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上野信次 優雅にして華麗なる除霊の日々  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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病みと闇(3)

 その翌日、上野信次は、閑静な住宅街の一角にある五階建てのマンションの前に立っていた。

 空を灰色の雲が覆っており、空気は湿っていた。今にも雨が降りそうな天気である。今の上野の気分にはピッタリの空模様だ。

 通りを歩く人は少なく、周りには虫すら飛んでいない。寂しいところだ。

 

 そんな場所にそびえているのは、築ウン年というベージュの外壁の建物である。エレベーターは使わず、あえてコンクリートの階段を使った。

 狭い階段を上がっていくと、ようやく目的である五〇三号室のドアを見つける。

 上野は、部屋の前に立った。正直、気の進む作業ではない。だが、ここまで来た以上は最後までやり遂げなくてはならないのだ。呼吸を整え、やがてドアホンを押した。

 無機質なチャイム音が響いたあと、しばしの沈黙があった。やがて、インターホン越しに女の声が聞こえてきた。


「どなたですか?」


「俺は上野信次。除霊師をやってる者だ。あんたの娘さんから話を聞いて、ここに来たんだよ。開けてくれないか? 他人に聞かれて、気分のいい話ではないだろうからな」


「娘……ですって?」


 女の声が少し揺れた。警戒というより、驚きに近い色が混ざっていた。

 やがて、ドアが開いた。佐倉緑……いや、今は千代田(チヨダ)緑である。

 彼女は、雅直と比べると若く見えた。化粧っ気はなく、地味な顔立ちである。全体的に真面目そうな雰囲気を漂わせており、夫と娘を捨て浮気相手の元に走るようなタイプには見えない。

 

「どうぞ、こちらに……」


 緑は、迷惑そうな表情で中に招き入れようとした。だが、上野はかぶりを振る。


「いや、ここでいい。立ち話で結構だ。俺はな、あなたの元家族がどんな状態だったか調べたんだよ」


「調べた?」 


「そうだ。俺の調べた限りでは、あんたの元夫である佐倉雅直という男は、真面目に生きてたようだな。浮気もギャンブルもしないし、酒も嗜む程度だ。キャバクラや風俗の類にも縁がない。仕事が終われば、まっすぐ家に帰っていた。子育てにもできる限り関わっていた。あんたと結婚していた頃の佐倉は、そんな男だったはずだ」


 途端に、緑は目を逸らした。しかし、上野は語り続ける。     


「だが、あんたはそんな男を見限って、別の男の元に走った。なぜだ? 何が不満だった? 愛がなかったが? 男性的な魅力がなかったか? それとも、別の理由か?」


 答えはなかった。緑はうつむいたままだ。何を考えているのだろう。自分のしてしまったことに対する悔恨か。

 あるいは、言い訳を考えているのか。


「雅直は、確かに派手な男じゃなかったかもしれん。無骨で、口下手で、気の利いた言葉ひとつ言えなかったのかもしれないよ。だがな、あんたを裏切るような真似はしなかった。何より、あんたには娘がいたはずだ。未来さんという、何より大事なものがな」


「やめて……」


「いや、やめない。ここでやめるわけにはいかないんだよ。聞いてくれ。これは、あんたが目を逸らした現実の話だ」


 その時、緑は顔を上げる。その目には、挑戦的な光が宿っていた。


「あなたには、わからない。真実の愛を知らない人には、絶対に……わかってもらおうとも、思っていない」


 緑は、そう言ったのだ。

 聞いた瞬間、上野の表情がさらに鋭さを増した。口元を歪め、言葉を返していく。


「なるほどな。真実の愛、ね。確かに、俺はあんたの言う真実の愛なんて知らないし、知りたいとも思わない。俺の人生に、必要だとも思ってない」


 そこで、上野はニヤリと笑った。無論、おかしかったからではない。


「だがな、あんたの言う真実の愛とやらのせいで、あんたの元夫は壊れちまった。今じゃ、酒浸りのギャンブル狂いだ。会社はクビになり、今は生活保護で細々と暮らしてる。人間の形をした残骸だよ。もう、あの頃の佐倉雅直じゃない」


 またしても返答はなかった。それでも、上野は語り続ける。彼にしては珍しく、感情的になっていた。


「未来さんは、そんな父親との暮らしに耐えきれず、家を出ることを決めた。誰にも頼らず、自力で生きる道を選んだ。中学生でありながら、働いて金を貯めていた」


「ちょっと待ってよ。働くって、中学生の子どもに何ができるのよ……」


 緑の声が震えていた。怒りとも、恐怖ともつかぬ響きだった。

 そんな緑に、上野は容赦なく真相を伝える。


「知りたいか? なら教えてやるよ……売春だ。中学生で、父親と同じくらいの年齢のオヤジどもに、身体を売っていたんだ。幼い少女が好き、っていう男は少なくなからずいる。そういう連中はな、未来さんみたいな美少女とヤるためなら、大金をはたくんだよ」


「う……嘘……」


「嘘じゃないんだよ。現実だ。耳を塞いでも、変わらない」


 しばしの沈黙の後、上野は続けた。


「未来さんは、それで百二十七万を貯めた。食いたいものも我慢し、服も買わず、雨の日も風の日も、文字通り体を張って金を作った。その全ては、父親から離れ、自立するためだった」


 緑は、その場で崩れ落ちた。両膝を着き、体を震わせている。

 しかし、上野は止まらない。


「でもな、彼女の夢は叶わなかった。佐倉がその金を見つけ、キャバクラで一晩にして使い果たした。帰ってきた未来さんは、金が消えたことに気付き、父親を責めた。その結果、彼女は殴られた。何度も、何度も」


 上野は目を閉じた。彼の声も震えている。


「その金が、彼女にとってどれほどの意味を持っていたか……あんたには、絶対にわからないだろうな。俺が、あんたの言う真実の愛を理解不能なのと同じようにな」


 そこで、上野の表情が変わった。鋭い目で、彼女を睨みつける。


「金を貯めるために、どれだけの痛みを飲み込み、どれだけの夜を泣いて過ごしたことだろうな。それが、一瞬にして消えた。未来さんは、絶望したんだよ。自分の人生が踏みにじられたと、そう思ったんだろう」


 未来の霊は、そこまではっきりとは語っていなかった。

 だが、上野には感じ取れた。少女の、無念の思いが──

 

「彼女はビルから飛び降りて、自ら命を絶った。俺は、その霊と対話した。そうして、あんたの元へ辿り着いたんだ」


「そんな……そんなの……」


「いい加減、現実を見ろ。あんたの真実の愛とやらが、この結果を招いたんだ。このことを、あんたはどう思う?」


 上野に問われ、緑は体を震わせ下を向いていた。

 ややあって、彼女は顔を上げる。


「でも……でも、それはあたしのせいじゃない!」


 叫ぶような声だった。奥には、怒りも込められている。それが何を意味するか、考えるまでもなかった。

 聞いた上野は、フウと溜息を吐いた。


「そうか。なら、もういい。あんたが嘆き、罪を認め、娘の無念に真摯に向き合う気持ちがあったなら、まだ救いはあった。俺も、このまま何もせず帰るつもりだった。だが、今のあんたには、そんな気持ちすらないらしい。ならば仕方ない。あんたには、雅直と同じ目に遭ってもらう」


「な、何を!? 警察を呼ぶわよ!」


「構わんさ。俺は何もしない。このまま、帰るだけだ。俺は、な」


 それだけを言い残し、上野は踵を返した。ドアを開け、部屋を出ていく。


 緑はというと、玄関を呆然と見つめていた。まるで夢から覚めるように、意識が現実へ引き戻される。額には冷たい汗が浮かび、両手が震えている。


「これは仕方ないんだ……私には、私の人生がある。未来だって、もう……」


 自分に言い聞かせるように呟いた、そのときだった。


 ぞくり、とした寒気を感じた。さらに、何かが這い寄るような感覚。足元に何かがいる。

 思わず目を向ける。何もいない。だが、そこに何かがいるのは感じられる。無色透明の、しかし確かな質量を持つ何かが、彼女の足首を這い上がろうとしていた。

 肌の上を這う、湿った指のようなものが触れている──


「な、何!」


 叫んだ時だった。次の瞬間、視界がぐらりと揺れる。出現した何かは、彼女の身体を飲み込もうとしていた。





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