俺が贈っていたドレスや宝石類が、全部売られていたりメイド長の物となっていたとは。
全てミアに捨てられていた方がまだマシだった。
これで一度静かになったが……まだやることは多い。
執事長とメイド長を衛兵に突き出して、メイドや執事の長を務められるくらいの責任者を探さないといけない。
あの罪人共がどれくらいの横領をしていたのかなども調べないといけないし……本当にやることが多い。
夢の中だからここまでやる必要はないのかもしれない……いや、これは本当に夢なのか?
わからないが、とりあえずやるしかない。
執事長やメイド長を雇ったのは俺、ヴィル・クルキネンだ。
だからミアの身体に俺が入っている時に後始末をするべきだ。
書類仕事もやらないと……はぁ、ミアの身体を酷使させてしまうが、やるしかない。
そして、俺はメイドや執事と協力しながらも、今回の後始末をいろいろと終わらせた。
バタバタとしていたので、気づいたらもう夜も遅かった。
疲れた……夕飯もすでに食べて、もう寝る準備は終えた。
風呂もメイドに手伝わせて、また俺は完全に目を瞑って入った。
メイドには「奥様、なぜ目を瞑っているんですか?」と不思議そうに言われたが。
とにかく、いろいろとやることは終えた。
騎士団で長時間の訓練をした時よりも疲れたな……。
ベッドに入ると、途端に眠気が襲ってきた。
寝不足も美容の敵と言うし、ミアの身体にもう負担をかけないように寝ないとな。
そう思いながら、俺は目を瞑って眠気に身を任せた――。
――翌日。
俺は起きて周りを見渡し、騎士団の寮の部屋だということを安心した。
鏡を見ても、俺の姿だ。
やはり俺がミアの姿になっていたのは、夢のようだな。
身支度を済ませて、部屋を出て執務室へと向かう。
訓練場に行きたいが、書類仕事をやれと副団長のリエトがうるさいからな。
夢の中ではできたから、今日は試しにやってみたいと思ったのだが……。
「はっ? ほとんど終わっている?」
執務室でリエトにそう言われて、俺は目を丸くした。
「はい、昨日のうちにほとんど終わってしまいました。今日の分はこれだけです」
「そうか。まあこれくらいなら出来そうだな」
もっと多くの書類仕事があると思っていたから、驚いたな。
リエトが俺の代わりに全部やってくれたのか。
「ありがとう、リエト」
「えっ? 何がですか?」
「リエトが書類仕事をやったのだろう?」
「いや、団長がやったんですよ」
「はっ? 俺が?」
「はい、昨日はすごく書類仕事をしてくださったじゃないですか。それでここ数日分の書類仕事が全部終わったんです」
昨日? 俺が書類仕事を終わらせた?
いったいどういうことだ? 俺は昨日、書類仕事なんてした覚えはない。
夢の中でミアの姿で書類仕事をしたが、それは全く騎士団の仕事とは関係がない。
リエトが嘘をついているようにも見えないし、そんな意味のない嘘をつく奴でもない。
「? よくわかりませんが、とりあえずこれが今日の書類です。ご確認をお願いします」
「……ああ」
とりあえず書類を見ていく。
これは、今後の騎士団の予算案か。
そういえば夢の中でも、こんな予算案を見たな。
さすがに騎士団の方が額は大きいが、似たような項目が多い。
……夢、か。
ミアが夢の中の時のように、今でも伯爵家の屋敷であんな扱いを受けていたとしたら。
いや、ないと考えたいが……しかし。
俺は昨日の夢の中で、なぜミアがあんなに使用人達に馬鹿にされているのか、舐められているかということを、使用人達に問い質した。
『なぜお前達はミアに……私にそんな横柄な態度を取ったんだ?』
『そ、それは……』
『時間は有限だ、早く言え。さもないと貴族への不敬罪でクビにして、執事長やメイド長と共に衛兵に引き渡すぞ』
『は、はい! ミア様が当主様と大事にされてなくて、この国の人間でもないので……えっと、その……!』
『……はっ? ミアが、大事にされてない?』
そう言われて、俺はとても驚いた。
当主様に大事にされてないって、俺がミアを大事にしていないってことだよな?
めちゃくちゃ大事にしているんだが?
この世の何よりも大事にしているつもりなのだが?
『……なぜ、大事にされてないと思っているんだ?』
『え、えっと、それはあの、当主様が家に全く帰ってこないですし、帰ってきても寝室が別どころか住む屋敷すら違うので……』
『し、寝室が同じじゃないと、大事にしていないだと?』
ミアのために屋敷を作ったのに、なぜ大事にしてないと思われるんだ?
俺は血で汚れた存在だから、違う屋敷に住んでもらっているだけなのに。
しかも、寝室が一緒じゃないと大事にしていない? 意味がわからない。
だがとにかく、俺がミアを大事にしていないと思っているから、ミアが舐められた態度を取られていたようだ。
あれは夢の中で聞いたことだから、実際には屋敷でミアがどんな扱いを受けているのかはわからない。
だが、俺がミアを大事に扱っていないと捉えられているのならば……。
「……リエト」
「はい?」
「俺は、妻を大事にしていないと思うか?」
「……はい?」
二度同じ言葉を言ったリエト、とても目を丸くしていた。
「聞き取れなかったか?」
「いえ、聞き取れましたが……まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので」
リエトは少し迷うように視線を逸らしてから、気まずいように笑みを浮かべる。
「えっと、世間一般的な……客観的なところから申し上げますと」
「ああ」
「全くもって大事にしているようには見えません」
「……そ、そうか」
リエトにはっきりと言われて少し……いやだいぶ衝撃を受けた。
まさか使用人だけじゃなく、リエトにも思われていたなんて。
「そ、それはなぜだ?」
「結婚をなさってから家にも帰らない、顔もほとんど会わせない、金とドレスだけを与えていて……客観的に見たら、お金だけを与えていて愛の欠片もない契約結婚です」
「くっ……」
確かに契約結婚ではあるのだが、まさかそこまで思われているとは。
「まあ僕は団長が奥様のことが好きというのは知っていますが、周りから見たら全くそうには見えませんよ」
「……そ、そうなのか」
リエトには俺がミアのことを想って、離れの屋敷を作ったことも、ドレスや宝石類を何個も贈っていることは言っている。
だが俺の気持ちを知らない者からすると……俺がミアのことが嫌いで、離れの屋敷を作って、お金や物だけを与えているように見えるのか。
「はぁ……もっと早く気づきたかったのだが」
「いえ、気づいたうえでやっているのかと思ってました」
「……そこまでクズに見えるか?」
「やっていることはなかなかクズですよ?」
「くっ、言うじゃないか」
リエトにすらこう言われるのだ。
使用人達が夢の中のように、ミアのことを侮っていても不思議ではないかもしれない。
「……リエト、今日の仕事はもう特にないな?」
「まあ、今日は会議などもないですし、書類仕事もそれで終わりです」
「そうか。それなら俺は――」
◇ ◇ ◇
「……あら?」
私は起きて、すぐに異変に気付く。
ベッド横のところに、ベルが置いてある。
これは使用人を呼ぶものだと思うんだけど、私が用意したわけじゃない。
この屋敷に来た最初の方はあったけど、それもすぐに使用人が「いらないですよね」と持っていってしまった。
それからは一人で起きて身支度をしていたけど、なぜあるのかしら?
まあ使わなければいい話ね。
そう思って、私は一人でまた身支度を始めていたんだけど……。
私の部屋のドアをノックする音が響いて、外から「奥様、お目覚めでしょうか?」という声が響いた。
まずノックされたことに驚く、いつもだったらノックもなしに入ってきていたのに。
「お、起きているわ」
「入ってもよろしいでしょうか?」
「え、ええ」
ここまで丁寧に言われると、逆になんだか怖い。
私の返事を待ってから、三人のメイドが静かに入ってきて一礼をする。
「おはようございます、奥様」
「朝の身支度をさせていただきます」
「えっ?」
私が驚いて返事をする間もなく、三人は朝の身支度の準備に取り掛かる。
温かいお湯で顔を洗って、服を着替えて、軽くマッサージをしてもらって。
私が一人で朝の身支度をするよりも早いし、とても気持ちいい。
しかし、いきなり何?
昨日まで私のことなんて舐めていたのに……昨日?
そういえば、私は変な夢を見ていたわね。
夫のヴィル様に成り代わる夢を。
意外と楽しかった気がするけど、あの夢は何だったのかしら?
本当にヴィル様になったみたいに一日を過ごしたけど。
だけどあんなの、現実なわけがないわね。
そんなことを考えていたら、身支度が終わったようだ。
夢のことも変だったけど、いきなりメイド達が親切になったのも変ね。
食堂に行って席に着くと同時にご飯が届いた。
ご飯も作り立てのようで温かくて美味しい。
「あなた、今日は何があったの?」
「はい?」
「今までとずいぶん態度がみんな違うようだけど……」
私がそう問いかけると、そのメイドがビクッと身体を震わせる。
「い、今まで申し訳ありませんでした。これからはクルキネン伯爵夫人に誠心誠意、務めますので……!」
「え、ええ……お願いするわね」
「はい、よろしくお願いします!」
よくわからないけど、これからは伯爵夫人として私に仕えてくれるらしい。
周りにいるメイドや執事にも目線を向けると、彼女達もビクッと身体を震わせてからお辞儀をした。
うーん、本当になんでいきなりこんなに扱いが変わったんだろう?
それに、今日は執事長やメイド長が見えないわね。
いつもならこの時間くらいに執事長が「今日の仕事がありますよ」と言ってくるのに。
「執事長はどこにいるのかしら?」
朝食を食べ終えた時に、メイドにそう問いかける。
するとまたメイドは顔を青ざめながら答える。
「し、執事長は、今頃は監獄にいらっしゃると思います」
「えっ、監獄?」
「は、はい。メイド長と執事長は奥様のドレスや宝石類を横領したとして、監獄に入りました。まだ裁判は出来ていないようですが、おそらく無期懲役などでしょう」
「……そ、そう」
衝撃的なことを言われて、反応が薄くなってしまった。
えっ、メイド長と執事長が、私のドレスと宝石類を横領?
全く知らなかった……というか、本当に横領していたの?
私のドレスや宝石類は少ないから、自分で全部管理している。
ここに嫁いできてから半年間、それらが一個も無くなったことはない。
だから横領なんて出来るはずが……あっ。
『確か、ドレスとか宝石を何個も贈っているんですよね。もう百個ずつとか贈ってないですか?』
夢の中で、ヴィル様の部下のリエトさんが言っていたことを思い出した。
ヴィル様が私にドレスや宝石を贈っているということを。
もしかして、メイド長や執事長が横領していたのは、それなの?
でもあれは夢の中で、現実じゃないし……でも私のドレスや宝石を横領したとすれば、ヴィル様から貰うはずだった物しか横領できない。
そう考えれば辻褄が合うけど……どうなのかしら。
とりあえず、仕事をしないといけないわね。
「横領の書類は執務室にあるかしら?」
「はい。昨日、処理した書類があるはずです」
「処理した書類? そう、わかったわ」
執事長がいない中、誰が処理したのかはわからないけど。
執務室に向かおうと、廊下を歩いていると……。
「奥様!」
正面から焦ったようにメイドがやってきた。
「どうしたの?」
「だ、旦那様が、いらっしゃいました……!」
「……えっ? 旦那様?」
旦那様って、私のってことよね?
ということは、ヴィル様が!?
「ほ、本当にヴィル様がやってきたの?」
「は、はい! すでに屋敷の応接室に通しておりますが……」
「……わかった。今すぐ行くわ」
メイドが伯爵家の当主を見間違えるはずがないわね。
それに応接室にもういるらしいので、私も向かわないと。
しかし、なんでいきなり来たんだろう?
今まで一度もこんな昼間に来たことはなかったのに。
というか、この屋敷に来たことも一度もなかったわね。
私は早歩きで応接室に向かうと、確かにヴィル様がソファに座っていた。
久しぶりにお会いしたはずだけど、昨日の夢を見たお陰でそこまで久しぶりな感じがしない。
ヴィル様と視線が合って、少しドキッとしてしまう。
一瞬だけ視線を逸らしてから、私は落ち着いてまた彼と視線を合わせる。
「ヴィル様、お待たせいたしました」
「……ああ」
ヴィル様も私と同じように一瞬だけ視線を外してから、また合わせてくれた。
私が彼の目の前のソファに座って、部屋の壁際に執事やメイドが待機する。
するとヴィル様が壁側に立っているメイドや執事の顔を、一人ずつ確認するように見ている。
「ヴィル様、どうかしました?」
「なんでもない……」
彼はそう言うが、メイドや執事の顔をじっと睨んでいる。
なんでもない、というわけではないと思うけど。
「あいつは昨日の夢で見たことあるが……昨日の夢はやはり……」
「あの……どうしました?」
「……いや、まあいい」
何かぶつぶつと呟いていたが、私の耳には届かなかった。
「ヴィル様、本日はどのようなご用でしょうか?」
とにかく、ヴィル様の用件を聞かないと。
「ああ、そうだな……ミア」
「はい」
「私はミアに、謝りに来た」
「……はい?」
ヴィル様が私に、謝りに来た?
「えっと、いったいどういうことでしょう?」
「……俺は、君が天使だと思っていた」
「はい?」
ヴィル様が何を言っているのか、全くわからない。
謝りに来たと言ったと思ったら、私を天使だと思っていたとか。
「銀色の美しい髪に、可愛くもあり綺麗な整った顔立ち。天使がこの世に存在するなら、君のような姿だろうと」
「なっ……!?」
い、いきなりなんという口説き文句を……!?
本当にヴィル様はどうしたの? この人は本物?
「そして俺は『戦場の悪魔』で……天使に近づいちゃいけない存在だと思っていた」
「えっ……」
「天使に、ミアに近づいたら、血で汚れている俺は君を汚すと。そう考えていた」
「ヴィル様……」
「だから離れの屋敷を作ったし、近くで住むことも許されないと思って、寮で寝泊まりをしていた」
まさか、ヴィル様がそんな考えをしていたなんて思ってもいなかった。
いや、だけど昨日の夢はヴィル様がそう考えている、みたいな夢だった気がする。
部下のリエトさんがそう教えてくれたけど、まさか本当だったなんて。
「だから君を避けては……いや、避けてはいたが、嫌うなんてことはなかった。むしろ、好きだから避けていたと言うべきか」
「っ……」
「伝えるのが遅くなってすまない。ドレスや宝石を贈っていたから伝わっていると思ったんだが……それらも届いていなかったみたいだしな」
ヴィル様が自嘲するようにそう言った。
やっぱり私にドレスや宝石を贈っていたのね。
それが届いていれば、少しはヴィル様に好意的に思われていると感じていたかもしれないけど……。
執事長とメイド長がまさか横領しているとは思わなかった。
「それはヴィル様のせいではないと思いますが」
「いや、直接渡せば問題なかったんだ。それを俺が綺麗すぎるミアと会って渡すのは緊張するから、遠くから贈っていたんだ」
「そ、そうですか」
ところどころで私を褒めるのはドキッとするからやめてほしい……!
想像以上にヴィル様が私のことを大事に想ってくれているようだ。
だけどなぜか自分への評価が低すぎて、私と釣り合わないみたいに思って、全然会おうとしなかったみたい。
「ヴィル様は、私を大事に想っているということでいいでしょうか?」
「ああ、もちろん。俺にはもったいない妻だと心の底から思っている」
「そ、そうですか」
まっすぐと正面から見つめられて言われると、照れて顔が熱くなってしまう。
まさかヴィル様がこんなにも正面から伝えてくれるとは思わなかった。
そんなヴィル様に、私も気持ちを伝えないといけない。
「ヴィル様。私は嫁いできた時はとても不安でした」
「……ああ」
私が話し出すと、ヴィル様は真剣に話を聞いてくれる。
「知らない国に一人で嫁いできて、しかもその相手が戦争で大活躍した『戦場の悪魔』ということもあって……もしかしたら殺されるかもしれないと思っていました」
「……」
「だけど、私はヴィル様に嫁いでよかったと思っておりました」
「っ……そう、なのか?」
「はい。悪魔と聞いていたので、どんな怖い人なんだろうと思っていましたが……ヴィル様は私のために屋敷を作ってくれて、私を下に見ているような、蔑むような態度を見せたことはありませんでした」
「それは当たり前だろう」
「それだけでも嬉しかったんです……だけどあまり話すことも出来なかったので、やはり私のことが嫌いだったり、邪魔なんだろうなと思っていました」
離れの屋敷を作ったのも、寮から帰ってこないのも、私が嫌いだからだと思っていた。
「……そう思われても仕方ないだろう」
ヴィル様はあまり表情は動かないが、落ち込んだようにそう言った。
なんだか意外と可愛らしいところがあるのね。
「でも、ヴィル様と結婚できてよかったと思っているのは本当です。私も、その……ヴィル様のことは、カッコいいと思ってましたから!」
顔が赤くなるのを感じながらも、私は想いを言いきった。
「えっ……」
「は、初めて会った時から、ヴィル様のことはカッコいいと思っていましたよ! 濡れたような漆黒の髪に、つり目でパッチリとした目が素敵で……こんな方に嫁げてよかったと、思ってました!」
「……そ、そう、なのか」
ヴィル様が少し頬を赤くして視線を逸らした。
くっ、初めて彼の照れたような顔を見たけど、とても可愛いわね。
「だからその、釣り合ってないとかは全く思っていませんし、むしろ私が釣り合ってないと思います!」
「それはない。ミアは天女だ、女神よりも美しいに決まっている」
「そ、それならヴィル様だって、この世の誰よりもカッコいいです!」
「いやだがミアの方が――」
「いやいやヴィル様の方が――」
それからしばらく、私とヴィル様はお互いに褒め合っていた。
勢いで喋ったけど、冷静になるととても恥ずかしい。
終わった後、周りで見ていたメイドや執事が「何やってるんだろうこの人達……」というような目で見ていた。
だけど……。
「ふふっ……ヴィル様、そろそろ昼時ですし、食事にしませんか?」
「……ははっ。ああ、そうだな」
ヴィル様と仲良くなれたみたいで、とても嬉しい。
契約結婚で夫婦になったけど……これからは心が通じ合った夫婦として、やっていけたら嬉しい。
……と思っていたけど。
「ヴィ、ヴィル様、寝室が同じなのは早いのでは?」
その日の夜、ヴィル様といきなり寝室が同じになって、私は顔を真っ赤にしながら問いかけた。
「や、やはりそうだよな? 俺もそう思っていたんだ」
ヴィル様もローブを羽織った寝間着姿で、少し頬を赤くしている。
初めて見るその姿が色気がすごくて、とてもドキドキしてしまう。
「そ、それならなぜ……」
「いや、使用人達が話していたのだが、寝室が同じじゃない夫婦は仲が悪い、と勘違いされると言っていて……」
「た、確かにそれはあるかもしれませんが……!」
「それに、ミアは使用人にずっと舐められていたんだろう? だから仲が良いことを見せつけないといけないのかと思って……」
確かにそうだったけど、もうそれは問題ないと思う。
今日でヴィル様と私が仲良くなった、というのが使用人達に伝わっていると思うし。
「で、ですがすぐに寝室を同じにしなくてもよかったのでは?」
「そうか? いや、そうかもしれないな。じゃあ俺はやはり自分の部屋で……」
「い、いえ、待ってください! 今からヴィル様が寝室から出たら、それこそ仲が悪くなって一緒に眠らなかった、と思われてしまいます!」
それはさすがに恥ずかしいし、そういう噂が広まったらいろいろとキツい。
だから今から違う寝室で寝るのはダメだ。
「それなら、俺は床で寝るのはどうだ? 俺は戦場で固い地面で寝るのは慣れている」
「そんなのダメです! だ、大丈夫です、一緒のベッドで寝ましょう」
さすがに伯爵家の当主様を床で寝かすわけにはいかない。
「……わかった。だが安心してくれ、絶対に手は出さない。触れもしない。安心して眠ってくれ」
「わ、わかりました。ありがとうございます」
とりあえず、寝室で一緒のベッドで眠ることにしたが……そういう行為はまだ早いとヴィル様は思ったようだ。
確かに今日いろいろと誤解が解けて、ようやく仲良くなったばかりだ。
そう考えると早いけど、結婚して半年間何もないと考えると遅い。
だけど私もちょっと心の準備は必要なので、今日は手を出さないと言ってくれてありがたい。
私とヴィル様はベッドに入る。結構大きなベッドなので余裕を持って入れた。
しかし、やはり横にヴィル様がいるということで、とても緊張してしまう。
「……ではおやすみ、ミア」
「はい、おやすみなさい、ヴィル様」
就寝の挨拶をして消灯する。
緊張がすごいけど……なんだか今日はいろいろとあって疲れたから、眠気がすごい。
ヴィル様が隣にいても、すぐに眠気に身を任せて夢の世界へと入った――。
――翌日。
私は目を覚まして、寝ぼけながらも上体を起こす。
昨日は……あっ、そうだ。ヴィル様と眠ったんだった。
緊張していたはずだけど、よく眠れた気がする。
隣でごそごそと布団が動いて、彼もベッドから上体を起こした。
「おはようございます、ヴィル様……?」
「ああ、おはよう、ミア……」
「えっ?」
「はっ?」
私達は、お互いの顔を見て驚いた。
私の目の前に、私がいたから。
目の前の私も、とても驚いている顔をしている。
私の中にいるのは、ヴィル様だ
もしかしてあの夢は、現実だったの!?
「ヴィ、ヴィル様ですよね?」
「あ、ああ、俺の中にいるのはミアだろう?」
「はい、そうです……あ、あの、もしかして前にも私達一度、入れ替わってます?」
「やはりミアもそう思うか。あれは夢じゃなかったのか」
「ヴィ、ヴィル様が私の身体で、一日過ごした……!?」
「な、何も見ていないぞ! 着替える時やお風呂の時はメイドに全部してもらったし、何も見ていないからな!」
「わ、私も見ていませんから! その、お手洗いも我慢しましたし!」
「も、もちろん俺もだ!」
朝起きて、いろんな事実が頭にぶち込まれて混乱した。
なんで入れ替わるのか。何をしたら戻るのか。
全然わからないけど……今後の私とヴィル様の未来は、私が嫁いでから今までの半年間よりは明るいと思う。
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