まっ白なコンドミニアムの4人分の食器
夜中に薄っすら目が醒める。いきなり冷たい空気の粒子が喉に入って来て、布団の上に霜が降りていると思っていきなり起き上がってしまった。
単に部屋が冷え込んでいただけだということはすぐにわかったが、ああ林の中にいるんだと思うとすっかり目が冴えてしまった。暗闇を手探りでトイレまで行って、部屋を明るくして水を飲む。
ちゃんと思い出して、ちゃんと考えればわかるはずだ、そしてその手がかりはこの家にあるはずだとつぶやいた。妻が何を考え、何をしようとしてこの家を建てたのか、そうしたことの手がかりは東京の家にはなく、この家にあるに違いない。妻の身の回りのものの中に家の図面や領収書のようなものはあるかもしれないが、それを見てもそうした理由とか動機とかはわからないだろう、そんな直感がある。
ふと思いついて台所に行き、食器の数を数えてみた。一人分なら離婚するかなんかして独りで暮らそうとしていたのだろう。二人分なら誰かと暮らそうとしていたのだろう。それが誰なのかで、ずいぶん違う想像になってしまうが。
茶碗もいくつかの皿も箸もスプーンやフォークも、何もかもぴったり4人分あった。その茶碗や箸も夫婦茶碗とかそういったものでなく、特徴のない、まるで昔行ったハワイのコンドミニアムの備品のような感じだった。
そう思って見るとこの家は確かに何でも揃っているけれど、事務的なよそよそしさが漂っているように思える。それにしても4つずつでは、何の想定もできない。子どもでもいれば別だろうが、これではとりあえずそれぐらいあればということで買い揃えたとしか思えない。
妻は初めから気乗りがしないと言っていた。折角予約したんだからと自分は何度も言い、最後は叱りつけるようにして成田に向かった。ホノルルは曇っていた。
「この季節はこんな天気が多いんだよ」
タクシーの運転手の飛躍の多い説明は英語のヒアリングの苦手な自分にはそう聞こえた。飛行機の中で妻はほとんどしゃべらなかった。コンドミニアムは曇り空の下に沈んでいた。部屋は白一色だった。壁もカーペットもカーテンも家具も眩しいような白だった。皿やコーヒーカップまで白だった。食器やスプーンやフォークは4人分ずつ揃えてあった。その部屋は、確かに旅行業者が言っていたように何でも揃っていたけれど、事務的なよそよそしさが漂っていた。
「まるで病院みたい」
そう妻がつぶやいた。
二日目の夜だったか、だいぶ妻の気持ちがほぐれてきて、自分も楽しくなって買い込んだステーキやロブスターを部屋で調理して食べながら、色んなカクテルを作ったりした。知らないうちに酔っていたのだろう、窓から見えるバーベキューハウスのガスの炎に誘われるようにして、海に行って泳いだ。……
それで妻は流産してしまった。妊娠していることは妻も自分も知らなかった。学術的なのか、わかりにくい英語で、何らかの影響が残るかもしれないと色の浅黒い医者から繰り返し説明されている間、自分はその医者の手の甲の毛をずっと見ていた。……
家もそうだが、一体妻は家具や電化製品や食器や色んなものをいつ用意して、運び込ませたのだろうか。この家が完成したのは、年末か年始くらいのはずだ。妻が亡くなった日とどうも辻褄が合わないような気がする。どうやってここを選んだのだろう。何回かはここに来ていたと考えるのが自然だろう。
記憶を呼び戻しても、そうしたことをしていたとも、していなかったとも、何とも見当がつかない。妻が不在でもどこに行っているのか、何をしているのか、何を考えているのか、そんなことはお見通しのつもりだったが、改めて考えてみると何も知らなかったと思い知らされる。
こんな寒い所にハワイのコンドミニアムを再現しようってことじゃないよな? おまえにとってあそこは不吉なものじゃなかったのか?……
ともかく明朝すぐに業者に会おう、会ってもっとくわしい話をみっともなくてもいいから訊いてみよう。すべてはそこから始まると言い聞かせながら、台所に素足で立ったままではこの家は我慢できないほど寒い、寒いだけではないのかもしれないが、と思った。……