超聖人エル・カラス(2)
それから一月後、カラス神父とメリーは日本に降り立った。エクソシスト協会会長から、直々の指令を受けたのである。
(日本に、恐るべき悪魔が出てしまったらしい。是非とも、今すぐ日本に渡り祓って欲しい)
カラス神父とメリーは、すぐさま動いた。飛行機に乗り、はるばる日本へとやってきた。
空港にてふたりを出迎えたのは、なんと上野信次である。日本でも屈指の除霊師として一部で知られている彼だが、今回は協力者として教会より依頼を受けたのだ。
「自分のこと、カラス住職だ」
上野と対面したカラス神父は、日本語で挨拶する。
正直、上野は困ってしまった。恐らく「私はカラス神父です」と言っているつもりなのだろう。この神父、日本語の基本的な流れは、きちんと理解している。何とか意味も通じるが、単語の選択に致命的な誤りがある。出来ることなら、もう少し勉強してきて欲しかった。
そんなことを思う上野に対し、カラス神父は気付かず喋り続ける。
「貴様は日本でも上等な霊幻導師と知ったのであられる。よろぴく願おう」
そう言うと、右手を差し出してきた。上野は、引き攣った顔で握手する。何を言っているのかはわかるが、やはり困ってしまう。
カラス神父は、ニッコリ微笑んだ。だが次の瞬間、その表情が引き締まる。
「悪魔はどこぞに控えておられる? 自分の即座に猛進し撃滅する」
その言葉を、混乱しつつもどうにか解読する上野。要は、直ちに悪魔を祓いたいのだろう。何とも仕事熱心な男である。最強のエクソシストと言われるのも頷ける。
「お待ちください。長旅でお疲れでしょう。とりあえず、近くのホテルを予約しております。まずは、そちらにてお休みになってください」
そう言った上野に、カラス神父は険しい表情を向ける。
「お気持ちはたくさんたくさん愛でていただきたい。が、ここに出陣した悪魔はほんまのほんまに大号泣な大恐慌を煽るものと耳をかっぽじいた。すぐに突進し突撃し殲滅大破せねばいかんと思考するであられる」
とんでもない答えが返ってきた。おそらくは「気持ちはありがたい。しかし、出現した悪魔は恐ろしい奴だと聞いた。すぐさま祓わねば恐ろしいことになる」と言っているのだろう。
だが、このまま行かせるわけにはいかない。悪魔祓いは簡単なものではないのだ。長旅で疲れている状態で行えば、万一の事態もありうる。自分が付いていく以上、百パーセントの状態で悪魔祓いを行って欲しい。
上野もまた、険しい表情で口を開く。
「はい、あなたのおっしゃることはもっともです。しかし日本には、腹が減っては戦は出来ぬ、という言葉があります。幸いにも、悪魔の出たと思われる場所は人気がありません。周囲に民家のない山の中の廃墟です。まず今日は、じっくり休んでください。明日、体調が万全の状態で確実に倒しましょう」
すると、カラス神父は何か言い返そうとした。その時、傍らにいたメリーが彼の手を引く。さらに二言三言、そっと声をかけた。英語ともスペイン語でもない言語である。彼らだけの特殊な言葉なのだろうか。
カラス神父は、渋い表情をしながらも頷く。ついで、上野の方を向いた。
「僕の横蹴りメリーも、本日は上野尊師のぬかすことに従うのがよろしかろと述べているに等しい。なので、今日は小さじで一杯といくことに決めたであられる」
どうやら、わかってくれたらしい。それにしても、彼の口から出るのは壊滅的な日本語だ。しかし、こちらの言うことはきちんと理解しているらしい。なんとも不思議な話である。
いや、このカラス神父は最強のエクソシストといわれる男だ。その程度のことは造作もないのかも知れない。
「わかりました。では、こちらに」
そういうと、ふたりを駅前のホテルまで案成した。
翌朝、上野はホテルに向かう。久しぶりの早起きで、あまり調子は良くない。しかも、これから悪魔祓いの手伝いをせねばならないのだ。不安がないといえば嘘になる。だが、これも仕事だ。やらねばならない。
やがて、カラス神父らの泊まるホテルに到着した。ふたりは、既に準備万端という様子で入口の前に立っている。約束の時間より五分ほど前だが、彼らはその前からいたらしい。
上野は、すぐさま車を降りた。早足で歩き、彼らに頭を下げた。
「お待たせして申し訳ない。では、行くとしますか」
そう言うと、停めておいた車まで案内する。
ハンドルを握っているのは鈴本龍平だ。年齢は二十歳で、上野より背は低いが、それでも百八十センチある。体重は百キロ近くあり、しかも筋肉質だ。がっちりしたゴリラのごとき体格の持ち主であり、筋金入りの変人・上野信次の数少ない友人でもある。ついでに、ニューハーフである大東恵子の彼氏であったりもする。
その鈴本は、真面目くさった表情で車を運転する。隣に上野が座り、カラス神父とメリーは後ろに座る。
「上野導師、貴様の噂はちくたくに届いてあられる。日本でも上等な霊幻導師と向き合えて光栄であった。僕は強力に喜ばしいと思われる」
途端に、鈴本の顔が緩んだ。この男、性格はいいがバカだ。しかもゲラである。布団がふっとんだ、などという古典的なダジャレでも大爆笑しそうなタイプだ。
上野は、じろりと睨みつける。笑ったら許さんぞ、という意思表示だ。しかし、運転する鈴本には見えていない。
そんな状況に気付かず、カラス神父は喋り続ける。
「霊幻導師は、組長霊や若頭霊たちと殺伐とした関係にあると噂に聞いてある。上野尊師、貴様はどのような技で組長霊を消化するのであられる?」
ついに堪え切れなくなったのか、鈴本の肩が小刻みに震え出した。上野は顔を引き攣らせながらも答える。
「は、はあ。まあ何と言いますか、説明するのは非常に難しいですね。その時に応じ、いろんな道具を使ったりします」
「ほうかしゃん。では、驚天動地なシャモジですくったりするのか?」
またしても、突拍子もない質問が飛んできた。鈴本の顔は真っ赤になっているが、上野の方は混乱していた。シャモジとは何だろう。何と間違っているのか見当もつかない。
だが、答えなくては失礼にあたる。
「い、いえ、シャモジは使いません」
丁寧な口調で言うと、カラスはなおも聞いてくる。
「うーやーたー。では何使う? ポコペンか? ロッテンマイヤーか? はたまた袴田か?」
こうなると、何と間違っているのかすらわからない。上野は大いに困惑し、どう返したものかと考える。一方、鈴本はというと、笑いをこらえるのに必死であった。唇を噛み締め、恐ろしい形相で前を見ている。
すると、カラスがまた口を開く。
「ほうかほうか。上野尊師は極限の企業機密があるのであられるな。そんなこんなではしゃーないのう」
これは解読できる。たぶん「あなたにも言えない大事な秘密があるのでしょう。でしたら仕方ないですね」と言っているのだろう。それにしても、この神父は誰に日本語を教わったのだろうか。こんなインチキな日本語を教えた奴のことだけは、是非とも小突いてやりたい。
「そうですね。すみません」
「かもしかし、今回は横綱級ぞなもしもか。あるいは昇竜か。ひょうとなると、貴様にも手足を貸してもらうかもしれなくてあられる」
ぐぐっ、という声が聞こえた。鈴本が必死で笑いをこらえる声であろう。上野はというと、今の言葉をどうにか自分でもわかる日本語へと翻訳していた。おそらくは「今回の悪魔は強い。あなたにも協力してもらうかもしれない」と言っているのだろう。
「わかりました。私でお役に立てるかはわかりませんが、必要とあらば協力します」
「それは、たくさんたくさん痛快であられる」
またしても、ぐぐっという声が聞こえた。上野は鈴本を睨みつける。このままでは、目的地に到着する前に事故が起きるか、あるいは大爆笑しカラス神父が機嫌を損ねるか。どちらも起きないでくれ、と上野は祈った。
幸いにも、事故も大爆笑も起こらず目的地に到着した。