俺たちに首はない(1)
「先生、やっぱりいるんでしょうか?」
女が尋ねる。
彼女の名前は大東恵子。見た感じの年齢は二十代、身長は百六十センチ強といったところか。髪はショートカットで、顔は見事なまでに整っている。Tシャツとホットパンツという露出度の高い格好であり、バストは大きく形も良く、ウエストはキュッとくびれている。そこらのグラビアアイドルなど裸足で逃げ出すくらいの素晴らしい肉体を、露出の多い服装で惜し気もなく晒しているのだ。町を歩けば、大抵の男が振り返るだろう。
しかし、彼女の実年齢が三十三歳であることを上野は知っていた。ついでに、ニューハーフであることも知っている。もっとも、直接会うのは今日が初めてだった。
「ええ、間違いなくいますね。恐らく、どこかからこの部屋に取り憑いてしまったようです。あと、近いので離れてください」
言いながら、彼女の豊満な胸を押し付けられている己の腕を見る。と、大東は慌てて飛びのいた。
「あっ、すみません!」
ペコリと頭を下げた。どうやら、色仕掛けで上野をたぶらかそうという作戦ではなく、単純に怖かったらしい。まあ、それも仕方ないだろう。
ふたりが今いるのは、都内のマンションの一室だ。ここは、妙に霊気が濃い。霊感のない人間でも、異様さがわかるだろう。事実、前の住人は心を病んでしまい入院してしまったのだ。
そのため、家具は前の住人がいた時のままである。今も部屋全体から、不気味な空気が漂っていた。
この事態に困り果てたオーナーが、行きつけのニューハーフバーのママである大東に相談し、大東が顔の広いコンビニ店員の入来宗太郎に相談し、入来は上野に相談し……かくて、上野がここに来たのである。
「本来、こんな小さな仕事は引き受けません。しかし、入来くんの仲介となれば仕方ないですね。お受けしましょう」
上野が面倒くさそうに言うと、大東の顔がパッと明るくなった。
「本当ですか!? 先生、ありがとうございます!」
言いながら、抱き着かんばかりの勢いで近づき、手をガシッと握る。上野は、顔を歪めつつ手を引き抜いた。
「だから、近いですって。それに、俺は先生と呼ばれるほどの者ではありません。なので、先生はやめてください」
上野の言葉に、大東は慌てて頭を下げる。
「す、すみません」
「もうひとつ。引き受けるにあたって、条件があります」
「な、なんですか?」
「除霊する間は、何人たりともこの部屋に来させないでください。僕が個人的に呼び寄せる者は別ですが、それ以外の人間は除霊が終わるまで訪問させないでください。覗くのも無しです。いいですね?」
「わかりました。オーナーにも、そう伝えておきます」
困惑しながらも、大東は頷いた。
「では、さっそく今夜から取り掛かりましょう。ま、タイタニック号にでも乗った気分でお任せください。かかって来なさい霊能現象、ですよ」
その日の夜。
上野は、さっそく仕事に取りかかる。部屋の中にスーツケースを運びこみ、背負っていたバックパックを床に下ろす。
その時だった。部屋の隅に、奇妙な者が出現する──
首のない人間が、膝を抱えて座っていた。体育座りの姿勢で、何の前触れもなく登場したのだ。一応、Tシャツらしきものを身に付けてはいるが、大量の染みが付いており元の色がわからない。履いているのは短パンだが、これまた大量の染みのせいで元の色がわからなくなっている。
常人ならば、悲鳴を上げ外に飛び出していてもおかしくないだろう。だが、上野はちらりと見ただけだった。スーツケースを開け、中のものをチェックする。全て揃っていることを確認し、満足げに頷いた。
直後に立ち上がり、部屋の中をひとつひとつ見ていく。すると、座っていた首なし人間も動いた。すっと立ち上がり、彼の後を付いていく。
上野は、付いて来ている者を完全に無視していた。バスやトイレをチェックすると、テレビのあるリビングに座り込む。
置かれていたリモコンを手に、テレビの電源を入れた。すると、首なし人間が音もなく入ってくる。部屋の隅にて、膝を抱え座り込んだ。
上野はちらりと見ただけで、すぐにテレビへと視線を戻す。
画面では、アニメが放送されていた。エプロンを付けた可愛らしい三毛猫が料理を作っていた。二本足で立ったまま移動し、肉球の付いた手で包丁を握り野菜を切っている。時おり、「お野菜を切る時は、大人の人に付いていてもらうのニャ。忘れないでニャ」などとナレーションが入る。
恐らく、子供向け教育番組の類なのだろう。だが上野は、食い入るような目で見ていた。そんな変な中年男を、首なし人間は部屋の隅からじっと眺めている。彼に目はないが、どうやら見えているらしい。
やがて、画面の中で三毛猫が料理を作り終えた。どうやら、ロシア料理のボルシチを作ったらしい。作ったボルシチを、スーツ姿で怖そうな風貌の外国人の前にそっと差し出す。この外国人、どう見ても某ロシア大統領がモデルだろう。
一歩間違えれば、国際問題にもなりかねないキャラであるが、この外国人は三毛猫の作ったボルシチを一口食べた。
直後、いきなり立ち上がる。
「ハラショー! スパシーバ!」
叫んだかと思うと、満面の笑みを浮かべる。直後、その場でコサックダンスを始めたのだ。同時に、陽気なロシア民謡が大音量で流れる。
そんなシュールな状況下で、三毛猫はこちらに向かい手を振る。
「ボルシチ、とっても美味しく作れましたニャ! みんなも、おうちで作ってみて欲しいのニャ! じゃ、また来週ニャ!」
言葉の直後、番組は終了した。上野はウンウンと満足げに頷く。
「この若干の不条理さすら感じさせる展開、実に素晴らしい。出来れば、映画化して欲しいものだ。DVDが出た暁には、必ず買ってやる」
呟くと、今度はバックパックを開ける。中から、カップラーメンを三つ取り出した。その全てに、お湯を入れていく。蓋を閉めると、立ち上がり拳法のような動きを始めた。蝿が止まりそうなくらいゆっくりとした動作で、突きや蹴りを虚空に放つ。太極拳のごとき動きだ。
首なし人間は、その姿をじっと眺めていた。
不意に、上野は動きを止めた。タイミングを計ったかのようにスマホをチェックし、その場に座る。
「うむ、ちょうど三分。さすがは俺だ」
そう言うと、カップラーメンの蓋を開けていく。醤油、味噌、豚骨の三種類だ。
テレビを観ながら、上野はその三つを順番に一口ずつ味わっていく。時おり箸を止め、満足げにウンウンと頷く。
「同時に三つのカップラーメンを食べる。この行為には、罪の意識すら感じてしまうな。だが、その罪悪感がなんともいえないスパイスだ。まさにスパシーバだな」
訳のわからないこと呟き、再び食べ出す。首なし人間は、そんな姿を部屋の隅からじっと眺めていた。
やがて、上野はカップラーメン三つを食べ終えた。ふうと一息つく。
しばらくは、ボーッとテレビを観ていたが……やがて、むっくりと立ち上がる。
スーツケースの中から、何かを取り出す。それは、古いゲーム機であった。
上野は、ゲーム機をテレビに繋ぐ。さらに、古いカセットを差し込む。
電源スイッチを入れ、ゲーム機を起動させた。古い有線式のコントローラーを操作していたかと思うと、その場に寝転がる。
画面では、古いドット絵のキャラたちが野球をしていた。操作していないのに、勝手に動き試合をしている。そう、これはコンピュータ同士が試合をしているモードなのだ。
一昔前、いや四昔くらい前の野球ゲームを、コンピュータ同士で試合させ観戦する……あまりメジャーではない遊び方だろうが、上野は本当に楽しそうに、その試合を観戦している。
やがて、彼の表情も変わってきた。ホームランを打てばウンウンと満足げに頷く。チャンスで三振すれば、チッと舌打ちする。やがて、声も漏れでてきた。
「そろそろ交代ではないのか」
「何をやってるんだ。さすがに監督の采配を疑うな」
「ここは川藤しかいないだろうが。代打を出せ」
「なぜ、ベストを尽くさないのだ」
横向きに寝そべり、試合に対する己の感想をブツブツ語っている。そんなおかしな中年男を、首なし人間は部屋の隅からじっと見つめていた。
しばらくして、試合が終了した。上野はふうと溜息を吐き、かぶりを振る。
「予想通りの展開だな。やはり、代打で川藤を出さなかったのが最大の敗因だろうな。それにしても、小谷正平を使えないのが悔しくてたまらん」
ゲーム機の電源を切り、試合を振り返りながら呟いた。寝そべった姿勢のまま、今度はテレビを見始めた。もっとも、楽しんでいる様子はない。つまらなさそうに眺めている。
首なし人間も、そんな彼をじっと見つめていた。