でも、第一の除霊(2)
上野信次は、駅に向かい歩いていく。不快そうな表情で、電車に乗り込んだ。
しばらくして、とある駅で降りる。少し歩くと、目当ての店があった。
それは、どこにでもあるコンビニだ。
「いらっしゃいませ……あれ、上野さん?」
若い店員は、上野の顔を見るなり困惑した表情を向ける。中肉中背で、いかにも人の良さそうな顔立ちだ。
そんな青年を前に、上野の表情は渋くなっていた。
「なんだ、その顔は。俺に来られて、迷惑だとでも言いたいのか」
「そ、そんなこと、誰も思ってませんよ」
困った顔の店員を、上野はじろりと睨みつける。
この店員は、入来宗太郎である。筋金入りの変人である上野だが、入来とはよく話す間柄だ。
「嘘をつくな。どうせ、陰で俺の悪口を言っているのだろう。変人だの偏屈だの便所コオロギだの、好き放題言っているのだろうが。俺には、全てまるっとお見通しだ」
言ったかと思うと、上野はずいと顔を近づける。
「沢崎とかいう女の仕事、受けてやったぞ。感謝しろ」
小声で囁いた。
「そ、それはどうも。ありがとうございます」
「で、どうなんだ? あの沢崎とは、いい感じなのか?」
何やら意味ありげな笑みを浮かべ、小声で聞いてくる。だが、入来はきょとんとなっていた。
「は、はい?」
「あの女、二十八らしいな。まず、顔が可愛い。さらに、お前より少し年上でしっかりしている。お前みたいなヘラヘラした適当な男は、姉さん女房にリードしてもらうのがちょうどいいだろうからな。お前らは、まるっとピッタリお似合いだ」
言いながら、己の言葉に同調するかのようにウンウンと頷く。入来は、困った顔で口を開いた。
「あ、あの、何か誤解されているようですね。僕と沢崎さんは、ただの知り合いですよ」
「ごまかさなくていい。俺にはわかっている」
またしても、訳知り顔でウンウンと頷く上野。だが、入来は首を横に振った。
「いや誤解ですって。ただの知り合いです」
そこで、上野もようやく気づいたらしい。
「そ、そうなのか? 本当の本当に、ただの知り合いなのか? 結婚を前提にお付き合いしているとか、そんな関係ではないのか?」
「違いますよう。本当にただの知り合いですよ」
すると上野の顔に、カツアゲするチンピラのごとき表情が浮かぶ。
「ふざけるなよ……じゃあ俺は、何のために引き受けたんだ?」
「えっ? ちょっと何言ってるのかわかんないんですけど」
「もういい」
ぷりぷり怒りながら、上野はカゴを手にじっくりと店内を回る。入来は、困った顔をしながらも彼の動向を見守っていた。
やがて、ビールと大量のつまみをカゴに入れ、レジへと持ってくる。
「いやあ、本当にまいったなあ。今日はここに来るために、電車に乗ってしまったぞ。いやあ、疲れるなあ」
わざと聞こえるかのように、ひとり言をいう上野。入来は、困惑した表情になりながらも反応する。
「えっ? あのう、わざわざ電車に乗ってここに来たんですか? 近くにコンビニとかないんですか?」
「なんだ、人のひとり言に聞き耳を立てるとは、相変わらず失礼な奴だな。一応、コンビニは駅近くにあったよ」
「そ、そうですか。なぜ、そちらに行かないんですか?」
入来は、軽い気持ちで聞いた。直後、しまったという表情になり慌てて口を閉じる。だが、遅かった。
「どういう意味だ? お前みたいな手のかかる変人は、手近なコンビニにでも行っていろと言いたいのか? この店には来るなということか?」
聞いてきた、というより詰問してきた上野に、入来は愛想笑いを浮かべる。
「そんなこと思ってないですよ。僕、上野さんのこと尊敬してますから」
「嘘つくな。俺にはわかってるんだ。どうせ陰で、変人だの偏屈だの便所コオロギだのと言っているのだろう」
「言いませんよ。だいたい、便所コオロギって何なんですか。言うわけないでしょう」
ついに呆れた表情になり、ツッコむ入来だった。が、その瞬間に上野の表情が変わった。
「ということは、変人だの偏屈だのの部分は認めるんだな。本当に失礼な奴だ」
勝ち誇った表情で、上野は言ってきた。はい論破、とでもいわんばかりの顔つきである。
入来は仕方なく、神妙な顔を作り下を向く。この男、まだ二十五歳だが、コンビニ店員のキャリアは十年近い。様々なタイプの客のデータが頭に入っており、それに応じた対応が出来る男なのだ。友人知人も多く、町の有名人である。
気難しい超変人の上野も、なぜか入来には気軽に話しかけてくるのだ。
「いいか、俺はコンビニに行くなら、この店と決めてるんだ。お前が陰で何を言おうが、また何度でも来てやるからな。覚悟しておけ」
そう言うと、上野はリュックの中にビールと大量のつまみを入れていく。妙に嬉しそうな表情で、意気揚々と店を出ていった。
「ありがとうございました」
ホッとした顔で、入来は頭を下げる。すると、タイ人バイトのチャンプア・ゲンノラシンが近づいてきた。陽気な雰囲気だが、かつてはムエタイのプロ選手だった経歴を持つ。
そのチャンプアが、ニコニコしながら話しかけてきた。
「あの上野さん、変な人だから誰も友達いないよ。だから入来さんと話すの好きよ。好きで好きで仕方ないよ。だから、話したくて店に来るんだよ」
「好きで好きで仕方ないって、そりゃ誤解を招く表現だね。それにしても、上野さんも大変だ。また、変なのと戦ってるのか」
入来は、誰にともなく呟いた。
その後、上野はどこにも寄らなかった。真っすぐ駅に行き、電車に乗る。
部屋に帰ると、バックパックから買ってきたものを取り出す。缶ビールと、大量のつまみだ。
それらを傍らに置くと、昨日と同じように将棋盤を床に置く。次いで、駒を並べ始めた。部屋にいる青年の態度も、昨日と全く同じである。突っ立ったまま、上野の奇行をじっと眺めている。
駒を並べ終えると、上野は頭を下げる。
「お願いします」
言った後、駒を動かした。
直後、顔を上げ青年を睨む。
「さあ、お前の番だ。早く指せ」
その瞬間、青年の表情が僅かに変化した。一方、上野はなおも言い続ける。
「おい、早くしろ。お前が生前、将棋好きだったのは全てまるっとお見通しなんだよ。ほら、お前の番だ」
しかし、青年はぴくりとも動かない。上野は、面倒くさそうに溜息を吐いた。
「まったく、一手目から長考とは面倒な奴だな。まあいい、指したら教えてくれ」
そう言うと、スマホをいじり始めた。ビールを飲み、つまみのチーズかまぼこを食べながら、スマホを見ている。
どのくらいの時間が経ったろうか。不意に、ぱちんという音がした。見ると、相手方の駒が動いている。さらに、青年が正座していた。
上野はニヤリと笑う。
「やっと決まったか。よし、こうだ」
言いながら、駒を動かす。
すると、青年も自陣の駒を動かした。普通の人から見れば、駒が自動的に動いているようにしか見えないだろう。
しばらくは、静かなペースであった。だが、途中から上野が騒ぎ出す。
「どうだ! 王手飛車取りだぞ! もう、俺には勝てん!」
その後は、勝ち誇った表情で駒を動かす上野。青年の表情は変わらないが、形勢が不利なのは明らかだった。
やがて、勝敗が決する。上野が勝ったのだ。
「わははは! 俺の勝ちだ!」
叫ぶと同時に、上野はビールをぐいと飲み、つまみの魚肉ソーセージを一本まるごと一気食いした。さらに、奇怪な動きで踊り出す。両手両足を振り上げ、腰を前後に振るっている。どうやら、勝利を祝うダンスらしい。
青年は正座の体勢で、そんな上野の奇行をじっと眺めていた。
ややあって、凄まじい速さで手を動かす。一瞬にして、盤面の駒を並べ直してしまった。と、その動きに気づいた上野は、勝利のダンスをやめて彼を見下ろした。
「ほう、まだやる気か。面白い、相手になってやる」
言ったかと思うと、すぐさま正座する。
今度は、青年の方から駒を動かした。それを受け、上野も駒を動かしていく。
室内は、駒を動かす音以外は何も聞こえない……だが、静寂は長く続かなかった。勝敗が決したのである。
「まいりました」
深々と頭を下げたのは上野である。そう、今度は彼が負けたのだ。礼儀正しく、負けを認め一礼した。
が、直後にバタリと倒れる。仰向けになった上野は、天井に向かい喚き出した。
「ちくしょー! 負けた! ぐやじい!」
喚きながら、手足をバタバタさせ室内をゴロゴロ転がる。駄々をこねる子供そのものだ。
だが、それは数秒で終わった。すくっと起き上がった上野は、ビールを飲み、つまみの魚肉ソーセージ一本を一気食いする。
「勝ち逃げは許さんぞ! 勝負だ!」
吠えた上野を見た青年は、恐ろしい速さで駒を並べる。
ふたりの戦いは再開された。上野が吠え、ビールを飲み、つまみの柿ピーをぽりぽり食べる。迎え討つ青年はというと、静かに駒を動かしていく。
対照的な両者の戦いは、いつまでも続いた──
どのくらいの時間が経っただろう。
やがて、上野はバタリと倒れる。口から聞こえるのはいびきだ。彼は、飲みすぎて将棋を指しながら寝てしまった。
一方、青年はそんな上野をじっと見つめている。半壊した顔には、笑みが浮かんでいた。
やがて、青年は立ち上がる。と、彼の体を白い光が包んでいった。
青年の体は、少しずつ薄れていく。その時、彼の口から言葉が洩れる。
「ア、リ、ガ、ト、ウ……」
数時間後、上野は目を覚ました。むっくり起き上がる。首だけを動かし、周りを見回した。
青年の姿は、影も形もない。それが何を意味するのか、考えるまでもなかった。
「ちくしょう、勝ち逃げしやがって」
ひとり呟き、上野は荷物をまとめ始めた。もう、仕事は終わりだ。
彼は、本来いるべき場所に旅立ってしまったのだから……。
その夜、沢崎が部屋を訪れた。不安そうな面持ちで、上野に尋ねる。
「ほ、本当に除霊は完了したのでしょうか?」
「はい。間違いなく旅立って行きました。嘘だと思うなら、あなたがここに泊まって確かめてみればよいでしょう」
答える上野の表情は冷たい。霊を相手に将棋を指していた時とは真逆である。
「い、いえ、嘘だなんて……とにかく、ありがとうございました。代金の方は、明日にでも振込みますので」
「そうしてください。ところで、念のためお聞きします。あなたと入来宗太郎は、ただの知り合いという解釈で間違いないのですね?」
聞かれた沢崎は、きょとんとした顔で答える。
「えっ、ええ。入来さんは、いいお友達です」
「本当に、ただのお友達なんですね?」
「あ、あのう……あたし、ちゃんと彼氏がいますんで。IT企業の社長です。年収は億いってますから」
胸を張り、何やら自慢げな口調で語る。その態度に、上野はカチンときた。
「なるほど、よくわかりました。では、もうひとつ。今後、俺に連絡はしないでください」
「は、はい?」
困惑した表情の沢崎を、上野は鋭い目で見下ろす。
「今後、あなたからの除霊の依頼は一切お受けしませんので、あしからず。では失礼します」
そういうと、上野はバックパックを背負い部屋を出る。振り返りもせず、去って行った。