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4.魔術師の流儀(2)

 私は半ば現実逃避ながらに部屋を見渡す。

 部屋に横たわる本の海を目の当たりにして、改めて思う。

「思ってた魔術師と違うなあ」

「何か変なことがあったか」

「あ、いや、そうじゃないんです!」

 ぽつりと漏らした一言は外から戻って来た家主の耳に入って拾われる。私は慌てて弁解した。

「私、町の魔術師さんしか知らないので、魔術の研究ってのがどういうものなのかよく分かってなくて」


 私の知る世間の魔術師は、人の間に暮らし、人の間で力をふるっているものだ。

 例えば、金属や硝子を鋳造する工房には火の扱いに長けた魔術師が常駐している。今どこの家の窓にも硝子がはまっているのは魔術師が職人と手を組むようになったおかげらしい。消防団の中に水の術師がいることもある。国内の大河や南部の海岸沿いを移動する高速帆船には魔術師が乗っていて、風で船体を操っているという。貴族のような裕福な家だと魔術師を一人雇って家政管理に携わらせることもあるそうだ。

 身近なところにいる魔術師はそういった風に魔術を使うことで社会と交わっている。


 だけどサルヴィエは森に隠棲する魔術師だ。町に行って魔術を実践するところを見たことがない。家の中では何度か披露してくれているけれど、使うのはたいてい身の回りだけ。

 彼は魔術の研究が本業だという。

 本が多いので納得していたけれど、それが町の魔術師とどう違うのかはよく知らないのだ。



 サルヴィエは軽く首を振る。

「僕も町にいる術者たちも魔術師には違いない。ただ職分が違うだけで」

 それはどういうことだろう。

 私はどう反応したものか分からずにいる。


 サルヴィエは私の顔を見て、どこから話すか悩むようにしばらく首をひねってから口を開いた。

「僕は王立学院に籍を置いてるんだが……」

「学院!」

 その名前には私でも聞き覚えがあった。

 この森林からはるか南の海沿いにある都には、王の名のもとに造られた学術機関の本部がある。医学や神学のほか、名前を聞いてもピンとこないような学問を研究する場所で、各地方の大都市には分館も置かれているという。


「王立学院で魔術の研究をしてるってことですか」

「そうだ」

「すごい……!」

 王の名のもとに研究する魔術師。華々しい響きだ。サルヴィエが急にまぶしく見える。


「そんなにすごくはない」

 サルヴィエはそう言ってかぶりを振った。

「町で商売をしている魔術師だって、学院に登録して商売をする許可を取っている。皆学院に籍があると言えばそうだ」

 自分は大勢のうちの一人だと言いたいのだろう。

「だけど研究をしている人ばかりではないんですよね?」

「在野の魔術師はね。研究者には王宮に研究室を持っている者や、学院の施設で魔術の実践をしている者もいる」

 どちらもサルヴィエとは違うやり方だ。

「サルヴィエさんは? 学院に行くこともあるんですか?」

「僕はここで調べたことを文書にまとめて送ってる。それで生活費も兼ねた研究費を貰ってる」

「お金出てるんですか!」

「それなりに自由が利く程度には」

 私は思わずあけすけに驚きを叫んでしまった。サルヴィエは平然とした口調で返答する。

 失礼ながらサルヴィエにはご隠居のイメージを抱いていたし、町はずれに住んでいるのも細々とやっていくためだと思っていた。

 だけど考えてみれば、住み込みで掃除婦を雇うくらいだから懐に余裕はあるのだ。浮世離れした生活ぶりは頓着のなさだけでなく余裕から来ていたのか。急にサルヴィエが怖い。


「それならもっといいところに住めそうなのに」

 ふとした疑問が口をついて出る。

 サルヴィエはやや憮然として答えた。

「家なんて住めればいいんだ」

 そうだろうか。この家の立地はへんぴだし、少なくとももっと広い家に越せば今の散らかりは解消されるのに。

 そう思ったが、サルヴィエはあまり触れてほしくない話題のようだ。

 人の嫌う話題を続けるのは趣味が悪い。藪をつついて蛇を出すように好待遇を手放す気もないので、何も言わないことにした。



 そして沈黙が訪れる。私たちはしばらく黙々と手を動かしていた。

 気まずくなったか、責任でも感じたか。

 サルヴィエはしばらくしてから口を開いた。

「君は魔術を使ったことがあるか」

「いえ」

 唐突だ。

「見たことは?」

「遠巻きに見たことはあります。あとは話に聞くくらいで」

「そうか」

 サルヴィエはうなずく。

「なら一度見ておいて損はない」


 サルヴィエはふいに大きなものを掲げるようにして胸の前で両手を広げると、青緑色の静かな眼差しで掌を見つめ始めた。私もつられるように、彼の抱く虚空に目を引かれる。

 じきに変化が起こった。

 サルヴィエの両手の中に青ざめた霧のような光の粒子が立ち上ったのだ。霧は水の中のあぶくのようにゆるやかに躍っていたが、間もなく一定方向へと渦を描き始め、同時にひゅうと音を立てる。

 一瞬、光の粒が融けたように見えた。

 すると私の髪が何らかの力に持ち上げられた。

 周囲の書類が舞い上がる。それはつむじ風だった。窓も扉も開いていない室内で、風が起こっている。

 いつの間にか燐光は消えていて、遅れて風は徐々に静まり、やがて書類は床に散らばった。室内は再び静寂に戻った。魔術師は気疲れしたように長く息を吐いて、言う。

「こうなるからあまり室内で使うものじゃない」

「そうですね」




 そうして部屋の入口左側にはどうにか大人二人分程度の空きができた。

 それでもまだまだ部屋の八割は倉庫同然のありさまだ。覚悟はしていたが、分け入っても分け入っても本の山。未踏破の部分の多さにため息が出る。

 私には判別のつかない難しい本ばかりだから下手に手出しもできないが、選別済みの本を混ざらないように気を遣うから、やっぱり表紙とにらめっこせざるを得ない。

 やっぱりサルヴィエにしても判断が鈍るのか、再び外に出て行ったあとなかなか部屋に戻ってこなかった。

 

 本の虫干しをしに行っていたサルヴィエはしばらくしてから戻って来た。

「お疲れ様です……一区切りつきました……?」

「後で戻る……」

 本を外に乾かしたまま来たようだ。サルヴィエは廊下の壁に背をもたせかけてぐったりしている。見るからに疲れていた。

 これではいつ限界がきてもおかしくない。長丁場を覚悟しなければいけなさそうだ。

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