魔王討伐帰りの勇者を巡る正ヒロインバトルロイヤル
「呪われろ人間」
魔王の口からドス黒い血と呪詛の言葉が漏れる。
数度の変身を重ね、もはや異形の化け物としか形容できなくなった体がグズグズに溶けていく。
しかしその目は未だ光を失ってはいない。こちらを睨みつける瞳の中に俺の姿が映っていた。なんて酷い姿だ。
人々は俺を“勇者”と呼び、予言どおり今まさに救世の英雄になろうとしている。
しかしこちらもまた魔王の猛攻に血を流した。
相討ちになってもおかしくはなかったろう。
生死を分けたのは仲間たちの存在だ。
魔王が腕を振り上げる。
悪あがきというにはあまりに強力な攻撃。
が、その一撃は金色の防壁に阻まれた。
「下がってシリル。私が時間を稼ぐから!」
杖をふるい、魔王の猛攻を弾き飛ばすのは魔法使いのウィッチー。
「死ぬなシリル。アンタに死なれたらアタシ達の勝利にケチがつく!」
そう叫びながら魔王の分身の影たちを薙ぎ払うのは、槍使いのルーン。
「大丈夫です。シリルさんは私が絶対に死なせません」
俺の傷を癒やすのは、ヒーラーのリゼット。
彼女の放つ青い光は腹に穿たれた穴を塞いだ。
崩れて床に広がっていく魔王を見据え、俺は両の足で地面を踏みしめ剣を構える。
「お前はここで終わりだ」
「――――ここで死ななかったことをせいぜい悔やむが良い」
敗北と死を目前にしているとは思えない気迫。
地獄から響いてくるような、人間の嫌悪を煽る声。
魔王の哄笑が荒野に響く。
「死をこいねがうような絶望を、必ずや貴様らに」
聖剣が閃く。
呪いの言葉ごと両断された魔王の肉体は、砂とも錆ともつかない物体へ姿を変えて吹きすさぶ風に散っていった。
人間と魔物の長きに渡る戦いが今、終息を迎えた。
こうして人類は勝利した。
争いのない、平和な世界を勝ち取ったのだ。
そう信じて疑っていなかった。
魔王が最期に口にした呪詛の言葉など、思い出しもしなかった。
その日、平和になったはずの世界に降りかかった災いを見るまでは。
「ど……どういうことなんだ」
小さな革袋が落ちて転がる。
それはついさっき宝飾店で仕立ててきた指輪だった。
世界を救い、英雄となった俺が次にするべき大仕事。世界と同じくらい大事な人へ思いを告げるため作ったもの。
革袋から転がり出た指輪が地面を滑り、瓦礫にぶつかってその動きを止める。
月明かりに照らされた瓦礫の山。
それはほんの数刻前までは宿屋の形をしていたはずだった。
瓦礫に埋もれた仲間たちは、みな傷付き血を流している。
その時、頭に過ぎったのは魔王が吐いた呪詛の言葉。
ありえない。
必死に頭を降るが、嫌な考えは頭から離れない。
まさか、戦いはまだ終わっていないのか?
「一体なにがあったんだよ……!」
答えはすぐ脇から上がった。
宿屋の従業員だ。
「喧嘩です」
「……は?」
なにを言っているのか、すぐには理解できなかった。
それは従業員自身ですらそうであるらしい。
築き上げた瓦礫の山を見上げるその顔は夢でも見ているようであった。
「誰が勇者様の伴侶に相応しいかでお揉めになって、それで……」
*****
思い返してみれば予兆はあったかもしれない。
遡ること数刻前。
俺たち勇者一行はグイエンバードの街にたどり着いたばかりだった。
この街には以前も訪れたことがある。
しかし当時は魔王討伐のまっただ中。魔王軍幹部を追跡している最中ということもあり、街を見て回るようなことはできなかった。
しかし今は違う。
魔王を倒した後の平和な世界を満喫する権利が俺らにはある。
「どこへ行こうか」
仲間を引き連れ先頭を歩く足取りは軽い。
戦いの重圧から解き放たれた目で見るグイエンバードの街は以前より鮮やかに見える。
「食べ歩き? アクセサリー見る? そうだ。服屋でも行こうか。もう鎧なんて着てる必要もないし」
で、入ったのは武器屋である。
無骨な刃に囲まれながら、俺は呆れながらも笑った。
「なんで平和な世界になったのに武器屋なんだよ」
「油断禁物です。王都までの道のりはまだまだ長いですから」
確かに魔王を倒したからといって魔物がすぐに消え失せてしまうわけではない。
すっかり気を抜いていた自分を恥ずかしく思った。
「見てくださいシリルさん。天使の姿を象ったメイスです。悪しき罪人に天誅を下してくれることでしょうね」
リゼットは厳ついメイスを細い指先でなぞっている。
「新しい杖買っちゃおうかなぁ。今のやつ、威力はあるけど小さい的に当てにくいんだよね」
ウィッチーは小ぶりな杖を構えながら微笑んでいる。
「おいシリル、見ろ! ドラゴンの鱗も通す槍だってよ。人の頸椎なんてゴボウみたいに切れるんだろうな」
軒先で器用に槍を振り回すルーン。
各々ショッピングを楽しんでいるようだが、妙な違和感を抱いた。
ややあって、ようやくその正体に気付く。
「なんかみんな、人間を敵に想定してない?」
瞬間、武器屋が静寂に包まれる。
妙に張り詰めた空気に、俺は訳もわからず困惑するのみであった。
きっと彼女たちもまだ平和な世界に慣れていないのだ。
俺はそう結論づけた。
今まで命のやり取りを行う戦場の中にいたのだ。
そう簡単に武器を手放すことなどできまい。
時が経てば、きっと平和な暮らしにも慣れる。そう思った。
それにひきかえ、街の人間たちの切り替えは早い。
魔王討伐の噂は瞬く間に世界中に広まった。
世界を救った英雄たちをグイエンバードの住民は大いに讃えもてなした。俺たちが少し街を歩くだけで返事をするのに困るほどの賛辞の言葉をかけられ、抱えきれないほどの贈り物が贈られる。
しかし俺には一人で考える時間が必要だった。
手に入れたいものもある。
4人ではどうしても目立つ。
適当な言い訳で誤魔化し仲間たちの元を離れた。
フードを目深にかぶり、素性を隠して大通りをゆく。
街は文字通りお祭り騒ぎ。
人混みに紛れれば俺の正体に気づく者はいない。
おかげで道中、こんな会話を耳にした。
「魔王を倒したのがあんな可愛い子たちとはな。おい、誰か声かけてこいよ」
「嫌だよ。勇者様の彼女に当たったらどうすんだ」
「ひょっとすると全員そうかもな」
若者たちのゲスな勘繰りに、思わず苦笑する。
男性1人、女性3人という珍しいパーティ編成だ。
ハーレムパーティと揶揄されたこともある。
しかし彼女たちを女性として見たことはなかった。
小さな革袋を軽く握る。
俺には心に決めた女性がいるからだ。
故郷で待つ幼馴染、エレナ。
グイエンバードでは鉱物や宝石がよく産出し、それを使った武器や宝飾品が有名な街である。
勇者の名前を出せば貴金属や宝石をふんだんに使ったティアラだのなんだのを無料で作ってくれるかもしれないがそれではダメなのだ。
俺はあえて素性を隠し、正規の値段で指輪を作らせた。
魔王を倒した次のミッションは愛する人へのプロポーズ。
そうなるはずだった。
なのに。
*****
そして時は現在に戻る。
月明かりに照らされた瓦礫の脇。
魔王をも倒した人類最強の女性たちが一列に並んで正座をしている。
彼女たちの喧嘩はどれほど壮絶だったろう。
その場にいたかったような、いなくて良かったような。
「止めようとしたんですが、私はなにぶん支援職なので……」
「嘘つけ! 一番先に手を出したくせに」
困ったように首を傾げ、どこか眠たそうな声で呟くリゼット。
目を釣り上げて彼女を糾弾するのはルーンだ。
二人を横目に、ウィッチーは半泣きで俺の脚に縋る。
「シリル〜怪我しちゃった」
「あっ、お前はまたそうやって……!」
ルーンが非難の声を上げるのと、リゼットがおニューのメイスにスッと手を伸ばすのを確認し、俺はすかさず声を上げた。
「落ち着けよ! 俺たちは仲間だろ。どうして武器を向ける必要があるんだ」
「“それ”ですよ、シリルさん」
リゼットがにこやかに、しかし得体のしれない威圧感を放って言う。
ウィッチーもまた、屈託のない笑顔の割に凄まじい力でシリルの足にしがみつく。
「ゆびわ。私にくれるんでしょう?」
咄嗟にズボンのポケットに手をそわせた。
素性を隠し、オーダーメイドで作らせた指輪。
まさか仲間たちに知られているなんて。
それだけならまだしも、妙な勘違いすらされているらしい。
「いつでも良いけど、できるだけ早めにちょうだいね。シリル君?」
「がめついヤツらだよ本当に。人の指輪を欲しがるなんて……なぁシリル?」
「うふふ。良いんですよ。男性にも心の準備とタイミングというものがあるでしょうから……ねぇシリルさん?」
無意識のうちに後退りしていた。
得体の知れない威圧感に押されるように。
「な、なんのことだかさっぱりだよ」
「まぁなんにせよ、渡す時は人気のないところでね。でないと」
笑顔を浮かべた3人の目がスッと細くなった。
「地図から消える街が出るかもしれないよ」
戦慄した。
ウィッチーの言葉は決して大袈裟ではない。
魔王を倒した実力を持つ3人が本気で戦ったら。それは魔王以上の脅威になり得るのではないか。
まして、この指輪がなんの戦闘能力もないただの少女に渡ったら――きっと彼女は指輪ごとなすすべもなく消し炭にされてしまう。
『呪われろ人間』
忘れかけていた魔王の言葉が脳裏に蘇る。
死を願うような絶望って、まさかこれか……?
美しい宝石に血生臭い伝説は付き物だ。
世界を救った勇者が購入した新品の指輪は、かくして持ち主の女性に死をもたらす呪いの指輪となった。
世界を救う戦いは終わりを迎えたが、どうやら俺の個人的な戦いはこれからであるらしい。