東極物語(1)
「ねえ、どうなの?」
不安そうに尋ねる男……いやオネエに対し、上野はそっけない態度で口を開く。
「はい、いますね。間違いなくいます」
「やっぱり……で、やってくれるの?」
なおも聞いてくるオネエ。彼(?)の身長は高い。百八十五センチある上野よりも、さらに高い。しかも、横幅も大きい。業務用冷蔵庫のごとき分厚い体格をしている。手はキャッチャーミットのように大きく、腕はボンレスハム並の太さだ。
顔もまた、肉体に負けないインパクトがある。ショートカットの金髪、どぎつい色のアイシャドウ、さらには紫の口紅だ。
このオネエ、本名は本郷昭一だが、通り名はラジャ姐さんであり、ゲイバー『虎の穴』にてママをやっている。おそらく特注であろう女性用スーツを着て、不安そうな面持ちで上野を見下ろしていた。
「大東恵子さんの紹介とあらば、断れませんね。いいでしょう。引き受けます」
対する上野は、巨漢のラジャが相手でも怯まない。堂々とした態度である。
「本当!? ありがとお!」
抱き着いて来ようとしたラジャを、素早く躱す上野。瞬時に間合いを離し、口を開く。
「ただし、条件があります。僕が除霊を行う間は、絶対に訪問しないでください。覗くのも無しです。いいですね?」
「あら、覗かれるの嫌なの? わかったわ。じゃ、お願いね」
ウインクしたラジャに、上野は自信に満ちた表情で頷いた。
翌日の朝、上野はバックパックを背負った姿で部屋を訪れた。大きなスーツケースも持ち込んでいる。
この部屋は、家具家電付きが売りである。そのため、泊まり込みで除霊する上野としては、非常にありがたい。
上野は、早速スーツケースを開けた。中から、奇妙なものを取り出す。某特撮ヒーローの変身ベルトのごとき代物だ。ただし、ベルトには紐が付けられており、紐の先には小さなボールがくっついている。
そのベルトを、腰に装着した。次の瞬間、腰を前後左右に回し始める。そう、これはニュータイプのフラフープなのだ。腰を回すことにより、紐に付けられたボールもぐるんぐるん回る。上野は、器用に上手く回していた。
回し始めて、五分ほどした時だった。部屋の奥から何かが出現する。
姿を現したものは、犬の姿をしていた。かなり大型であり、後ろ足で立ち上がれば上野とほぼ同じ高さになるだろう。もっとも、顔の半分が砕けており目は片方しかない。前足は、片方がちぎれていた。腹には大きな裂け目があり、内蔵や骨が見えている。
犬は、片方しかない目で上野を睨みつけている。口からは、ウウウという唸り声。全身で、人間に対する消えることのない憎しみをぶつけていた。
しかし、上野は完全に無視している。ひたすら体を動かし続け、フラフープに付いたボールを回していた。腰をくねらせ、フラフープを回すことに集中している中年男……それは、かなり異様な光景である。
やがて、上野の動きが止まった。フラフープを外し、ふうと息を吐く。
「うむ、なかなかの運動効果だな。だが、黒崎師範の稽古に比べれば大したことはない」
ひとり呟くと、キッチンに行き冷蔵庫を開けてみた。
当然、何も入っていない。
「前の住人は、何を食っていたのだ」
首を傾げつつ、冷蔵庫を閉めた。服を着替え、外に出る。念のため振り返ってみると、犬は付いて来ていない。
「何だ、奴は引きこもりのようだな」
ボソッと呟くと、駅に向かい歩き出す。その時になって、犬がようやく外に出て来た。少し寂しそうな様子で、去っていく上野の後ろ姿を見つめていた。
上野は電車を降り、駅を出て歩いていく。やがて、一軒のコンビニへと入っていった。
「いらっしゃいませ……あっ、上野さん」
店の隅にいた入来宗太郎が挨拶した。上野は、ちらりと見る。
「ほう、退院したのか」
「はい。お見舞い来てくれて、ありがとうございました」
入来は、深々と頭を下げる。だが、上野はふんと鼻を鳴らした。
「わざわざ行ったわけではない。たまたま近くを通りかかったから、寄ってみただけだ。勘違いするな」
「は、はい?」
怪訝な表情の入来を尻目に、上野はカゴを手に取る。様々なものを放り込んでいった。やがて満足したのか、レジに向かう。
買い物の精算を済ませると、ジロリと入来を睨んだ。
「体が治ったのなら、真面目に働けよ。俺は、この店に来続けてやるからな」
それだけ言うと、足早に去っていった。
部屋に戻ると、上野は再びスーツケースを開ける。中から、足型の付いた機械を取り出した。機械とはいっても、そんなに複雑なものではない。大きさも、ヘルスメーターくらいのものである。
上野は、その機械の上に乗り足を交互に動かしていく。そう、これはステップマシンなのだ。階段を昇り降りするのと同じ効果を得られる。
その時、犬がぬっと姿を現した。ステップマシンで足を交互に動かす上野を、じっと見つめている。
上野も、犬の存在に気づいた。ちらりと見たかと思うと、ステップマシンを降りる。テレビリモコンを手に取り、電源を入れた。直後、再びマシンに乗りエクササイズを続ける。
画面には、吹雪の中を歩いていく少年が映し出されている。その後を、一匹の犬が付いていく。どうやら、海外ドラマが放送されているらしい。
このふたり(?)は、村の中にいるようだ。少年は十代の半ばか。犬は体が大きいが、かなり痩せている。
やがて、少年と犬は教会に入っていく。聖堂に飾られている二枚の絵を見て、少年は涙を流す。
「これが、ベンスルーの絵なんだね……ラッシュパト、僕はもう悔いはない。最期に、ベンスルーの絵を見られたんだ」
犬にそう囁く少年の脳裏に、これまでの記憶が浮かんでは消えていく。村人たちに、いじめられ続けた記憶が……。
もちろん、視聴者にもわかるよう映像として流れている。上野はステップマシンを踏みながら、その映像を見ている。
「なんてひどい奴らだ。俺がこの場にいたら、村人どもに地獄を見せてやれるのに……」
ボソッと呟きながら、さらにエクササイズを続けている。
やがて、少年と犬は力つき倒れた。聖堂の床に、ふたりして横たわる。
「ラッシュパト、僕はもう疲れたよ」
弱々しい少年の声が聞こえてきた。と、天井から天使らしき者たちが舞い降りてくる。CG技術により、本物そっくりに見えた。天使たちは、犬の魂だけをそっと空へと運んでいく。
しばらくして、教会に別の男が現れた。肩まである黒髪に鉢巻きをしており、吹雪にもかかわらず着ているものは毛皮のベストとズボンのみである。二の腕は、筋肉質で逞しい。腰には、サバイバルナイフをぶら下げていた。
男は、少年と犬の体をチェックし生死を確かめる。やがて、少年だけを担いで外に出ていった。
直後、優しそうな女性のナレーションが流れ出した。
(ロネは、かつて特殊部隊にいたボーランさんに助け出されました。ジャングルにある彼の家で、厳しい修行に励みます。そして十年後、ロネは村へと戻って行きました。復讐のために……次回『ダースフランの犬』最終回、ロネの逆襲。お楽しみに!)
そこで、ドラマは終わった。上野は、涙と鼻水を垂らしながら口を開く。
「なんて悲しい話なんだ。泣かせてくれるではないか……」
わけわからんことを呟きながら、ステップマシンを降りる。そんな中年男の奇行を、犬は部屋の隅からじっと眺めているだけだった。
上野はというと、キッチンに行き冷蔵庫を開ける。中から、幕の内弁当を出した。先ほどコンビニで買ったものだ。
冷え切った弁当を温めもせず、もりもり食べる上野を犬はじっと見つめていた。その表情は、先ほどまでと違っている。好奇心に満ちた目で、彼を眺めていた。