食毒不明のキノコを背理法で解く
年甲斐もないとか、危ないとか言われそうだが、疲れたときによくやるように夕食にトンカツを作ることにした。
きちんとした手順で作っていくところが気晴らしになるのだけれど、それ以上に今日は肉を叩き、小麦粉をまぶし、溶き卵にくぐらせ、パン粉を着ける、そうした感触が欲しかったのだ。この家が鏡の中にあるとか、音楽だとか、妻の感情を現しているとか途方もないようなことになりそうな話を聞いて、混乱するなという方が無理だろう。
一種の焦りさえ覚える。しっぽを巻いてさっさと逃げた方がいいのかなとも思う。
何から逃げるのか。妻からか、この家からか。そうではなく、自分が寄りかかっていたものが頼りないものだったということへの不安だろうか。
たった今確かなものと思っていた衣を着けた豚肉の手応えを追い求めても、熱い油の中に手を突っ込むことはできない。現在はもう過去になってしまった。当たり前のことを殊更めいて言うのはよくない。甘い脂身の味とビールの飲み心地を想像する方が健康的だ。…
満腹になってソファに座って改めて壁紙に目をやった。やはりあの絵の色に似ている。
頭を整理してみることにした。建築士によると妻は去年の5月に土地を入手し、6月には元々のデザインを裏返して家を発注し、8月頃にいったん壁紙の色を緑に決めた。この頃までにあの絵を見たのだろう。
9月頃に青に変えて、まもなく緑に戻した。家の建築が秋の長雨で遅れていたので、変更することができた。
そういった経過になるが、問題はその頃の妻の様子を思い出せないことだ。何をしていたのか、なぜこの家を建てたのか、なぜそれをわたしに隠していたのか手がかりが見当たらない。
妻だけでなく、自分も日記はおろか手帳にも過去のことは記さないのが習慣なので、会社を辞めて以来、空白のページをながめても記憶が吸い取られていくようにしか感じられない。
まるで推理小説のようだなと少し酔い始めた頭で考える。今はミステリーというのかもしれないが、まるで探偵にでもなった気分で自問自答する。……
『まず奥さんがご自分の病気あるいは死期をいつお知りになったのかがポイントでしょうな』
『なるほど。……10月に入院するまでは知らなかったと思いますが』
『その前に体の不調などは訴えていなかったですか?』
『いなかったと思います』
『ご主人は気づかなかったということですね。……奥さんが例えば5月頃からご自分が重い病にかかっていると気づいておられれば、いいですか? この家の建築自体が誰かに向けてのメッセージだと考えられませんか?』
『どういう意味でしょうか?』
『例えば退職されたあなたへの最後のプレゼントといったようなことです。もちろんそれ以外の可能性はいろいろあります』
『そうですね。……そうなるような気がします』
『他方、そうでないとするともうちょっと実際的な目的があったということになりませんか? つまり、この家を何に使うつもりだったのかといったことが問題になります』
『確かに。でも、その場合はなぜ家を建てていることを言わなかったのか理解に苦しみますね』
『そのとおりです。理解に苦しみます。……どう思われますか?』
「ねえ。このキノコって食べられそうね」
「でも、色とか形で見分けられるものでもないって言うよ」
「この辺ってアカマツ林だから、期待できそうなんだけど」
「マツタケの採れるところなんて、家族にも教えないって言うからな。そんなに簡単に見つかるもんじゃないだろ」
「うん。前にキノコを採ったときも何が食べられて何が毒なのかわからなかったから、どっさり採って、詳しい人に見せたのよ。そうしたらこれもだめ、あれもだめってほんの少しだけになって。騙されてんじゃないかと思ったくらい」
ニコニコ笑いながら言うのにつられて笑ったが、いつキノコ狩りなんかしたのだろうという疑念がさした。
「少しはわかるようになったけど、採ってみたら? 今日みたいな雨上がりの森の匂いが立ち込める日には特に多いから」
そう言われても毒キノコは死なないまでも大変な苦しみようだと聞いたことがある。いやいやと曖昧なことを口の中で言っていると、
「キノコって、未だにどれくらい種類があるかもはっきりしないし、名前が付いていないのもたくさんあるんだって。食べられるか食べられないかも、食べてみた人がいないから分けられないというのも多いのよ」と言う。
これまた初耳で、今時そんなことがあるのかと不思議な気がした。
「そういう食毒不明のキノコを片っ端から食べてみれば、学問の進歩に寄与するかもしれないわね」と物騒なことを言う。
『あのファックスを読むと死期を悟っているようには思えませんでしたが、時期からして知っていても不思議はないでしょう?』
架空の探偵に向かって問う。
『あのファックスの問題、つまり壁紙を何度も変えた問題とその前にこの家を注文した問題は、分けて考えた方がいいと思いますが』
『それは家の注文の際には病気に気づいてなかったけれど、ファックスの時点では気づいていたといったことですか。……これまで、あれはとても単純な性格だと思っていたのですが』
『しかし、この数日で見方は大きく変わったと?』
『そうです。……自分ならどうだろうかと色々考えてみたんですが、正直言って死に直面するような状況になったことがないので、わからないんです。情けないことにこういうことは歳を取ったからわかるというものでもないようです』
『そうかもしれませんね』
『実際のところ、8月に医者からあと3か月という話を聞いてから、あれが自分の病気に気づいていたかどうかについて詮索しないようにしていたんです』
『奥さんがどう考えているか、知っているかいないか、そういう問題に立ち入るのを避けていたと?』
『今にして思えばそうだったと思います。それをあれの目の中に求めればかえって知らせかねないという気がしたいたんです』
『それは興味深いですね。……あなたのそういう感情はありふれたものかもしれませんが、今回の原因を考える上ではとても興味深い』
『どういう意味ですか?』
『……背理法ってご存知ですか?』
『聞いたことはあります』
『ありえないような仮定をおいて、それで矛盾が生じることで仮定と反対の結論を証明するというものです』
『ありえない仮定。……この家がなかったらといったことですか?』
『はは。それもおもしろいですが、それではこの会話ができなくなります。……こういうのはどうです? 奥さんは本当に死んだんですか?』
子どものとき雪合戦で背中に雪の玉を入れられたような気がした。うつらうつらしながら、鏡に向かって対話していたのが自分の中になかった疑問を突きつけられて、思わず身震いがしてしまった。眠りに落ちる前にはバカげたことを考えたり、夢との境目があいまいになるものだが、そういうものは目が覚めてしまえば暖かいところにおいた雪のように溶けてしまう。
しかし、その仮定をおいてみればいろいろなことがわかってきて、何か嫌なものが現れてくるように思う。……
あのおばさんが別れ際に明日の夜にピアノコンサートを催すからよかったら来てくれ、スクリャービンの演奏もあるからと言っていた。聴いて何かわかるというものでもないだろうが、何かきっかけがつかめるかもしれないと思った。今やれることと言えばそれくらいだ。