15 明晰夢
昨日すっかり投稿忘れてました。
夜になると、以前はエリザに勧められるまま寝てしまっていたが、最近はこの時間も読書にあてるようになっていた。少しでも多くの時間がほしかったからだ。
寝台では暗いので、窓際に近い長椅子に腰掛け、横に角灯を置く。月明かりと角灯の明るい光のお陰で、夜でも本は読めた。
今夜シエルが読んでいるのは、アルバインのこの数十年の隣国や魔物との攻防について前領主、つまりリュスの父親がまとめた手記だ。
(こちらから攻め入ることはなく、いつも隣国ルヴァニト側から仕掛けてくるのね)
ルヴァニトは、かつてはヤーバルツ王国の友好国だった。状況が変わってしまったのは、国王が変わってからだという。
新たな国王が即位した頃から、ルヴァニトにポツポツと魔物が現れるようになった。やがて魔物は、ヤーバルツ王国にも流れてくるようになる。
ルヴァニトからの難民に状況を聞くと、ルヴァニト国王は魔王に魅入られたと語ったという。国土は魔物で溢れてしまったのだと。
やがてルヴァニトは国民の流出を防ぐ為、国境に見上げるほどの高さの石壁の建設を開始する。
以降、難民は殆ど来なくなった。石壁が建てられてから二十年が経つ今も、ルヴァニトの中がどうなっているのかは誰も分からない状態が続いている。
だが、魔物はどこからともなく現れ、変わらず襲ってきた。
アルバインの前領主であるリュスの父親が亡くなったのは、十年前に魔物の群れがアルバインを襲ってきた時だ。これは以前、クラウスから少し話を聞いた。
夜中に空から急襲され、この時に母親も一緒に亡くなったそうだ。リュスは当時十六歳。山に狩りに出掛けており、暗くなり野営をしていた為、難を逃れた。
帰還したリュスの前に広がっていたのは、凄惨な光景だった。そしてその惨劇を境に、リュスはアルバインの領主となったのだ。
(十年前……)
リュスの両親もシエルの両親も、同じ時期に理不尽に命を奪われた。リュスはアルバインを継ぎ、戦い続け発展させてきた。
なのに自分といえば、何ひとつ成していない。ひたすら怯え隠れ、自分の運命を呪うだけの十年だった。
今のシエルも、何もできないままでいる。今できることと言えば――。
(祈りを捧げよう)
シエルは指を組み、指の上に額を付ける。指輪の冷たさを感じながら、リュスの母親は亡くなるその時までこの指輪をはめていたのだろうか、とふと思った。
瞼を閉じながら、シエルは祈り続ける。生き延びたリュスから、もう何も奪わないで下さいと。
少しでもリュスを助けたい。
必要とはされなくても、リュスの力になりたかった。
◇
気付くと、シエルの意識は薄暗い空間に漂っていた。
(――これは)
辺りをゆっくりと見回す。すると突然、下の方に小さな銀髪の女の子が腕に本を抱えて小走りで通り過ぎた。
『お母様、このご本を読んで!』
『あら、またこの本? シエルはこれが大好きなのねえ』
シエルはハッとして目を見開く。これは幼い頃の自分と――母だ。
幼いシエルが、座っている母の膝の上に飛び乗った。甘えても許されることを知っている者の行動だ。母はシエルの頭に頬を寄せながら、明るい声を出す。
『じゃあ読むわよ。「夢見の巫女と宵の夢の王子様」。昔むかしあるところに、……を持つ夢見の巫女と呼ばれる女の人がいました』
(え、なに? 聞こえない)
これはきっと、シエルの記憶だ。シエルは夢の中で、過去を見ているのだ。聞こえなかったのは、当時のシエルが理解していなかったせいかもしれない。
シエルは次は聞き逃すまい、と懐かしい母の声に集中する。
『――夢見の巫女のお仕事は、宵の夢の王子様を守ることです。宵の夢の王子様は、悪いことを全部宵の夢に吸い取って世界の平和を守っていました』
婚姻の儀の日、司祭が言っていたことと一緒だ。聞き覚えがあったのは、幼いシエルがこの本を読んで聞かせてもらっていたからだったのだ。
『でもある日のこと。宵の夢の王子様は、沢山の悪い心を吸い込んでしまったのです。宵の夢の王子様は悪夢の中に閉じ込められてしまいました』
『王子様、大丈夫かなあ?』
うふふ、と小さく笑った母がシエルの頭を撫でた。
『続きを読んでみましょうね。――宵の夢の王子様を救う為、夢見の巫女は夢見の鏡を使って宵の夢の王子様の夢に飛び込んで行きました』
『巫女さん、頑張って!』
『勿論頑張るわよ。だって夢見の巫女は、頑張り屋さんのシエルと同じ……――』
(え? 何? また聞こえない!)
もっと近くに寄ろう。思った瞬間、シエルの意識はどんどん後ろに引っ張られていく。
(待って! お母様、まだ私は――!)
母に向かって手を伸ばすと、左手にはまった銀色の指輪がキラッと光った。
再び闇に包まれる。
(……お母様?)
何も聞こえなくなってしまった。何も見えなくなってしまった。
(お母様!)
心の中で母を呼ぶと、キ……ン、と耳鳴りがする。
「!」
思わず目を瞑った。耳鳴りは一瞬で、再び訪れないことを確認すると、シエルはゆっくりと瞼を開ける。
(え……?)
目の前で、黒い覆面姿の男が母の頭を掴み、馬車から引っ張り出していた。母の傍で動けないでいるのは――私だ。
『いやああっ!』
『シーラ!』
身なりのいい銀髪の男性が、自分を掴まえていた別の覆面の男に体当たりする。同時に男性――父はシエルの腕を掴むと、すぐ横にある林に向かって、シエルを押した。
『シエルは逃げなさい!』
『お父様とお母様もいないと嫌よっ!』
『シーラを助けたらすぐに向かう! 先に行ってるんだ!』
父は剣をすらりと抜く。
『早く行きなさい!』
『……っ!』
幼いシエルは、恐怖で顔を引きつらせながら林の中に走っていった。
『ガキが逃げたぞ!』
『ガキはとりあえずいい! こっちの二人は絶対に殺せって依頼だろうが!』
(依頼……?)
野盗ではなかったのか。漂っているシエルの意識が、疑問を覚える。
『……様は金払いがいいが、失敗には厳しいからな! さっさと殺るぞ!』
『なにっ! ……がどうして――うぐっ!』
『あなた! あな――……っ』
どしゃ、と何かが地面に落ちる音の後は、静かになった。
幼いシエルは木の幹の影に隠れ、息を潜める。
(こんなこと、覚えてない――誰が依頼をしたの? 何故私は覚えていないの?)
『よおし、次はガキの方だな』
『待て! 向こうから馬車の音がする!』
『ちっ!』
ドタバタと足音が遠ざかった。
シエルはハッハッと短い息を繰り返しながら、林の中を戻る。
(やめて! 行っては駄目!)
この場面は覚えていた。忘れたくても忘れられない、悲しい記憶だから。
『お父様? お母様……』
――林から顔を覗かせた幼いシエルの足許に横たわっていたのは。
血溜まりの中に重なり合って倒れている、シエルの両親の姿だった。




