悪霊のBAN踊り(5)
上野は、目を開けた。
気がつくと、窓から陽の光が射している。時計を見れば、既に十二時を少し過ぎている。
昨夜は、送り犬のポチローとしこたまビールを飲み、高級カニ缶のつまみを食べ、さらには社交ダンスをした。とても楽しい時間であった。
もっとも、後半の記憶はほとんどない。いつ寝てしまったのかも、さだかではなかった。
上野は上体を起こし、あくびをする。ルーティンであるラシオ体操をこなすと、テレビをつけた。荷物の中から、麩菓子とプロテインの袋を取り出す。
さじを使い、プロテインをシェイカーに入れた。水で溶かし、麩菓子と共に食べ始める。
テレビ画面には、例のごとく井戸が映っていた。またしても、中から白いドレスの女が這い出てくる。
昨日と同じく、女は白い椅子とテーブルをどこからか持ってきた。椅子に腰掛け、紅茶を飲みチーズケーキを食べている。
またしても、優雅な午後を過ごしてるというアピールかと思いきや、今日はそれだけではなかった。画面の外には、別の者がいるらしい。
女は、画面の外にいる何者かと話しているようだ。声は聞こえないし、女の顔は髪で覆われているため表情は見えない。しかし、会話を楽しんでいるのは伝わってきている。見る限り、相手は男性のようだ。
「ったく、今度は匂わせか。芸のない奴だ」
ボソッと呟くと、上野は麩菓子を食べプロテインドリンクを飲み干す。なんともおかしな食事を終えると、テーブルの上にソフビ製の人形を並べ始めた。
その時、ドアを叩く音がした。今度は何者が来たのだろうか。ひょっとして、またポチローが来たのかも知れない。
ワクワクしつつドアを開けると。目の前にはとんでもない奴が立っていた──
「おっす。俺ワニ。ワニのワニスケだワニ」
そう、上野の目の前にいるのはワニであった。後足で立ち、こちらを見下ろす姿は恐竜そのものである。それ以前に、二足歩行するワニを見たことのある者などいないだろうが……。
常人ならば、腰を抜かしていてもおかしくないだろう。だが、上野はこの程度で腰を抜かすほどヤワではない。
「いや、お前がワニかどうかは見ればわかる。問題なのは、何をしに来たのかだ」
「親友のポチローに呼ばれたから来たワニ。今日は、ここにお招きいただいたと聞いたワニ」
「な、何をバカなことを……」
言いかけて、ハッと気付いた。そういえば、それらしき会話をしたような記憶が……ないこともない。酒ですっかり気が大きくなり、オーケーオーケー任せなさい! と言ってしまった記憶も、おぼろげながら残っている。
そんな上野を尻目に、ずかずか上がり込むワニスケ。リビングで、持っていた風呂敷包みを開ける。
「とりあえず、アマゾン土産だワニ。まずは、ピラニアの干物だワニ」
「ピ、ピラニアの干物?」
「そうだワニ。酒のつまみに、いけるワニ」
「そ、そうか。わざわざすまんな」
「それと、新巻きピラルクも持ってきたワニ。みんなで食べるワニ」
そんなことを言いながら、担いできた巨大な魚をドンとテーブルに置く。
「お、おう。凄いな」
上野は、ピラルクの巨大さに唖然となっていた。
だが、そこであることに気づく。
「ちょっと待て。今、みんなと言ったな? まだ、誰か来るのか?」
「何を言っているワニ。今日は、俺が虹の橋を渡る日だワニ。だから、ここで最後のパーティーをするワニ。場所を提供してもらって、ありがとうだワニ」
「はあ? 虹の橋?」
上野が聞き返そうとした時、いきなりドアが開く。そこにいたのは、二本足で立つ巨大な狸であった。店先によくある焼き物の狸が、そのまま動き出したかのようである。
「やあ上野さん、あなたの噂は聞いているタヌ。儂は化け狸のタヌキチだタヌ。今日は場所を提供していただき、ありがとうタヌ。お土産も、いっぱい持ってきたタヌ」
そんなことを言いながら、徳利と風呂敷包みを担いでノッシノッシと入ってきたのだ。
呆気に取られている上野だったが、客人はさらに増えていく。たくさんのお稲荷さんを持ってきた、コンノジョウと名乗る化け狐。大量の松茸や栗を持ってきたカラタロウと名乗る鴉天狗。さらには、先日に会った化け猫のシロッコや送り犬のポチローまで入ってくる始末だ。
「おいポチロー、これはどういうことだ?」
上野は、そっとポチローに耳打ちした。
「えっ? 上野さんは昨日、ここをパーティー会場にしていいと言ってましたワン?」
「えっ? 俺、そんなことを言ったのか?」
「言いましたワン。むしろ、上野さんの方から頼んでいましたワン。ワニスケの旅立ちを、この家で皆と見送らせてくれ、と。俺も皆と踊りたい、とも言っていましたワン」
「そ、そうだったのか……」
全く記憶にない……わけではない。言われて見れば、そんなことを口走ったかも知れなかった。
困惑する上野を尻目に、妖怪たちは輪になって座り、楽しそうに語り合っている。
そんな中、最後に入ってきたのは……全身を白い毛に覆われた巨大なイタチであった。
「お集まりの皆さん、本日はワニスケくんの旅立つ日なのよ。皆で、楽しく送ってあげようじゃないの」
妖怪たちは、ウンウンと頷く。と、白イタチは上野を指し示す。
「あと、特別ゲストとして除霊師の上野信次ちゃんが来てくれたのよ。会場を提供してくださったのも上野ちゃん。てなわけで皆、拍手を!」
同時に、妖怪たちは一斉手を叩く。妖怪たちにも拍手なる習慣があるのか……などと思いつつも、上野は仕方なく笑顔で拍手に応えた。
「では、パーティーを始めるわよ!」
白イタチの声の後、どこからともなく料理が出てきた。カラタロウが勝手にキッチンに入り込み、妖怪たちの持ち寄った食材を調理しているのだ。皆は、さっそく食べ始める。
さらに、酒も出てきた。こうなれば仕方ない。上野も、妖怪たちと共に酒を飲み料理を食らう。
皆が楽しく飲み食いしている中、突然シロッコが立ち上がった。皆の前で、踊り始める。
あまりにも見事な踊りに、皆うっとりとなっていた。食べる手を止め、見入っている。だが、そんなシロッコを見ていて我慢できなくなった者がいた。
シロッコの踊りが終わると同時に、上野は勢いよく立ち上がる。そして、ポチローの方を向いた。
「シャル・ウィ・ダンス?」
言われたポチローも、こくんと頷く。ふたりは、皆の前で社交ダンスを始めたのだ。
決して上手いとはいえない、上野とポチローのダンス……しかし、人間と妖怪という本来なら交わることのない両者の社交ダンスは、不思議な化学反応を生み出していた。さらに、ふたりの優しい気持ちが、室内の空気を侵食していったのだ。
見ている妖怪たちは、暖かい気持ちに包まれていく──
「実に素晴らしいタヌ。儂も、久々にやりたくなったタヌ」
言いながら立ち上がったのはタヌキチだ。突き出た巨大な腹を、ポンポコと叩き始める。これまた不思議な音色だ。タヌキチの腹でしか出せない音だろう。
その腹鼓に合わせ、上野とポチローは踊る。さらに、コンノジョウの尻尾ダンスも加わった。宴は、さらに盛り上がっていく──
しかし、楽しい時間にも終わりは訪れる。不意に、ワニスケが二本足で立ち上がった。
「そろそろ時間だワニ。皆さん、これでお別れだワニ」
そう言った時、とつぜん室内に変化が生じた。壁と天井が消え失せ、巨大な橋が出現したのだ。皆はピタリと動きを止め、直立不動の姿勢で見守る。
七色の橋は、そのまま空高く伸びていった。白く神々しい光が、空一面を覆っている。まるで、昼間のような明るさであった。
虹の橋を、ワニスケはゆっくりと昇っていく。妖怪たちは、無言のままその姿を見送っていた。
上野もまた、橋を進んでいくワニスケの姿を見ていた。その目からは、涙が溢れていた。悲しみではなく、感動の涙である。一匹の妖怪が現世での役目を終え、天界へと昇っていく……それは、得も言われぬ美しい光景であった。
上野は気づいていなかった。虹の橋の出現、さらに天界から降り注ぐ光の効果により、この屋敷に巣食う悪霊たちもまた、綺麗さっぱり消え失せてしまったのだ。
翌日、上野は目を覚ました。あくびをし、上体を起こす。
と、リビングにはひとりの男が座っていた。頭に冠をかぶり、背中にはマント、そして白ブリーフ……そう、魔王アマクサ・シローラモである。
「なんだ、また来たのか。今度ほ何の用だ?」
面倒くさそうに尋ねる上野の前で、シローラモは突然笑い出した。
「フハハハハハハ! 上野さん、今回は僕の負けだ。いやあ、完敗だよ」
「はあ? 何が負けなんだ?」
「まさか、虹の橋を渡る妖怪を家に招き、天国への扉を開けて浄化の光を悪霊たちに当てるとは……何とも恐ろしい作戦を考えたものだ。さすがの僕も、こんな手は思いつかなかったよ」
「えっ? いや、そんなこと知らんのだが……」
呟く上野だったが、シローラモは聞いていない。立ち上がったかと思ったら、人差し指を上野に向ける。
「上野信次さん、今日より君は僕のライバルだ。今回はいさぎよく負けを認めるが、いつか君を恐怖のドン底に叩き込んでやる。その日を、楽しみに待っていたまえ」
わけのわからないことを言った直後、その姿はフッと消えた──
・・・
上野が、この家に来てから十日経った。
今、ふたりの男女が家に近づいていく。片方の男は鷲尾だ。緊張した面持ちで立ち止まり、家をじっと見つめる。
だが、その表情が一変した。
「消えている……この家に憑いていた悪霊が、全て消え失せている! さすが上野だ!」
鷲尾が、感嘆の声をあげた。
「ほ、本当ですか!?」
上擦った声で尋ねる女に向かい、鷲尾は大きく頷いた。
「ええ、間違いありません。この地の災いは、全て消え去ったのです。これで、人々も安心して住むことが出来るでしょう。それにしても……」
鷲尾の視線は、再び家へと向けられる。その目には、羨望と嫉妬と畏敬の念があった。
「上野信次、本当に凄い男だ。ひょっとしたら、奴は悪霊などより遥かに恐ろしい存在なのかも知れぬな。それにしても、奴の除霊術を一度でいいから見てみたいものだ。そのためなら、億の金を払っても構わない」
その頃、上野はリビングにいた。テーブルの上に、ソフビの怪獣を並べている。ピラニアの干物を食べながら、ソフビの怪獣をテーブルの上に配置していた。
やがて上野は、ソフビ怪獣の位置を少しずつ動かした。さらに、スマホで怪獣たちの撮影を始めている。
どうやら上野は、怪獣たちに社交ダンスをさせているようだった……。




