キャンディマン(3)
真幌市の繁華街を、奇妙な男が歩いている。
大柄で、がっちりした体格である。身長は、百八十センチはあるだろう。黒いパーカーを着ておりフードを降ろしているため、道行く人からは顔は見えていない。口には棒付きのアメをくわえており、足を前に踏み出すタイミングに合わせるかのように、棒がくねくね動いていた。
この男こそ、夜の街をうごめく少年たちの間で噂になっているキャンディマンである。普段は繁華街に出現し、不良少年たちを狩っている。
だが、今夜ほ別の目的で動いていた。
キャンディマンは、繁華街を抜け住宅地をどんどん進んで行く。しばらく歩いていたが、とある場所で立ち止まった。
彼の目の前には、古いビルが建っている。筑ウン十年という感じが漂っており、外壁には染みが目立つ。明かりもまばらで、住人のいない部屋の方が多いように見える。
キャンディマンは、ビルの中に入って行く。エレベーターはなく、廊下の照明も暗い。彼は階段を上がっていき、最上階のさらに上を目指す。
さらに扉を開け、屋上へと出て行った。面積は狭く、床にも汚れが目立つ。ただ、星空は綺麗に見えた。
そして、五メートルほど先には長身の男が立っている。
「よく来てくれたな、キャンディマン。招待に応じてくれたとは光栄だ」
屋上にいたのは、上野信次であった。他には誰もいない。動きやすい黒いジャージ姿で、ゆっくりと歩いていく。
一方、キャンディマンはポケットに手を突っ込む。中から、紙切れを取り出した。
「これは、お前が出したのか? どうやって、俺の家を知ったんだ?」
その紙切れには、こんな文章が書かれていた。
(お前がキャンディマンであることは知っている。警察にばらされたくなければ、下記の場所に来い)
文の下には、ここの地図も描かれている。
その紙切れをヒラヒラさせるキャンディマンに、上野はかぶりを振った。
「それはな、企業秘密だから言えない。そんなことより、お前は知らねばならないことがある」
「はあ? なんだよ?」
「お前が何をやろうが、俺の知ったことじゃない。俺は、街の保安官でも私人逮捕系でもないからな。だが、お前のやらかしたことのせいで、俺の知り合いが怪我をした。だから、その罰だけは受けてもらおう」
そう言うと、上野の表情が変わる。同時に、彼を取り巻く空気にも変化が生じた──
「お前の得意な分野で勝負してやる。自分の弱さを、きっちり思い知るがいい」
言いながら、両拳を顔の位置まで挙げ身構える。だが、キャンディマンは動こうとしない。
その様子を見て、上野はクスリと笑った。
「どうした? 俺が怖いのか? 素人相手の、完全なる先制攻撃をしなければ闘えんのか?」
挑発的な口調で言いながら、くいくいと手招きする。しかし、それでも相手は動かない。
そう、キャンディマンにはわかっていたのだ。目の前にいる男は、本当に強い。今まで狩ってきたヤンキーなどとは、レベルが違う相手だ。下手に攻撃を仕掛ければ、カウンターをもらいこちらがやられる……。
すると、上野は溜息を吐いた。
「呆れた奴だ。となると、お前の拳は自分より弱い者にしか振るえないのか。俺が怖くて、何も出来んのか。それでは仕方ない。俺は帰るとしよう。臆病者相手に、わざわざ出てきて時間の無駄だった」
小馬鹿にしたような口調だ。
その言葉に、キャンディマンの体が震え出した。もちろん恐怖ではなく、怒りによるものである。拳を握りしめ、口を開いた。
「上等じゃねえか。そんなに死にてえなら、やってやるよ」
呟いた直後、突進し襲いかかる──
キャンディマンは、素早い動きで間合いを詰めていく。だが、上野は微動だにしない。表情ひとつ変えず、自然体で立ったままだ。
間合いが詰まり、瞬時に闘いが始まる。キャンディマンが、鋭い左ジャブを放った。
しかし、上野はパシンと弾く。素人には見えないであろう弾丸のような左ジャブ。その速い左パンチを簡単に見切り、型通りの回し受けで弾き飛ばしたのだ。
キャンディマンの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。だが、上野の動きは止まらない。直後、右の中段突きが放たれる。
正拳は、キャンディマンのみぞおちに炸裂する。その衝撃は強烈だった。高速の鉄球がぶつかってきたような衝撃に、彼は耐え切れずバタリと倒れる。
直後、口からアメが飛び出した──
倒れているキャンディマンを、上野は冷酷な表情で見下ろす。その口から、言葉が出た。
「どうやら。鍛練を怠けていたようだな」
「な、何だと!」
呻きながらも、キャンディマンは立ち上がる。フードを被っており顔は見えないが、憤怒の形相なのは見て取れる。
そんな彼に、上野はさらなる言葉を投げかけた。
「お前に何があったかは知らん。知る必要もない。俺にわかっているのは、お前が鍛練を怠けていたという事実だ」
「俺は、俺は今まで、ずっと闘い続けてきたんだ!」
「闘いだと? 笑わせるな。相手は、しょせん素人だ。素人に不意打ちをくらわし、一方的に叩きのめす……そんなものは闘いではない。単なる暴力だ」
嘲笑う上野を、キャンディマンは憎々しげに睨みつけた。しかし、上野は意に介さない。
「街のチンピラを叩きのめして悦に入っていたのだろうがな、あんな素人に勝ったところで、誇れる勝利ではない。得られるものも何もない。お前の技は、三流以下だ」
「ふざけるな……」
「俺は、プロの格闘家ではない。現役の武道家でもない。年齢も四十を過ぎている。そんな俺に、お前はあっさりと倒された。間違いなく三流以下だろうが」
「誰が三流以下だ! ぶっ殺してやる!」
吠えた直後、キャンディマンは襲いかかる。接近し、強烈な左ハイキックを放つ──
百八十五センチの上野の顔面に、左足が迫る。だが、ほぼ同時に上野も動いていた。すっと前進し、飛んできた左足をキャッチする。ハイキックは強烈な技だが、間合いを外せば威力も半減する。上野は接近することで、ハイキックの間合いを外したのだ。しかも、当たる寸前に腕で蹴り足を抱え込んでいる。これは、蹴りのタイミングを完璧に見切っていない限り出来ない芸当だ。
顔を歪めるキャンディマン。今やフードはズレ落ち、顔があらわになっている。
荒んだ顔つきをしていた。野獣のような目で上野を睨み、反撃しようと腕を振り上げる。
その顔面に、上野は左の掌底打ちを放った。掌底は顎を捉え、キャンディマンは白目をむく。強烈な衝撃により脳が揺らされ、脳震盪を起こしたのだ。
続いて、足払いをかける上野。相手の軸足を、己のかかとで思い切り払う。一本足で立っている体勢のキャンディマンは、ひとたまりもなかった。何の抵抗も出来ず、仰向けに倒れる。
倒れたキャンディマンを、上野は睨みつける。次の瞬間、気合いとともに下段突きを放った──
まともに当たれば、キャンディマンの顔面は破壊されていたかもしれなかった。
しかし、下段突きは寸前で止まる──
「よく聞け。お前は、今のところ死人を出していない。だがな、それは幸運ゆえだ。いつか、お前の暴力により死者が出る……そんな日が、必ずやってくる。その時になって、後悔しても遅いのだ」
低い声で語る上野に、キャンディマンは何も言えなかった。黙ったまま、話を聞いている。
「素人を相手にするのは、もうやめるんだ。お前も、かつては武道に励んでいたのだろう。ならば、道場に戻り一から修業し直せ。このままだと、お前はもっとも大切なものを失うことになるぞ」
そう言うと、上野は立ち上がる。振り向きもせず去っていった。




