悪霊のBAN踊り(4)
上野は、困った表情で首を捻っていた。
彼の前には、一匹の犬がいる。体は大きく、毛の色は白い。その口からは、流暢な日本語が飛び出る──
「僕は、送り犬のポチローですワン」
送り犬という妖怪がいることは、上野も知っている。だが、彼は違う点に食いついていた。
「何? トチローだと?」
「違いますワン。ポチローですワン」
「そ、そうか。お前、宇宙海賊の友だちがいたりするのか?」
「はい? いないですが……何のことですワン?」
「何でもない。こっちの話だ。とにかく、立ち話もなんだから入れ」
そう言うと、上野はポチローを家の中に招き入れた。
「で、俺に何の用だ?」
「猫又のシロッコが昨日、あなたの前で踊りを披露したと言ってましたワン。感想の言葉をもらって、とても嬉しかったとも言ってましたワン」
「あ、ああ。まあな」
確かに、昨日そんなことがあった。だが、それと目の前の犬と何の関係があるのだろうか。
「そこで、お願いがありますワン。僕は、踊りが下手なのですワン。どうやったら上手く踊れるか、アドバイスをいただきたいのですワン」
「はあ? だったら他所に行け。俺は踊りの専門家ではない。素人だ。正確なアドバイスなど出来んぞ」
「だ、駄目ですかワン?」
「ああ、駄目だ。俺は、いい加減なアドバイスは言えん」
にべもなく答えた。
上野という男、基本的にいい加減でマイペースである。だが、妙にクソ真面目な部分もある。気に入らない奴からの仕事は、最初から引き受けない。だが、ベストを尽くすのは難しいと判断した仕事も引き受けたがらないのだ。
「わかりましたワン……」
悲しそうな顔で返事をすると、ポチローはそのまま立ち去ろうとした。
その時、上野は声を発する。
「ちょっと待て!」
言われたポチローは、ピタッと立ち止まった。恐る恐る振り返る。
そんな送り犬に、上野は真面目くさった顔で語りかける。
「さっきも言った通り、俺は踊りの素人だ。だがな、見るだけでいいなら構わんぞ。ここで踊ってみろ」
「み、見てくれるのですワン?」
「ああ。ただし、技術的なアドバイスは出来んぞ。見て、感じたままを言う。それでもいいと言うのなら、踊りを見せてくれ」
「わかりましたワン!」
言った直後、ポチローはすっと立ち上がった。どうやらシロッコと同じく、踊る時は二足歩行になるらしい。
一瞬の間を置き、踊りを始める。
その動きは、ぎこちないものだった。足元もおぼつかない。シロッコの踊りとは、比べものにならないレベルだ。まだ、踊り慣れていないのだろうか。
にもかかわらず、上野は黙ったままポチローの踊りを見ていた。
いつの間にか、女の悪霊も現れている。部屋の隅で、突っ立ったままポチローの踊りを眺めている。邪魔する気はないらしく、一言も発しようとはしなかった。
ポチローの踊りは続いている。少しずつ、ぎこちなさが取れてきた。緊張が抜けてきたらしい。
上野がそう思った時、ポチローは足を滑らせた。バランスが崩れる。直後、バタリと倒れた。
ポチローの表情が歪む。無理を言って見てもらったのに、こんな醜態を晒してしまった……。
しかし、彼は立ち上がった。何事もなかったかのように、踊りを続ける。
ところが一分も経たぬうちに、またしても転んでしまったのだ。どうやら、最初の転倒により動揺し、それが動きの乱れに繫がったらしい。
倒れたポチローの体は、ぷるぷる震えていた。顔は、先ほどよりも歪んでいる。上手く出来ない悔しさ、失敗してしまった恥ずかしさ、全てを投げ出してしまいたい気持ち……負の感情に襲われ、気持ちが揺らいでいるようだった。このまま逃げ出しても、おかしくはないだろう。
だが、ポチローは立ち上がった。すました表情に戻り、そのまま踊りを続ける。
そんな犬の姿を、上野は何も言わず見続けていた。
女もまた、じっとポチローの踊りを見ている。その顔から、憎しみは感じられない。むしろ、なぜ踊り続けるの? とでも言いたげな表情を浮かべていた。
やがて、ポチローの動きが止まる。どうやら、踊りが終わったらしい。恥ずかしそうにペコリと頭を下げると、四つ足の体勢に戻りドアへと歩いていく。
その時、上野が声をかけた…
「ちょっと待て。このまま帰る気か?」
「すみませんですワン。下手クソなものを見せてしまって……」
「確かに、お前の踊りは下手だった。昨日の猫又とは、比べものにならんな。はっきり言って無様なものだった」
上野の容赦ない言葉に、ポチローの耳と尻尾はだらりと垂れていた。横で聞いている女は、凄まじい形相で上野を睨みつける。もっとマイルドな言い方ができんのか? とでも言いたげな様子だ。
しかし、上野は怯まず話し続ける。
「ひとつ聞きたい。お前の踊りは下手だった。しかも、途中で二度も転倒した。にもかかわらず、最後まで続けた。これは、どういうわけだ?」
「せっかく見ていただいている以上、最後までやり抜こうと思ったからですワン」
申し訳なさそうに答えるポチローに、上野はなおも尋ねる。
「もうひとつ聞かせてくれ。お前は、何のために踊る?」
「友だちのためですワン。僕の友だちが、遠くからはるばる会いにきてくれるのですワン。だから踊りを披露して、もてなそうと思ったのですワン」
「その友だちというのは、お前にとって本当に大切な存在なのだな」
「えっ、なんでわかるのですワン?」
「踊る姿から、お前の気持ちが伝わってきた。先ほども言った通り、俺には踊りの技術はわからん。しかし、お前のひたむきさは理解できた。失敗し心が折れそうになりながらも、くじけず立ち上がって最後までやり抜く……その姿は、実に素晴らしいものだったぞ。率直に言って、俺は感動した」
「ほ、本当ですワン?」
「本当だ。お前の友だちも、今のお前の踊りを見れば、必ず何かを感じてくれるはずだ。上手く踊ろうなどと考えず、今の自分の精一杯を出し切る……それだけを考えろ」
「あ、ありがとうございますワン!」
そう言うと、ポチローは再び帰ろうとした。しかし、上野は呼び止める。
『おい、まだ帰るな。ついでに、ビールでも飲んでいかんか」
言いながら、上野は立ち上がった。冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。そう、この男はあらかじめ買い込み持ち込んでいたのである。
「ワ、ワン?」
「なんだ、嫌なのか?」
「違いますワン! いいのですかワン?」
「当たり前だ。こちらこそ、いいものを見せてもらった。その礼をさせてくれ」
異様な光景であった。
リビングにて、上野とポチローはビールを飲み、一万円近くする高級カニ缶をつまみにしながら、楽しそうに語りあっているのだ。
リビングの隅には、女の悪霊がいる。上野とポチローの語らいを、微笑みながら見ているのだ。先ほどまでの敵意に満ちた表情は完全に消えていた。
さらに、いつの間にかテレビもついていた。画面には井戸が映っており、白いドレスの女が這い出てくる。
ドレスの女は井戸の縁に腰掛け、上野とポチローの語らいを見つめている。長い髪のため表情はわからないが、敵意は感じられない。
上野とポチローはというと、悪霊たちなど完全に無視して語り合っている。内容はというと、最近の妖怪事情や人間界の物価高についてだ。
やがて、話だけでは物足りなくなってきたらしい。上野が、すっと立ち上がったのだ。合わせるように、ポチローも二本足で立ち上がる。
「シャル・ウィ・ダンス?」
上野の問いに、ポチローはこくんと頷く。
ふたり……いや、ひとりと一匹は、リビングで社交ダンスを始めたのだ。どちらもぎこちないステップであり、お世辞にも上手いとはいえない。
にもかかわらず、両者はとても楽しそうであった。そんな上野とポチローを、屋敷の悪霊はじっと眺めていた。




