大豪院咲希の憂鬱(3)
歩き続ける上野を尾行しつつ、咲希と木川はヒソヒソ話をしていた。
「いやあ、不思議だなあ。本当に不思議ッス」
「えっ? 何がだい?」
「あの竹尾はですね、恐ろしい奴なんスよ。中学生の時に、熊に立ち向かっていったという伝説を残してるッス」
「く、熊ぁ!?」
「はい。中学ン時ですけど、竹尾は田舎の婆ちゃんちに泊まりに行ってたんですよ。で、婆ちゃんと山を歩いて木の実拾いや山菜採りをしてたら、いきなり熊が出てきたらしいんス」
「当然、ふたりは逃げたんだよな? それで、追いつかれて戦わざるを得なかったんだよな?」
「それが違うんスよ。竹尾は婆ちゃんを守るため、テメーどこの熊だ! なんて喚きながら、自ら熊に殴りかかって行ったんスよ」
「恐ろしい奴だね……」
「まあ、いくら竹尾でも熊には勝てないですからね。ボコボコにやられたらしいんスけど、逃げた婆ちゃんが村の人を連れてきて、その人が猟銃ぶっ放して追っ払ってくれたんス。竹尾はすぐに救急車で搬送されたんスけど、噛まれるは引っ掻かれるはで、本当にヤバかったらしいッス。やられた傷痕は、今も体のあちこちに残ってるらしいッスよ」
「そりゃそうだろうね」
「でも、本当に恐ろしいのはその後なんスよ。傷が治って退院すると、竹尾はさっそく動物園に行ったんス。そして、檻を開けて熊にリターンマッチを挑もうとしたらしいんスよ」
「おいおい、動物園の熊は無関係だろうが……」
「そうなんスよね。飼育員たちが止めても聞かず、しまいに警察呼ばれて逮捕されたっス」
「何を考えてるんだか……」
「しかも竹尾の奴、今でもテレビやスマホで熊の映像なんか観ると、いつかブッ倒してやる……とか呟くらしいッス。熊とのリターンマッチを、まだやる気みたいッスね」
「とにかく、竹尾が果てしないバカだってことはわかったよ」
「あと、竹尾のライバルでおるキノッピーも、かなりのものですよ。最初のうちは、ちょいちょい奇声を発して走り回ってる近所でも有名なアホ……程度の者だったらしいんスけどね」
「それだけでも、充分おかしいよ」
「ところが、奴の名前を一躍有名にする出来事があったんスよ。キノッピーの実家の近くにある公園に、隣の市の『鷲の爪団』って暴走族が遠征してきて集会してたらしいんスよ」
「わ、鷲の爪団!?」
「ええ。こいつらは、かなりしょうもない連中なんスよ。で話を戻すと、鷲の爪団の連中は公園でゴミを撒き散らすは大声で騒ぐは、近隣の人にスゲー迷惑かけてたんスよ。そしたら、ブチギレたキノッピーがひとりで殴り込みをかけたんス」
「キノッピー、大した奴だね」
「ええ。ただ、その時の格好が凄くて……ヘアスプレーで髪の毛を角みたいな形に固めて何本かピンと立て、火のついた大きな松明を振り回して攻撃したんス」
「な、何だいその格好は……」
「でキノッピーの奴、自由の女神の天罰じゃあ! なんて喚きながら、松明をブンブン振り回したらしいんスよ。さすがに鷲の爪団の連中もビビっちゃってパニくっちゃって、すぐに全員逃げ出したんスよ」
「そりゃあ逃げるよな……じゃあ、頭の角と松明は自由の女神をイメージしてたのか」
「たふんそうッス。以来、キノッピーはハンパじゃねえ……って噂が広まり、Мガイズ結成となったらしいッス」
「ふたりとも、完全にイカレてるね」
「そうなんスよ。竹尾もキノッピーも、ヤクザだろうが半グレだろうが一歩も引かないイカレ野郎なんスよ。そんなふたりが、上野にはペコペコ頭を下げてる……何でだか、理由がわからないッス」
「簡単さ。そんなクレイジーなふたりが、頭を下げざるを得ないほどの大物だってことだよ。さすがは絶対王者だね」
小声でそんな会話をしつつ、咲希と木川は尾行を続ける。これから上野が何をするのか、ふたりは興味津々という表情であった。
やがて、上野は公園へと入っていった。大きくはなく、端から端までは二十メートルほどしかないだろう。ブランコや滑り台や砂場などが設置されており、数人の子供が遊んでいる。その側には、若きお母さんたちもいた。井戸端会議に花を咲かせているらしい。
そんな中に、上野はズカズカ入っていく。咲希と木川も、仕方なく公園へと入っていった。茂みに隠れ、そっと見つめていた。
だが、直後の上野の行動は完全に常軌を逸するものだった……。
上野は、鉄棒へと近づいていく。それも、子供用の低い位置に設置されたものだ。
何を思ったか、上野は鉄棒にぶら下がる。ニコニコ笑いながら、逆上がりを始めたのだ。
遊んでいる幼い子供たちもお母さんたちも、何だコイツは……という目で見ている。そんな中、子供用の鉄棒で逆上がりを繰り返す中年男……不審者というか、変なおじさん以外の何者でもない。
案の定、お母さんたちの話題は上野へと移った。
「なんなの、あのオヤジ」
「こんな時間から遊んでて、仕事してないのかしら」
「しかも、子供用の鉄棒で逆上がりしてるし」
「恥ずかしくないのかねえ」
お母さんたちがそんな話をしていた時だった。ひとりの男の子が、母の元にいき尋ねる。
「ねえ、お母さん。あの人、何してるの?」
言いながら、指さした先にいるのは……なおも逆上がりを繰り返している上野である。何が楽しいのか、ニコニコ笑っているのだ。
途端に、母は血相を変える。
「シッ! ともくん、見ちゃいけません! ちゃんとお勉強しないと、将来ああいう変なおじさんになっちゃうんだからね!」
そんな光景を、咲希と木川ほ唖然となりながら見ていた……。
何度くらい逆上がりをしただろうか。気が済んだのか、上野は鉄棒から手を離した。エコバッグを拾い上げ、おもむろに歩き出す。
咲希と木川も、慌てて後を追った。
次に上野が入っていったのは、古いデパートだ。白い外壁だが、汚れも目立つ。
上野は階段を使い、すいすいと上の階へと上がっていく。一応、このデパートにはエレベーターも設置されているのだが、使う気はないらしい。
咲希と木川は、ヒイヒイ言いながら階段を上り後を追った。
やがて、上野は屋上へと到着した。
遅れて、咲希と木川も屋上に着く。だが、そこに広がっていた光景を見た瞬間に唖然となっていた……。
屋上は、子供向けの遊戯施設となっていたのだ。菓子を取れるクレーンゲームや、線路の上を走る機関車風の乗り物。さらには、昔に流行ったであろうアーケードゲームの筐体などが置かれている。
そんな中で上野が何をしているのかというと、奇妙な乗り物にまたがり、嬉々とした様子で屋上内をぐるぐる回っているのだ。
上野がまたがっているのは、国民的アニメに登場する青い猫型ロボットがモチーフとなっている乗り物である。ただし、なぜか耳が付いていた。言うまでもなく、子供用のものである。いい年齢の大人が、人前で乗れるようなものではないはずだった。
ところが、上野は堂々と乗っているのだ。その態度たるや、自身の領地を見て回り悦に入っている帝王のごときものであった。
屋上には、他にも数名の子供と大人がいるが、みな上野の方を見ないようにしている……。
それから、しばらく経った日のこと。
咲希は、番創高の屋上にいた。ぼんやりと下を眺めている。
時刻は午後三時、雲ひとつない青空が広がっている。にもかかわらず、彼女の表情は沈んでいる。憂鬱、という言葉がそのまま当てはまる顔だ。
ややあって、木川が屋上にやってきた。
「咲希さん、凶封新聞もってきたッス」
言われた咲希は、ぼんやりした顔つきで新聞を受け取る。
しばらく中の記事に、無言で目を通していた。だが、途中で大きな溜息を吐く。
「また、上野が一位なのかい。なんで、あんな変人が絶対王者なんだろうな。あたしにはわからないよ……」




