セクシー除霊(1)
「どうでしょうか……」
尋ねたのは、メガネにマスク姿の女だ。上下はジャージと、全く飾り気のない格好である。長身の上野信次を見上げる姿は、どこか不安そうだ。
「ああ、いますね」
対する上野は、無愛想な態度である。途端に、女の表情が変わった。
「い、いますねって……あの、やはり、アレなんでしょうか?」
「アレ、とおっしゃいますと?」
「あの、アレはアレですよ。その、何て言うか……」
言い淀む女に、上野はちらりと部屋の隅を見た。
「ちなみに、霊ならいます。間違いなくいます。すぐそこで、我々のことを見てますよ。すっごく迷惑そうな顔で我々を睨んでおります」
「えっ!? ど、どこですか!?」
「ですから、すぐそこですよ」
上野は、部屋の隅を指さす。確かに、そこには霊がいた。もっとも、女には見えていないようだ。
「そ、そんな……怖い」
怯えた表情で、女は上野の腕にしがみつく。
「ちょっと近いです。離れてください」
言いながら、上野はじろりと睨んだ。
「あ!? す、すみません!」
驚愕の表情とともに、慌てて離れた。こんな反応が来るとは、想定外だったのだ。
この女、実は女優である。名前は山田久美子だが、彼女にはもうひとつ名前がある。そちらは織田真理であり、いわゆるセクシー女優とである。
グラビアアイドルから転向し、業界での人気はかなりのものだ。一本あたりの単価も高い。メガネとマスクで顔を隠しているが、エキゾチックな風貌でスタイルも抜群だ。この女に体を押し付けられ「近いです」などと無表情で言えるのは、上野くらいのものだろう。
そんなふたりは今、マンションの一室にいた。ここは小山田の住居である。しかし、ここ数日ほど怪現象に悩まされていたのだ。おかげで、小山田はしばらく仕事を休むはめになってしまった。
彼女から相談を受けたのが、ニューハーフの大東であった。大東が上野に頼み、上野は渋々ながらも下見に来たのだ。
「真昼間から、こうまではっきり出てくるのは珍しいですな。ま、それはともかくとして……本当なら、こんな仕事は引き受けたくありません。しかし、あなたは大東さんの知り合いだ。仕方ない、引き受けましょう」
かなり……いや、物凄く失礼な態度ではある。だが、小山田の顔はパッと明るくなった。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
飛び上がらんばかりの勢いで言いながら、上野の手を握る。と、彼の表情が曇った。
「近いです。離れてください」
「ご、ごめんなさい」
「ただし、引き受けるにあたって条件があります。除霊の間、私がこの部屋に泊まり込みます。なので、あなたはしばらく別の部屋に泊まってください」
「あの、私がいては除霊できないのですか?」
「はい、出来ません。覗いたり、カメラを設置するのも無しです。したがって、男性に見られたり触れられて困るようなものは、全て移動させてください。それが出来ないとなると、僕は降ろさせていただきます」
「期間は、どのくらいかかるのでしょうか?」
「そうですね、三日……と言いたいところですが、余裕を見て一週間はいただきます。それが無理でしたら、この話は無かったことにしてください」
淡々と語ってはいるが、言葉からは強い意思を感じさせる。小山田は目を逸らし、部屋を見回した。迷っているらしい。
ややあって、再び上野を見つめる。
「わかりました。お願いします」
一週間後の夜、上野は部屋へと入った。例によって、荷物はスーツケースとバックパックである。
まずは玄関にて、スーツケースを開け中身をチェックする。その時、奥から何かが現れた──
こちらに歩いてきたのは、ショートカットの女だ。年齢は若く、二十代前半だろう。髪は金色だが、頭の上半分は砕けており、大きな穴が空いている。血とも土とも判別しがたい汚れが全身に付着しており、しかも手足はぐにゃぐにゃに折れ曲がっていた。
近づいてくる女を、上野は一瞥をくれただけだった。再び荷物のチェックに取り掛かる。忘れ物がないことを確認すると、満足げに頷く。
「うむ、全て完璧だ。さすがは俺だな」
呟くと、スーツケースを奥へと運びこんだ。リビングにて、テレビを観る。
女も、リビングに入ってきた。突っ立ったまま、上野をじっと見下ろしている。
上野は、ちらりと彼女を見た。だが、再びテレビへと視線を戻す。画面には、奇妙なアニメが放送されている。甲冑のようなデザインの強化服を身にまとった男が、ガレキの中を悠然とした態度で歩いているのだ。
さらに、渋い声のナレーションが聞こえてきた。
(たったひとつの命を燃やし、力なき者たちを守り抜く。賞賛の声も、喝采の言葉も要らぬ。今の我に必要なのは、戦う覚悟なり!)
直後、OPが始まった。三味線の音色を利かせた和の雰囲気が濃い曲である。テレビから聴こえてくる歌に合わせ、上野も楽しそうな顔で唄い出した。それも、かなり大きな声である。
四十歳を過ぎたオッサンが、ひとりリビングにてテレビを観ながら、大声でアニソンを唄っている。そんな姿を、頭に穴の空いた若い女の霊が、立ったまま凝視していた。
そして話が進むにつれ、画面はいよいよシュールさを増していく。
(俺は……弱き者、正しき者のために戦う、サムライ戦士ブシドーだ!)
甲冑のごとき強化服を着た男が名乗りを上げている。おそらく、これがサムライ戦士ブシドーなのだろう。
彼の前に立つのは、髪型はリーゼントで濃いモミアゲの白人男性だ。背は高く、スラリとした体型である。白く派手なデザインの衣装を着て、ギターを背負っている。まるで、かつてのロックスターであるエルビス・プレスリーのようないでたちだ。
やがて、サムライとプレスリーの戦いが始まった。サムライの日本刀による攻撃を、ギターで受け止め反撃するプレスリー……異様な世界観の戦いである。
そんな両者のぶつかり合いを、上野は目を輝かせ夢中になって観ていた。そんな上野の姿を、若い女の霊は無言のまま睨みつけている。
日本刀とギターによる戦いは、唐突に終わりを告げた。離れた間合いで睨みあっていたが、両者は何の前触れもなく、いきなりお辞儀をしたのだ。どちらも満足したらしく、にこやかに握手をして去っていく。
と、エンディングテーマが流れ出した。これまた、三味線の音を強調した和風の曲である。しかも、歌詞は恐ろしく暗いものだ。人生のつらさを、切々と語っている。子供が聴いたら、将来を悲観し泣き出してしまいそうである。
だが、上野はこの曲もお気に入りらしい。いかにも嬉しそうに、大きな声で唄っている。暗い歌詞のアニソンを、陽気な顔で唄う四十男……しかも、その横には女の霊が立っているのだ。
その時、ドアホンが鳴る。上野は立ち上がり、玄関へと向かう。女もまた、後を追った。
ドアを開けると、そこにいたのは配達人の山樫明世である。ゆるキャラのごとき顔に不満そうな表情を浮かべ、大きなビニール袋を突き出してきた。
「はい、これ。上野さん、飯くらい自分で買っといてくださいよ」
配達人にあるまじき態度である。上野は、じろりと睨みつけた。
「なんだ、その態度は」
「なんだじゃないッスよ。また怖いところに呼び出して。配達員がみんなビビっちゃって、誰も行かないんスよ。今じゃ、あたしが上野さんの担当みたいになってるんスから」
その時、上野の肩から女の霊が顔を出す。途端に、山樫の表情が歪んだ。
「と、とにかく、ありがとうございました!」
頭を下げると、逃げるように走り去って行った。彼女には霊が見えないはずだが、何かを感じたらしい。
「相変わらず失礼な奴だ。あの調子では、彼氏になる男は大変だろうな」
ひとり呟くと、ビニール袋を手にリビングへと戻って行った。中から、紙の箱を取り出す。
箱を開けると、焼きソバと焼きサバが入っていた。何とも言いがたい組み合わせである。しかし、上野はウンウンと満足げに頷く。箸を手にして食べ始めた。
すると、女も動く。食べている彼の正面に座り込んだ。しかし、上野は一瞬手を止めただけだ。すぐに食事を再開する。目の前にいる者の頭蓋骨に空いた穴をじっくり見ながら、焼きソバを食べ焼きサバを味わう。
食べ終えると、ふうと息を吐いた。
「焼きソバと焼きサバ。たった一字が異なるだけなのに、味も栄養素も何もかも違う。奥の深さを感じるな」
わけのわからないことを呟いた後、スーツケースを開ける。中から、鉛筆ケースとスケッチブック、それに怪獣の人形を取り出した。人形は、ソフトビニール製のものである。
人形をテーブルの上に置いたかと思うと、スケッチブックを広げる。
鉛筆を握ったかと思うと、始めたのは怪獣のスケッチだった。真剣な表情で鉛筆を動かし、テーブルに乗ったソフビの怪獣を描いている。
女の霊は、そんな上野をじっと眺めていた。その顔から、憎しみの表情は消え失せている。