第6話
走り続けると、
街道を外れたところに馬車が見えた。
荷台からは炎と黒煙が上がっており、
その周囲にギャアギャアと鳴き声をあげる小さな影。
焦げ茶色の肌と鋭い牙を持つ、小型の魔物。
ゴブリンだ。
僕は腰の短剣を引き抜き、
走る勢いのままゴブリンに剣を叩きつけた。
グギャアと言う悲鳴を上げ、
ゴブリンが吹き飛んだ。
「大丈夫ですかっ!」
僕は叫ぶ。
「た、助けてくれえっ!」
見れば馬車の御者が、
ゴブリンに馬乗りにされているところだった。
僕は短剣を振り回し、
御者に襲いかかっているゴブリンを追い払う。
「・・・す、すまない、助かった!」
御者は肩で呼吸をしながら礼を言った。
肩口からはかなりの血が流れている。
だが僕からすれば、まだ助け終わっていない。
むしろ状況は最悪だ。
僕が顔を上げると、
ゴブリンたちがこちらを取り囲むように位置取っていた。
グルグルと喉を鳴らし、
僕の隙を窺っている。
「ちくしょう、、、」
僕は呟いた。
4匹のゴブリンを正面から相手にするのは荷が重い。
助けるなら助けるで、
もっと慎重にやらなきゃいけなかったのに、
なぜか気持ちが先行し身体が先に動いてしまっていた。
「・・・ロイドじゃあるまいし」
僕はそう思った。
ロイドは人助けとなると、
後先を考えずに動くことがあった。
その事で【蒼天の轟竜】は何度も喧嘩したな。
そんなことを考えていると、
ゴブリンの1匹が牙を剥き出し飛び出してきた。
僕は身を翻しゴブリンの突進を躱すと、
そのままその背中に短剣を突き刺した。
短剣から肉を切る感触が伝わってくる。
うめき声をあげて動かなくなるゴブリン。
それを確かめて素早く短剣を引き抜いた。
僕にとって実戦は久し振りで、
今も心臓が煩いくらいに鼓動してる。
それでも身体は僕の意思通りに動いてくれた。
スキルがない分、毎日の鍛錬は今も続けている。
僕のその動きを見て、
ゴブリンたちは警戒を強めた。
数匹がジリジリと僕の死角へ回り込むように背面へと向かう。
きちんと集団の強みを活かそうとしている。
ゴブリンにはこういった小賢しさがあるのだ。
「・・・は、早く倒してくださいっ!」
不意に傷を負った御者のおじさんが叫ぶ。
簡単に言ってくれるなよ、と僕は思った。
こっちはスキルもない分、
ほとんどアンタと変わらないんだ。
その声に気を取られ、
一瞬だけ警戒が緩んだ。
それと同時に、左右からほぼ同じタイミングでゴブリンが2匹襲い掛かってくる。
慌てて最初の1匹に短剣を振るうが避けられてしまう。
剣を握る右手と、
逆側の足にゴブリンが纏わりつき、
僕は体勢を崩した。
「ぐ・・・この・・・」
必死でゴブリンを引き放そうとするが、
倒れた体勢では力が出ない。
僕が藻掻いていると、
更にもう1匹のゴブリンが僕に覆いかぶさってきた。
最後のゴブリンは僕の喉元目掛けて牙を剥く。
まずい。
「ぐ・・・おおああぁぁ!!!」
僕は身体を大きく動かし、
死に物狂いでゴブリンの拘束から逃れる。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
ゴブリンから距離を取り、
僕は自分の喉元に手を当てた。
そこにはねっとりと血がついた。
ゴブリンの牙が僕の喉を掠めていたようだ。
危なかった。
僕は背中に冷たいものが走るのを感じた。
そこで僕は後悔する。
【蒼天の轟竜】で荷物持ちをしている間に、
いつの間にか忘れていた。
僕は、誰よりも弱い。
ゴブリンにすら勝てないほどに。
ゴブリンは再び僕にジリジリと近づき、
襲いかかる隙を探している。
ゴブリンはニタニタと薄ら笑いを浮かべている。
先程よりも僕への警戒心が和らいでいる事が見て取れた。
くそ。
ゴブリンにも僕が大した事のない相手だと言うことがバレてしまったようだ。
そこで僕は考える。
いっそのこと、ここで逃げてしまおうか。
ゴブリンはスタミナが無い。
僕が全力で逃げればなんとか逃げることも可能だろう。
そうすれば少なくとも僕は助かる。
御者のおじさんには気の毒だが、
そもそも護衛も雇わずこんなところを通っているのが悪いんだ。
そう考えると逃げるという選択肢が、
どんどん現実味を帯びてくる。
ここで戦えば間違いなく殺されてしまう。
それよりはマシだろうと思えた。
剣を握る手が僅かに緩む。
自分の重心がつま先から踵に移り、
どう戦うかではなく、どう逃げるかに思考が変わる。
仕方ないさ。
僕はスキルも使えない、僕は弱い。
だから逃げて当然なんだ。
逃げて良いんだ。
僕は自分に言い聞かせた。
その時、好機が訪れる。
燃えていた馬車の荷台が爆発し、
ゴブリン達の注意がそちらに向く。
今だ。
僕は足に力を込め、その場から逃げ出そうとする。
だが振り向こうとした瞬間、
僕の目に御者のおじさんの顔が目に入る。
一瞬のことのはずなのに、
何故か鮮明にその表情が見て取れた。
僕はその表情を見て、
息が止まりそうになった。
・・・
・・
・
「・・・いてえ、ラーハンのやつ本気で怒ってたな」
顔を腫らしたロイドが呟く。
その日はとある強力な魔物の討伐依頼が出ていた。
だがロイドが作戦を無視して魔物と対峙し、
苦戦を強いられてしまった。
その事でラーハンとロイドが喧嘩になってしまったのだ。
「・・・あれはロイドが悪いよ。ラーハンの言うことが正しい」
僕はロイドの顔を冷やしながら答えた。
「そう、かな・・・。そうか・・・」
ロイドは頭が冷えてきたようで、
目に見えて意気消沈し始めた。
「なんで、あそこで飛び出したの?」
僕は尋ねた。
今回の魔物は強敵だった。
だからこそアリアハルを筆頭に入念な討伐計画を立てていたのだ。
当然ロイドもその事を理解しているはずだった。
ロイドは拗ねたような顔を浮かべて黙った後、
ボソリと言った。
「・・・見えちまったんだよ」
「見えた?」
僕が聞き返すと、
ロイドがガシガシと頭を掻く。
「あぁ、たぶん他のパーティの冒険者だった。足を怪我して動けない様子だった。作戦開始まで待ってたら巻き込まれていたと思う」
「それは・・・」
僕は黙った。
「分かってるよ。冒険者である以上見捨てたって誰も文句言わない。自己責任だってな」
「ロイド・・・」
「でもなぁ、ラタン。人が誰かに助けを求める時、どんな表情を知ってるか?」
「・・・え?いや・・・」
「恐怖と諦めと、僅かな奇跡を願うような、そりゃあ悲しい表情なんだよ」
「・・・」
「あの顔を見て見過ごすことなんて俺には出来ない。自分がいくら死にそうになっても助けなくちゃって思うんだ」
「・・・ロイド」
「だから俺は【蒼天の轟竜】を作った。あんな顔する人をこの世から少しでも減らすために。ラーハンには悪いが、俺はそれを曲げるつもりはない」
「それは・・・」
「分かってる。あとでもう一度、ラーハンと話してくるよ。そんな泣きそうな顔するなって」
そう言ってロイドはニカッと笑った。
僕は何も言えなかった。
いつでも戦いから逃げていた僕は、
人に助けを求められることなんて一度も無かったから。
・・・
・・
・
どうしてそうなったのかは分からない。
たった一瞬前まで、僕はゴブリンから逃げようとしていた。
だけど御者のおじさんの祈るような顔を見て、
無意識に身体が動いていた。
心に熱い何かが流れ込む。
重心は再びつま先へ。
短剣を握る手は白くなるほどに強く。
「ううううあああああああああ!!!」
僕は叫び声をあげ、
ゴブリンの一匹に短剣を叩きつけた。
心臓が大きく鼓動する。
自分で自分の行動が信じられなかった。
けれど僕の心の中には、
ただ一つの想いだけが溢れていた。
この人を助けるんだ。
たとえ自分がどうなろうとも。
その瞬間、
短剣が青く輝いたような気がした。