鏡に映した家
建築士は女性だった。翌日、何回か道に迷って、漸くたどり着いた建築設計事務所は、早い流れの川の淵に建つログハウスだった。中は様々な家の写真や建材の見本が壁に掛かっていて、製図台や机の上にも書類が積まれ、あちこちにメモ用紙が貼り付けてあり、雑然としていた。
業者の男はいないようだ。建築士は簡単におくやみの言葉を述べて、さて?という顔をしている。40前後だろうか、痩せて小柄な女性だ。
妻がどういうふうに建築を依頼したのか、間取りや外装やそうした色々なことを決めるときに何か気づいたようなことはないか、質問したいことを何度も頭の中で整理したつもりだったが、へどもどした訊き方になってしまった。
「特にありませんが」と言いながら、設計図やタイルの色見本などを出してきて、どういう過程で家の仕様が決まって行ったかを要領よく説明する。
「妻はこの家を何に使うと言ってたんでしょうか」
「それはおっしゃってませんでした。この家はわたしどもの別荘向けの基本プランをご要望に応じてアレンジしたものなのです」
「どういうところを変えてくれと言ったんですか?」
「基本プランを裏返してくれ、鏡に映したようにしてくれとおっしゃいました」
「なぜそう言ったんでしょう?」
「土地に合わせるためだと思います」
「それはよくあることなんですか?」
「別にむずかしいことではありません」
「他には?」
「お風呂が大きい方がいいと。だからここが出っ張っています。あとは出窓とドーマーが余分に付いています。部屋が広く見えますから」
「屋根や外壁の色なんかはどうやって決めたんでしょう」
「外装も内装も色見本を見てこれがいいと、理由はおっしゃいませんでした」
薪ストーブが暑すぎるくらいで、記憶が勝手に浮かび上がってくる…。県道の脇の店に園芸用品を売っていた。これから植えて、春に咲くチューリップの球根などが無造作に並べられている。その隅に褪色した表紙の家庭園芸の本もある。
妻はそれを読んでいる。肩越しに読むともなく、目に入った。
『この時期は、次の年に備える季節です。花を咲かせ、収穫を得るためには十分土地を耕す必要があります。深く耕し、肥料をたっぷりあげてください。……植えるものはその土地に合わせる必要があります。きれいな花、おいしい果菜であってもその土地に合わなければよい結果は得られません。客土する場合であっても外来種の中にはなじんでくれないものもあるので注意しましょう。……』
こういうときには話しかけないことにしている。「買うのか?」と訊けば買わない、「もう、行くぞ」と言えば「もう少しだから」と逆らう、あまのじゃくだ。
本の写真は古くさい感じで、活字も今風ではない。何が気に入って読みふけっているのか、わからない。そもそも花なんかに興味はないはずじゃなかったのか。手持ち無沙汰に大きな鍬を手に取ってみる。長さは自分の背丈ほどもあり、刃物の光を放っている。地元の人たちはこんなものを使っているのかと思うと、ちょっと怖じ気づいてしまった。
……建築士に訊くことがなくなってしまい言葉に詰まっていると、事務所の隣に建っている家も同じ基本プランに沿ったものでほとんど変更していないから、見てみれば違いがよくわかるというようなことを言う。車から見えたチョコレート色の家のことかと思ったが、あれが同じようなものだとは全く気がつかなかった。
一緒に外に出て見てみると確かに部分部分であそこはこうだなとよくわかる。しかし、色の違いもあってよく似た家だという気がしない。まだ入居していないから構わないと言って中に入れてくれた。建築士は、玄関の上がりを大きくした、カウンターに棚を付けたと細部の違いをいちいち教えてくれるが、そんなことよりなまじ同じような間取りで裏返った構造になって、左右が全部逆だから頭が混乱してくる。
押し入れに大きなテレビの箱があるのに気づいて、
「あの家の家財道具もこうやって予め運び込んだんですか」と訊くと、知らなかったのかというような顔で、
「そうです。あまりたくさんは工事の邪魔だし、盗まれたりすると困るからと申し上げたのですが」と言う。
「梱包はどうしたんだろう、食器なんかもきれいに並べてあったけれど」
「来られると伺って、あの老夫婦が2、3日前からはりきってやっていたようですよ」
辻褄は合っている。納得できない自分がおかしいのだろうかと思いながら、
「なぜ妻がわたしに内緒であの家を注文したのか、わからない」とつぶやくと、建築士はそう言われてもというような顔をしていたが、思い出したように、
「奥様からファックスが一度来たと思います。もしかすると残っているかもしれません」
「何とか探してください」
頭が思いのほか深く下がった。
あちこちのファイルや封筒の中を探しているのを手伝うわけにもいかず、じりじりしながら見ていたが、建築士はてきぱきした話し方に似合わず、同じところを何度も見たり、書類を引っ掻き回したりしていた。かなり経って漸く机の中からしわくちゃになったファックスが出てきた。覗き込むと妻の字だった。
『色々お世話になっています。電話では話が食い違うといけないので、ファックスで送ります。やはり壁紙の色は、番号は忘れましたが、あのわたしがいいと言った緑にしてください。台所や風呂のタイルもそれに合わせて緑にしてください。よろしくお願いします。家ができるのをとても楽しみにしています。』
これでは文章で送っても食い違いが起こりそうなところが妻らしい。10月の日付になっているが、その頃の妻の様子を思い出そうとしてもはっきりしない。
「そう言えば夏頃に一度壁を緑にするとおっしゃって、その後青に変えて、またこのファックスで元に戻したんです」と言うのを聞きながら、用紙の端に書き込まれた文字に目が吸い寄せられた。
『スクリャービンの色』といったん書いて二本線で消してある。
「これは何です?」
「何でしょう。スクリャービンですか、作曲家でしたっけ。気がつきませんでした」
「こういう色があるんですか?」
「いえ、聞いたことがありません」
自分には心当りがあった。昨日行った『山の美術館』に確かそんな題の絵があったはずだ。ラベルを5秒ずつ見ていたのが役立った。