バカップラーそうたん(2)
上野の目には、妙なものが見えていた。
バカップル入来と山樫がイチャついているベンチから、二十メートルほど離れた場所……そこに、奇妙な男が立っている。
まず、身長が異様に高いのだ。周囲にある物と比較すると、三メートルはあるという計算になる。しかも、頭頂部がハゲておりサイドが長髪という落ち武者のごとき髪型だ。その上、格好はほぼ全裸ときている。見たくもないものをプラプラさせているが、なぜか靴下だけはきっちりと履いていた。どういう趣味なのだろう。
誰が見ても不審者以外の何者でもないのだが、時おり横を通る通行人は、一顧だにせず歩いていく。なぜかと言えば、この不審者は霊だからだ。
困ったことに、入来は霊が見えるようなのだ。本人に確かめたことはないが、それらしい素振りを見たことがある。
その入来は、ニコニコしながら山樫との会話を楽しんでいる。今のところ、彼の目には愛しい彼女のことしか見えていないらしい。
入来の視界にあれが入ってしまうと、恋人たちの楽しい時間がぶち壊しになるのは確実だ。上野は、音を立てずそっと遊具を出た。ベンチにて会話に没頭しているふたりの視界に入らないよう、公園を出た。
遠回りして霊に近づき、そっと声をかける。
「お前、あのふたりに何か用か?」
その声に、霊はゆっくりと振り返る。じろりと睨みつける。身長三メートルの巨体が、こちらを見下ろしているのだ。大抵の者なら、即座に逃げ出すだろう。
だが、上野は怯まなかった。このまま放っておいては、確実に災いをもたらす。
「どういう趣味か知らんが、そんな格好でうろうろするなバカ。いいから、ちょっと来い」
そう言うと、上野はくるりと向きを変えた。公園を出て、路地裏へと入っていく。
やや遅れて、霊も路地裏に入っていった──
そんなこととは露知らぬ山樫は、入来に向かい話し続けている。
「そうそう。うちのひい婆ちゃんがいる時は、カップラーメンから目を離してはいけないっていう掟があったんだよ。目を離したが最後、鰹節とか干し海老とかを山のように入れられるから」
「そりゃあ凄い。まあ、可愛いひ孫に少しでも栄養をつけて欲しいっていう愛情なんだろうね」
「うん、それはわかるんだよ。でもさ、たまにとんでもないの入れてくるんだよ」
「えっ、どんなの?」
「なんかさ、秘伝の粉みたいなのを入れるんだよ。漫画とかであるじゃん、サソリとかコブラとかを黒焼きにして、粉末にしたやつ。あんな感じのを入れるんだよ」
顔をしかめつつ語る山樫に、入来も顔をしかめる。
「うわあ、それは強烈だねえ。まずそうだ」
「実はさ、味の方はそんなにマズくないんだよ。ただ、見た目は最悪だけどね。どす黒い色だから」
聞きながら、ウンウンと頷いていた入来だったが……ふと、ある疑問が浮かんだ。
「ちょっと待って。味の方はマズくないってことは、どす黒い粉がかかってるカップラーメン食べたの?」
「うん、食べた」
「そんなの、よく食べられたね」
「だってさ、もったいないじゃん。それにさ、食べないとひい婆ちゃんが怒るんだよ。これは山樫家に伝わる秘薬だ! なんて言ってさ。しょうがないから食べたよ」
「そりゃあ災難だねえ」
「うん。でもさ、それだけじゃないんだよ。さっき宗たんも言ってたけど、ひい婆ちゃんはあたしに栄養つけさせようと思って入れてくれてるわけだよ。その気持ちをさ、無下に出来ないじゃん。だからさ、仕方なく食べたよ」
「優しいんだね」
きわめて真面目な顔で入来は言った。すると、山樫の頬が真っ赤に染まる。
「ちょ、ちょっとやめてよ。別に優しくないから」
「いや、優しいよ。アキちゃんは優しくて、顔も可愛い」
入来の顔は真剣そのものである。からかうような素振りは微塵も感じられない。しかし、山樫は照れまくっていた。
「や、やだ……やめてってば」
「いやあ、本当に優しくて可愛くて、アキちゃんは最高だなあ。僕は幸せだよ」
その時、山樫は怖い顔で睨みつける。
「ちょっと! やめてって言ってんでしょ! 怒るよ!」
「ご、ごめん」
慌てて謝る入来だったが、山樫の怒りは収まらない。ベンチに座った状態で、地団駄を踏む。
「あー、もうムカつく! すっげームカつく! すっげームカつく! すっげームカつく!」
「本当にごめん。もう言わないよ」
どうにかなだめようとする入来だったが、山樫は地団駄を踏み続ける。
その時、上野が路地裏から出てきた。そっと近づいていき、またしても遊具の中に隠れる。しかし、バカップルに気づいた素振りはない。山樫は地面を踏み付けながら、さらに怒鳴り続ける。
「あー、もう本当にムカつく! なんか嫌がらせしてやりたい! 三時間くらい、暗く悲しい気分になるような嫌がらせしてやりたい!」
「どんなことしたいの?」
真顔で尋ねる入来に、山樫の動きが止まった。
「えっ……」
「三時間くらい悲しい気分になる嫌がらせって、具体的にどんなこと? 教えて教えて」
聞いていた上野は、思わず拳を握る。なぜ、そんなことを聞くのだろう。入来は、実は空気が読めない男なのだろうか。
「う、ううう……」
唸りつつ下を向いた山樫だったが、すぐに顔を上げた。
「あ、あれだよ! 稲妻レッグラリアート百連発!」
聞いた瞬間、吹きだしそうになる上野。しかし、入来は首を傾げる。
「えーっと、いなずまれっぐらりあーと? 何それ?」
「いや、わかんない。昔、爺ちゃんがそんなこと言ってた」
「えっ、わかんないの? わかんないのに、百連発やる気なの?」
「うん。なんか強そうだから」
山樫は、自信満々の表情で答える。上野は笑いをこらえつつ、成り行きを見守る。
その時、入来がズボンのポケットに手を入れた。
「ちょっと調べてみよう」
そんなことを言った直後、スマホを取り出す。検索してみると、出てきたのはプロレスの動画だ。見たことがなく名前も知らない日本人プロレスラーが、飛び蹴りのような技を相手に見舞っている。
入来は、顔をしかめつつ口を開いた。
「これが稲妻レッグラリアートらしいんだけど……こんなの百連発されたら、三時間の悲しい気持ちじゃ済まないよ。たぶん、三年くらい入院生活を送ることになるんじゃないかな」
「うん、そだね」
「もうちょっと、軽いのにしてくれないかな」
「もうちょっと軽いの? うーん、何がいいかなあ?」
腕を組み、考え込む山樫。うーん、という声が遊具の中にまで聞こえてきた。
その時、入来が口を開く。
「あっ、そういえばさ、さっき秘伝の粉みたいなのを食べてたって言ってたじゃない」
「えっ、何を唐突に……確かに食べてたけどさ」
きょとんとした顔の山樫に、入来は自説を公表する学者のごとき表情で語り出した。
「アキちゃんて、すっごい丈夫だよね。壁もよじ登れるしさ。あれって、その秘薬を食べてきたからじゃない?」
「えええ……」
眉間に皺を寄せた山樫だったが、すぐに納得した表情になった。
「なるほど。言われてみると、そうかもしれないね」
「だったらさ、ひいお婆さんに感謝だね」
「そだね。天国のひい婆ちゃんに、感謝!」
言った直後、空に向かい拳を突き上げる。その姿はユニークなもので、入来はくすりと笑った。
「何それ」
「ちょっと、何笑ってんの?」
「ごめんごめん。今のアキちゃん、すっごく可愛かったなあって思ってさ」
言った途端、またしても山樫の頬が赤くなる。
「はっ、はあ!? またそうやって人をバカにして!」
「してないよ。アキちゃん、本当に可愛いから」
そのセリフは、燃え盛る炎にガソリンを注ぐようなものだった。山樫は、両拳を振り回す。
「ああん! もうムカつく! すっげームカつく! 意識高い系のOLの自分語りくらいムカつく!」
「ごめんよう。機嫌直して、ね?」
「もう怒った! カップラーメンのしらす干しより、さらにハイレベルな嫌がらせしてやるから!」
「どんな嫌がらせ?」
ここに来て、上野はようやく理解した。このバカバカしいやり取りは、ふたりにとって神聖にして欠かすことの出来ないもの……イチャイチャの儀式なのだ。
だんだん腹が立ってきた。同時に、俺はここで何をしているのだろう……という考えが頭をぐるぐる回り出す。上野は、音を立てずに遊具を出て公園を離れていく。
帰り際、そっと振り返る。相変わらず山樫が地団駄を踏み、入来がなだめていた。
翌日、上野はコンビニに入った。すると、店員の入来がニコニコしながら挨拶する。
「あっ、上野さん。いらっしゃいませ」
「何がいらっしゃいませだ。ったく、こっちは大迷惑だよ……」
ぶつぶつ言いながら、上野はカゴを手にして店の中をうろつき始めた。
一方の入来は、彼に聞こえない位置でそっと呟く。
「昨日は、ありがとうございました」




