覚醒する者
もう、今度こそ終わりだ…。こんな変な生き物に喰われて死ぬなんて最悪すぎるよ…。自らのあまりの不幸に涙が溢れる。ぽたっ…。と涙が地面にしみをつくった。黒い影が明日香を覆う。さっき、転ぶ原因となった石が涙で歪んで見える。この石さえなければ…。突然、石に対する憎悪に襲われた。石を掴み爪を立てた。この石のせいでっ……、この石のせいでっ……、この不気味な化け物のせいでっ…、この変な場所のせいでっ…、この世界に突き飛ばした奴のせいでっ…!!!全てに対する怒りが爆発した。こんなことでむざむざ死んでやるかっ!
「このケダモノめがっっっ!」
明日香は石を精一杯の怒りと憎しみと恨みを込めて、化け物に投げつけた。至近距離で投げた石は命中し、間一髪で、化け物の歯が明日香に喰いつくのを防ぐことができた。
化け物が石に気を取られた隙に明日香は立ち上がり、全力で走って逃げる。
「きゃっっ!」
足首に触手が巻きついて、明日香は転んでしまった。触手は次から次へと迫ってくる。もはや躊躇している暇などなかった。明日香は足首に巻きついている触手を引っ掴み思いっきり引きちぎった。化け物がかん高い悲鳴のようなものをあげる。気持ち悪いとか恐怖とかそういう感情はとっくに消え失せていた。代わりに、この異常な現実を受け入れ、立ち向かう勇気と絶対に生きて元の世界に帰るという強い意志に支配されていた。
化け物は石を投げられたことに対して怒りを露わにし、触手に怪我を負わされて、より攻撃的になっている。が、明日香はいくつもの修羅場を潜り抜けてきた戦士のようにあくまで冷静だった。それは明日香の中で何かが変わった最初の兆候だった。
このまま走って逃げても、またさっきのように触手に絡まれて転んでしまうだけだ。もう、同じ失敗は二度と繰り返さない。触手が迫りくる中、明日香はそう考えた。武器になるものはないかと、辺りを素早く見渡す。
あった。そばの家に農作業で使っていたのだろう、錆びた鍬が立てかけられていた。急いで駆け寄り、手に取って構える。
触手は合計でいち、に、さん、し…。私が引きちぎったものもいれると5本か…。本体は警戒しているのか、近づいてこない。落ち着いてみると、動きは鈍く、次の動きがわかりやすい。いけるっ…!諦めるな…!
最初の1本目。左下からの攻撃。鍬を振りかぶり、思いっきり地面へと打ち下ろす。無事切断された。
2本目。右上上空。鍬の枝に巻きついて取られそうになる。こうなったら…!と、鍬が上方に持っていかれるのにまかせて、肘を伸ばし、爪先立ちをする。エイッ!と頃合いを見計らって、全体重をかけて引きちぎった。化け物が苦しそうな声を上げる。
3本目。正面。少し後ろに下がり、タイミングをはかる。そのとき、背後から触手にきつく巻きつかれる。しまった…!4本目の触手に背後に回られた…。うっ…。明日香は地面に叩きつけられる。鍬はあさっての方向へと回転しながら飛んでいく。引きちぎろうとするも、その手はもう一方の触手によって動かせなくなってしまった。まずい…。冷や汗が流れる。明日香の身体はものすごい勢いで本体に向かって持ち上げられた。片足が化け物の口の中に入りかける。そんな…!無駄だと知りながら、それでも必死にもがく。死にたくないっ!生きたいっ!生きたいっ!
そのとき、急に身体が自由になり、ふわっと宙に浮かんでから地面と衝突した。一瞬。気が遠くなったが、すぐに気を取り戻し、自分は助けられたのだと知った。助けてくれた人は化け物と対峙し背を向けてはいるが、道端で出会った人たちとは違い、健康そうで生きる力にみなぎっていた。すらりと背の高い長髪の男性で一つに結いていることがわかる。手には立派な剣を握り、足元残り二本の触手の残骸が落ちていた。化け物はあまりの痛みに痙攣を起こし、やがて動かなくなった。
「ありがとうございます…」とその人に向かって明日香は礼を言った。本人が振り返る。20歳前半だろうか…予想以上に若く、整った顔をしていた。
「怪我はないか?」はっきりと凛とした声で、明日香を気遣う言葉をかけてくる。
えっ?言葉が通じる…?なんで…?
「はっ、はい…。あの、私ここに迷い込んじゃってしま…」
突如、化け物が動き出し、鋭い歯のある口を大きく開けてその人を飲み込もうとする。
「あぶないっ!!!!」と思わず叫んだ。
彼は喰われる寸前に剣で歯を薙ぎ払い、ギリギリでかわした。しかし、その反動で体勢を崩し、尻餅をついてしまった。化け物はここぞとばかりに身を退け反らせ、よだれを垂らしながら歯を剥き出して彼を頭からかぶりつこうとする。
「やめてーっ!」
ようやく言葉が通じる人に出会ったのに、死んじゃうなんて許さない!私のせいで死ぬなんて許さない!
明日香は彼の剣を掴み、跳躍した。剣の使い方なんてわかんない。だけど、少しでも可能性がある道を私は選ぶ!
明日香は剣を化け物の上から振り下ろす。剣は突き刺さり、そして…剣と明日香は眩しい金色の光に包まれた。化け物は星屑のように光って跡形もなく消え去った。彼は意味ありげな瞳で明日香を見つめていた。