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4.魔術師の流儀(1)

 そして、翌日から書斎清掃に取り掛かることになった。


 扉の前まで来てからふと思い立ってサルヴィエに訊ねる。

「私が入っちゃっても大丈夫ですか?」

 部屋に入られるのに抵抗のある人は少なくない。前に戸口から室内を拝見した時は何も言われなかったが。

「別に構わない。元々任せる予定だったのだから」

 それを聞いて私はほっと胸を撫で下ろした。掃除を頼むくらいだから人を入れることに抵抗がないのも当然か。

 そういうことなら遠慮なくやらせてもらおう。



 しかし改めて書斎を目の当たりにして、私は思わずうなってしまった。

「よくこれまで生活できてましたね……」

 失礼かもしれないが、大げさでなくそう思う。

 足の踏み場もないというのはまさにこのことだ。床いっぱいを埋め尽くす本はさながら古本市の様相である。市場との違いを上げるとすれば、店番の座る場所がない。

 奥と左手の壁には背の高い本棚がそれぞれ一台ずつ設置されているが、それらの前も重ねた本でふさがっているため到達できそうにない。本の山のいくつかは服掛け台になっている。しかもそれらの隙間にも雑貨が転がっていたりする。

 これでは生活できないだろうと思うのだが、ベッドや奥の机への通り道は獣道よろしくかろうじて確保されている。ギリギリ生活できる限界のところで散らかしているのが器用だ。なお褒められたことではない。


「なんというか……」

 それ以上どう続けていいか分からない。

 この部屋の惨状を一言でいうなら「不安」だ。

 うずたかく積まれた書物の奥に見える本棚なんかがそうだ。普通本棚と言えば本を立てておくものだろうが、棚板には重ねた書籍が無理やり横たえて押し込まれているのが見える。立てられた本の背表紙もよく見るとさかさまだったりする。その上、私の背よりも高い本棚の一番上の天板にまで物が乗っている。

 ただ散らかっているというのとはなんとなく違う。部屋が部屋として正しく機能していないような感じがする。あるべきものがあるべき場所にない、妙に不安定で、一気に崩れ落ちそうな印象だ。



 毎日この部屋を目にしているはずのサルヴィエだが、いざ片付けるとなると気が滅入るらしい。一回床を見下ろしてから、私に向き直って提案してきた。

「これ、もう物置に移せばいいんじゃないか?」

 昨日廊下の物を撤去したことで、入り口のふさがっていた物置が使えるようになった。いくらか本をしまったことで元あった棚の半分は埋まったが、まだ収納には余裕がある。床の空きスペースも総動員すれば、この部屋の本を押し込むことも不可能ではないかもしれない。


 だけど私はそれには賛成できなかった。

「それだと問題の繰り返しです」

 このまま放り込んだりしたら物置の方がいっぱいになるだけだ。場所があるからと言ってみっちり詰め込んだら必要な物も容易に取り出せない。目当ての物を探すために奥まで掘り返したら、それだけで元の雑多な家に逆戻りだ。

 何があるか確かめて把握しておくことが整理整頓には大事なのだ。


「こっちも廊下の本と同じようにしましょう。いらないものを選り分けるところから」

「やっぱりか……」

 サルヴィエは部屋を見渡してうんざりした顔になる。難儀する自覚はあるようだ。わかる。多分私も同じ顔をしている。


「初めからそっくり片付けることは考えないほうがいいですよ」

 廊下の本を片付けたときのように本を広げて選別するにしても、この部屋のけた違いの蔵書を一度に総ざらいするのは不可能だろう。きっと時間も体力も足りなくて途中でくじける。

「まずはここからここまで……とか、小さく範囲を区切って少しずつやるのがいいです」

 棚一つ分でもベッドの枕元でもいい。まずどこかしら当人のやりやすいところから集中して片付けるのが一番初めやすい方法だ。


「机の上とかはどうですか?」

 窓際のどっしりとした書き物机を指さす。机なら床と区別されている分どこまで片付ければよいか分かりやすいし、高さがあるので腰に優しい。


 そう言ったが、サルヴィエは首を振った。

「駄目だ。そこにあるものは今の研究に必要なものだから」

 ああ、それじゃあ駄目だ。本業の道具なら私には何も口出しできない。現在進行形で使っているものなら真っ先にしまい込んでも意味がないのだし、下手に触って他の本と交じったらことだ。

「だったら普段使わないところから手を付けるのがいいと思います」

 まずは部屋をざっと見渡して、いつも使う場所とめったに使わない場所を区分するところから始める。ある程度切り分けられたら、後者――めったに使わない場所に置いてある物から分別に着手するのが楽だと思う。そこにある物は大体手放しても問題ない物だからだ。

「それなら、机から遠い場所はあまり使わないな……」

「じゃあ入り口周りからやりましょうか」


 やることは昨日と同じだ。本を運び出して、広げて、吟味する。

 と、簡単には言うものの、それこそが難関だった。


 大量の本のおかげで身動きが取れず、部屋での選別はできそうにないので、本はサルヴィエの手で外に運び出してもらう。昨日と同じように木陰に広げて、陰干ししつついる物といらない物とを分けてもらうのだが、これが時間がかかる。

「サルヴィエさん、この一列って同じ本……じゃないですよね」

「どれ……ああ、三年前に集めた入門書だ。題名が似ているが全て違う」

「こ、こんな何冊も? 子供の頃のものですか?」

「いいや、最新の説の確認のために。そうだな……こちらはやや抽象的に過ぎて、学院北方部の刊行物はまだ古い説を採用していて実践的でない……これとこれは良書だった。後は手放してもいい」

「取っておくにはおくんですね……処分する物間違えないようにしなくちゃ」

 学問の世界は深遠だ。


 本に関しては首を突っ込めそうにないので、私は物がなくなった床を掃除しておく。床の本を本棚に片付ける段階まではまだ至りそうにない。今吟味している本もまた床に戻すことになるだろうからその前にきれいにしておくのがいい。今まで前がふさがっていた壁をはたきで払い、ほこりを集め、ざっと拭き掃除をする。


 そんな調子で進める片付けは地道だ。大河の水を一杯くみ上げたところで大河の流れに何ら影響を及ぼさないのと同じように、本の海は未だ揺るぎない。研究者の書斎は手ごわく、私は心の中で「終わるかこれ?」と心の中で何度もつぶやいた。


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