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6 リュス・アルバイン

 晩餐の時間になり、部屋にクラウスが迎えにきた。


 執務を終えたリュスが、食事をする広間ですでに待っているという。


「い、急がないと……!」


 焦って立ち上がると、大きさの合っていない靴が脱げてしまい、つんのめってしまった。


「危ないっ」


 クラウスが慌てて駆け寄ると、シエルを正面から受け止める。


(恥ずかしい……っ)


 申し訳なさで一杯になり、顔が火照った。来てからというもの、あまりにも失敗が多すぎる。


 急いで隣にきたエリザが、眉を垂らした。


「お靴は、明日靴屋を呼びましょうね。今日だけそちらで我慢して下さいまし」

「え? そ、そんな、大丈夫で……」

「大丈夫じゃないですから」


 ピシャリとエリザに言われてしまい、シエルはまたもや身体を縮こまらせる。そんな二人の様子を意外そうに眺めていたクラウスは、エリザと目が合うと小さく頷いた。


「では参りましょうか。エリザ、シエル様を支えてあげて下さい」

「はい」


 エリザはシエルの手を恭しく取ると、笑顔になる。来る時に見た大広間まで、しっかりと支えながら連れていってくれた。


 大広間に入ると、奥に大きな長方形の食卓がある。食卓の上には燭台が設置されており、柱には廊下と同じく大きめの角灯が掛けられていた。部屋が広すぎて端の方は暗いが、代わりに窓から差し込む月明かりが部屋を明るく照らしている。


 食卓の一番奥、窓際の席に、黒髪の男が座っていた。特徴的な姿に、シエルはしばし目を奪われる。

 男は笑みを一切浮かべておらず、口はきつく横に結ばれていた。後ろで括られた黒髪は長く艷やかで、男が顔を上げるとさらりと肩から落ちていく。


 厳しくも凛々しいと言い表せる男くさい端正な顔にあるのは、黒い布に銀糸が刺繍された眼帯だった。眼帯は彼の右目を完全に隠しており、見えるのは涼しげな切れ長の左目だけだ。


 ただ座ってこちらを無表情で見ているだけだというのに、男の威圧するような存在感に、シエルはごくりと唾を呑み込んだ。


 クラウスが、にこやかに男を紹介する。


「こちらに御わすお方がこのアルバイン領が領主、リュス・アルバイン伯爵でございます」


 クラウスがシエルを見たので、シエルは慌てて膝折礼をした。


「シ、シ、シエル・ユースタイン、でございます……!」


 またどもってしまった。シエルは恥ずかしさで火照る身体に耐えながら、リュスの反応を待つ。


「……遠路はるばるご苦労だった」


 低い聞き心地のいい声が聞こえてきた。リュスは立ち上がると、シエルの元にゆっくりと歩いてくる。


 背の高い、体格のいい男だった。エリザには、リュスは自軍の先頭に立ち指揮だけでなく己も戦う武人なのだと説明されたが、納得のいく体躯だ。


 目の前で立ち止まったリュスを見上げる。シエルの背は、リュスの肩程度の高さしかない。


 感情の読めない、黒だと思っていた紫眼が、シエルを冷たく見下ろす。


「――話がある。座ってくれ」


 低い声が、告げた。



 エリザに手を引かれ、リュスの斜め横の立派で重そうな椅子の前に立つ。


 クラウスが椅子を押してくれたので、いいのかとびくつきながら着席した。久々過ぎて勝手が分からず不安になったが、間違ってはいなかったらしい。シエルの背後に控えたエリザを振り返ると、微笑みながら頷いてくれたからだ。


 先に着席していたリュスは、シエルが座って落ち着くのを待つと、顔の前で手を組む。


「話というのは、我が領の状況についてだ。シエル殿はブランデンブルグ卿からは聞かれただろうか」


 突然語りかけられて、シエルはいけないと思いつつもつい目線を彷徨わせた。


「えっ、あ、じょ、状況とは……?」

「経済的状況だ」


 リュスの視線は、ずっとシエルに注がれたままだ。クラウスやエリザは、厳しく躾けられた使用人だ。だから醜いとはいえ主の妻となる予定の女だと考え、目を逸らすことなくシエルに対応してくれたのだろう。


 だが、リュスは違う。馬車の御者である老爺は目が悪かっただろうから辛うじて理解できても、何故リュスはシエルを見ても表情ひとつ変えられずにいられるのか。心底不思議で仕方なかった。


 シエルの目線が泳いで自分に定まらないことを、リュスは肯定と受け取ったらしい。


「……その様子だと聞いているようだな。そう、我がアルバイン領の経済状況は決していいとは言えない。ここ数年、野盗の被害が増えている。それと比例するように、魔物も活発化していっていて、領土から得られる収益は減少を辿る一方だ」

「野盗……」


 突然聞かされた、できれば一生聞きたくはなかった単語に、シエルは身を縮こまらせる。


 シエルの怯える様子を見たリュスは、淡々と告げた。


「心配せずとも、城の中まで入ってきたりはしない。我が軍はそこまで弱くはない」

「あ……っも、申し訳ございません……」


 そういう意図はなかったのだが、勘違いさせてしまったらしい。またやってしまった、とシエルが内心焦っていると。


「王都近くに住むご令嬢にとっては野蛮に聞こえるかもしれないが、これがここアルバインの事実だ」


 ご令嬢とは誰のことだろうか。シエルが返事に窮して黙ったままでいると、リュスは元々返事は期待していなかったのか、話を続けた。


「単刀直入に言おう。俺は元々妻を迎える気などなかった」


 では、シエルは今日でここを出ていくことになるのだろうか。全く何も知らない場所で追い出されるのは不安しかない。図々しい願いではあるが、住み込みで働かせてもらえる場所を紹介してもらえないだろうか、とシエルは考えた。あとでエリザに尋ねてみよう。


「わ、分かりました」


 シエルは頷く。やはりシエルは忌み嫌われる存在で間違いはないのだ。


 これまでのアルバインでの対応は努力の賜物だと知り、安堵できた。分不相当な扱いは居心地が悪い。


 先程よりも低い声が、シエルに問いかける。


「……分かった、とはどういう意味だ?」

「えっ?」


 何か拙いことをまたしてしまったのか。慌ててリュスの顔を見ると、眉間に深い溝ができている。

 シエルが彼に不快な思いをさせてしまったのだと思うと、身体の表面が冷たくなって何も言えなくなってしまった。

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