セクシー除霊(2)
翌日、上野は午前八時に目を覚ました。
起きると同時に、いつもと同じくラジオ体操を始める。当然ながら、女の霊もじっと見つめている。しかし、上野は気にも留めていない。マイペースに、体を動かしている。
体操が終わると、テレビをつけた。画面には、エプロンを付けた二足歩行の三毛猫と、修験者のごとき服を着たカラス天狗と、大きな荷物を背負ったカッパがいる。三人は、楽しそうに語り合いながら森の中へ入っていった。
「今日は何をするのだろうな。森ということは、サバイバル訓練でもするのか」
そんなことを呟きながら、ひとり太極拳のような動きをしていた。非常にゆったりとした動きで、突きや蹴りを虚空に放つ。当然ながら、女の霊も突っ立ったまま眺めている。
やがて、全ての動きを終えた。上野はその場に座りテレビの方を向く。画面には、ひとりで森の中を歩いている三毛猫を映し出していた。時おり立ち止まっては、木の枝を拾っていく。
ほのぼのとした光景だったが、そこに乱入してきた者がいた。巨大な灰色熊である。熊は三毛猫に向かい吠えると、後足で立ち上がった。どう見ても、一緒に遊ぼうという雰囲気ではない。
だが、そこに助けが現れる。カッパがどこからともなく走ってきたかと思うと、熊の腹に強烈な張り手を食らわしたのだ。それも一発ではない。凄まじい勢いで、何発もの張り手を打ち込む。某ゲームの百烈張り手そのものだ。
さらに、カラス天狗も空から舞い降りた。木刀のようなものを振り上げ、熊をバシバシ叩いていく。
いきなりの戦闘シーンだったが、始まった時と同じく唐突に終わった。画面が切り替わると、元の和やかな雰囲気に戻っている。三人は森の中で、楽しそうに肉を食べているのだ。焚き火で串に刺した肉を炙り、ニコニコしながら口に運んでいる。
やがて、三毛猫はこちらを向いた。
「キャンプは、とっても楽しいニャ。でも、熊さんや猪さんのような怖い動物が出ることもあるのニャ。みんなも、気をつけて欲しいのニャ」
そう言って、三毛猫は視聴者に手を振る。直後、またしても画面は切り替わった。
三人が肉を焼いている場所のすぐ近くに、毛皮となった熊がいるのだ。毛皮は血に染まっており、木の枝に引っ掛けられている。どうやら、三人の食べている肉は先ほどの熊のものらしい。
「なるほど、さすがの灰色熊も妖怪が相手では勝てないのか。しかも、負けたものは食われる厳しい弱肉強食の世界を描いている。素晴らしいアニメだ」
テレビに向かい呟いた後、上野はキッチンに行き冷蔵庫を開けた。中から、冷えたおむすびとたくあんを出す。
「ぼ、僕は、う、上野信次なんだな。お、おむすびが好きなんだな」
おかしなモノマネをしながら、おむすびを電子レンジで温める。
テレビでは、番組が変わりワイドショーが放送されていた。コメンテーターが子供のように喚き散らしている。上野は、やれやれとでも言いたげな様子でかぶりを振った。
「ぼ、僕は、あ、ああいう人は苦手なんだな」
そんなことを呟きながら、上野はおむすびを食べ始める。一口食べると、中の具を確認した。
「うむ、やはりシャケは最高だな。それにしても、おむすびとおにぎりはどう違うのだろうか。永遠の謎だ」
考え込むような仕草をした……が、それは一瞬だった。すぐに食事を再開する。
食べ終えると、上野はスケッチブックを開いた。ソフビの怪獣をテーブルに載せ、鉛筆で描き始める。
女の霊に見守られながら、上野は鉛筆を動かしていく。描き終えると、出来栄えを見つめた。
「おおお、順調にレベルアップしているな。さすが俺だ」
うんうんと頷くと、スマホで描き終えたばかりの絵を撮影する。
「いつか、これをトゥイッターに載せてバズらせてやるからな」
そんなことを呟いた時、ドアホンが鳴った。上野は立ち上がり、玄関へと向かう。当然のように、女もついていった。
ドアを開けると、立っていたのは仏頂面の山樫明世である。
「どうも。お届け物っスよ」
無愛想な顔つきで、ビニール袋をぐいっと突き出した。紙箱がふたつ入っている。
「相変わらず失礼な奴だな。だから、お前は彼氏が出来んのだ」
ボソッと呟いた。小さな声だったが、山樫は聞き逃さない。不快そうな表情になった。
「はあ? それ関係ないっスから。だいたいね、それセクハラっスよ。上野さんは情弱のオッサンだからわかんないでしょうけどね、今の御時世はうるさいんスよ。他の女の子にンなこと言ってたら、訴えられても文句いえないっスよ。あたしだから、大目に見てるんスよ」
「まったく、口うるさい奴だな。一番うるさいのはお前だよ」
呟いた時、彼の背後から女が現れた。すっと前に出てくる。
その瞬間、山樫の表情が変わる。彼女は「見える」タイプではないが、何か異様な気配を感じたらしい。
「そ、そんなわけで失礼します!」
言うが早いか、慌ただしい勢いで去っていった。
そんな彼女の後ろ姿を、上野はじっと見ている。さらに、そんな上野を女の霊がじっと見つめている。
数秒後、上野はドアを閉めた。ビニール袋を手に、リビングへと戻る。
入っていた紙箱を取りだし、開けてみた。片方には、茹でた鶏のささみとブロッコリーがぎっちりと詰まっている。ボディビルダー定番のメニューだ。
もう片方の箱には、大福がふたつ入っていた。なんとも珍妙な組み合わせである。
上野は、フォークを手にした。鶏のささみに突き刺し、一切れを口へと運ぶ。
飲み込むと、険しい表情になった。
「まずい」
呟いた後、今度はブロッコリーを食べる。飲み込むと、さらに険しい表情になった。
「まずい」
ぶつぶつ言いながら、上野はフォークを止めない。まずいまずいと言いながらも、きっちりと食べ続けている。旺盛な食欲で、あっという間に平らげてしまった。
「ああ、まずかった。しかし、妙に癖になる味だな。よし、明日のランチもこれにしよう」
わけのわからんことを呟くと、大福に手を伸ばした。ぱくっと一口食べ、中身を見る。入っているのは、餡ではなく蜜柑であった。そう、これはフルーツ大福なのである。
「蜜柑大福とは、なんともユニークな味だな。たとえるなら、マサイ族の太鼓と芸者の三味線がコラボしているかのようだ」
感想を述べた後、残った分を食べる。その姿を、女は無言で見つめていた。
朝食が終わると、上野はさっそくスケッチブックを広げる。鉛筆を手に、デッサンを始めた。今回のモデルは、フルーツ大福が入っていた紙箱である。テーブルの上に載せ、一心不乱に鉛筆を動かす。白い画用紙に線を描き、濃淡を付け、形を整えていく。
描き終えると、上野は満足げに頷いた。
「うむ、素晴らしい出来だ。俺の中に眠っていた山下清画伯が、今ゆっくりと目覚めようとしている」
そんなことを言ったかと思うと、上野はソファーに座り込んだ。
直後、その目が閉じる。真昼間だというのに、いびきをかいて眠ってしまったのだ……。
女は突っ立ったまま、じっと眺めていることしか出来なかった。
しばらくして、上野は目を覚ました。あくびをして、周りを見回す。
女が突っ立っているのを確認すると、またしてもスケッチブックと鉛筆を手にする。
真剣な表情で、口を開いた。
「おい、そこに立て」
言いながら、部屋の中央を指差す
「いいから、そこに立て。俺が、お前を描いてやる」
女に鋭い視線を向けつつ、なおも指示する。しかし、女に動く気配はない。
上野は、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、そこから動かない気か。そっちがその気なら、俺は構わんぞ」
そう言うと、彼は女の方に向き直る。スケッチブックに、彼女をモデルにした絵を描き始めたのだ。
女はというと、無言のまま突っ立っていた。スケッチブックに己の姿を描き写している中年男に、戸惑っているようにも見える。
ややあって、女は恥ずかしそうに顔を逸らそうとした。すると、上野が怒鳴りつける。
「動くんじゃない!」
女はビクリとなり、慌てて動きを止める。上野の方はというと、険しい表情で彼女を睨みつけていた。
「今のお前の姿を、俺がきっちり描いてやる。だから、そこに立っていろ」
やがて、絵は描き上がった。上野は、描いたものを見せる。
「どうだ。俺の作品の感想は?」
女は、じっと絵を見つめる。
ややあって、スケッチブックに手を伸ばした。何をするかと思いきや、絵の描かれていたページを切り取る。
そのページを、両手でビリビリに破いてしまった。紙屑と化した絵を、宙に放り投げる。
常人には、紙がひとりでに宙を舞い紙屑と化したようにしか見えないだろう。「見える」人でも、この行為には怯むはずだ。
しかし、上野は動じない。
「ほう、気に入らんというのか。では、もう一度描いてやる。お前が気に入る絵を、必ず描き上げてやるぞ」
言ったかと思うと、スケッチブックを開いた。鉛筆を握り、女を睨みつける。
すると、女の態度も変化した。腕を組み、こちらを見下ろすような顔つきで立っている。先ほどまでの戸惑いが完全に消え、自信に満ちた表情だ。描けるものなら描いてみろ、とでも言いたげな雰囲気も漂わせている。
上野は、ニヤリと笑った。
「フッ、面白い。相手になってやる」
絵を描く者にあるまじきセリフを吐いたかと思うと、改めて鉛筆を握った。スケッチブックに、己の魂をぶつけていく──
やがて、絵が描き上がった。上野は、得意げな表情で己の作品を見せる。
しかし、女は首を横に振った。手を伸ばし、スケッチブックから絵のページをむしり取る。
またしても、ビリビリに破いた。複数の紙片と化した絵を、宙に放り投げる──
それでも上野はくじけない。恐れず怯まず退かず、再び鉛筆を握った。女を睨みながら、スケッチブックに向かっていく──
どのくらいの時間が経過しただろう。
いつのまにか、上野は眠りこけていた。手に鉛筆を握ったまま、床の上で仰向けになっている。口からは、いびきが聞こえていた。
床の上には、紙片が大量に散らばっており足の踏み場もない。スケッチブックには、女の絵が描かれている。もっとも、まだ描き終わってはいない。体の輪郭が描かれているだけだ。
女は、寝ている上野を見下ろしていた。
ややあって、スケッチブックに手を伸ばす。絵の描かれたページを切り取り、両手に持って見つめた。その顔には、奇妙な表情が浮かんでいる。嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。
やがて、女は白い光に包まれた。体が、少しずつ薄れていく。顔に浮かぶ表情は、いつの間にか優しいものへと変化している。
女は、絵と共に去って逝った──
朝になり、上野は目を覚ました。むっくりと上体を起こし、周囲を見回す。
「あいつ、逝ったのか。それにしても、こんなに散らかしやがって……」
ボソッと呟いた。顔には複雑な表情が浮かんでいる。上野は今、嬉しさと寂しさが入り混じったような感覚に襲われていた。いつものことだが、慣れることはない。
胸に去来する様々な思いを押し殺し、床に散らばった紙片を拾い集めた。もう、除霊は終わったのである。後は依頼主に連絡するだけだ。
その日の夜、山田が部屋を訪れた。不安そうな面持ちで、室内へと入っていく。
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
尋ねると、上野は自信たっぷりの顔つきで頷いた。
「はい、除霊は完了しました。もう大丈夫です。疑うのでしたら、僕とふたりっきりでしばらく住んでみますか?」
そう言うと、いやらしい顔つきでニヤリと笑った。途端に、彼女は激しく首を振る。
「い、いえ! 結構です!」
「でしょうね。そんなわけで、僕は失礼します。料金は、今月中に振り込んでください。でないと、もっと怖いものを放ちますので」
言った後、上野はペこりと頭を下げる。直後、挨拶もせずにすたすたと去っていった。