3.片付ける意味(1)
首をかしげながらも、サルヴィエは私の言った通り廊下の本を運び出してくれた。玄関から次々外に運び出した本を一冊一冊木陰の地面に広げてもらう。虫干しにもなって一石二鳥だ。
ちなみに食堂で発掘された紙袋やら包み紙やらがここで敷物代わりとして大いに役立ってくれた。
二日目にしてはっきりと理解した。
この家には物が多すぎる。そしてそれら全てが行き場なく放置されている。きっとそれがこの家の散らかる根本的原因だ。
最もその傾向が現れているのが家主の私室だ。いや書斎なのだろうか? 目撃した室内は本で埋まっていて書庫のようですらあった。
分かるのは、いずれにしても機能していないことだけだ。
だからこの家をきれいにするためには、徹底的にその品々と向き合わなくてはいけない。
だけどあの部屋から手を付けるのではいつまで経っても終わらない。物を動かすスペースどころか、余裕さえないのだ。
なので、まずは廊下と食堂を完璧に整え直すことにした。
手分けして廊下からすっかり運び出し、玄関先に並べた本を、私たちはそろってまじまじと見下ろした。
「すごい数の本ですね」
紙を敷き詰めて本を並べたのは玄関前の乾いた地面の空き地だ。ほどよく森の木陰が広がっていて作業に向いている。
大人二人三人楽に寝転がれるくらいの広さには、本が等間隔に開かれて虫干しされている。しかもこれでもまだ一部だ。屋内から出すだけ出してそこらに積んである本もある。
廊下の散らかり具合からしてなんとなく想像はついていたが、こうしてみると壮観だ。
サルヴィエはそのおびただしい数を改めて認識したようで、本を見下ろしたまま浮かない顔でうめく。
「こんなふうにしたら余計散らかるんじゃないのか……」
「こうしたほうがいいんです。何があるのか見てみないと、片付けようがありませんから」
整理整頓しようという時には、その過程で一回散らかるのがつきものだ。
これから膨大な本を片付けるわけだが、することは食堂でやったのと変わらない。積み上げられた物を広げて、なにがあるのか確かめて、置き場を決めること。
しかしそれには問題がある。
この果てなき本の山々すべてに適切な置き場を与えるには、この家は小さすぎるのだ。
「なのでまずは、この中から捨ててもいいようなものがないか、サルヴィエさんに確認してもらいたいんです」
「捨てる……?」
怪訝そうに声を上げるサルヴィエにうなずいてみせた。
ある場所にある品物を整理する時には、まずそこにある物を三種類に分類することから始める。
手の届くところに置く物、しまう物、捨てる物。
例えば私が前にいた裕福な商家の衣替えがそうだった。屋敷の奥様は季節ごとにドレスや小物を新調するので、当然そのままだと衣装部屋はあふれかえってしまう。なので古くなったものは女主人の指示のもと、衣替えのたびに選別と入れ替えを行っていた。払い下げられた衣装はお下がりとしてもらえることもあったので、使用人も収納の隅々まで確認を怠らない。なので衣装部屋は自然と代謝が行われ、散らかることはなかった。
これだけ本が多いとなると、この家でもそういう習慣があったほうがいいと思うのだ。
サルヴィエは凪いだ表情にかすかな戸惑いを乗せて問いを口にする。
「本でもか?」
「本でもです」
むしろ本がメインである。
抵抗があるのは当然だと思う。
そもそも本は稀少でこそないが貴重なものだ。本屋はどこの町にもあるし庶民でも買えるくらいの値段設定ではあるけれど、買おうと思えば何日か食事は慎ましくなる。私は捨てることはおろか、自分で買うことだってめったにない。
彼の難しそうな蔵書ならなおさら高額だろうし手放しがたいだろう。
実際私も蔵書のことに口出しをするつもりはなかった。
だけど、あの書斎を見てはそうも言っていられない。本の整理は必要不可欠だ。
「どうしようもなく汚れた本とか……はさすがにないかもしれないですけど、もう読まない本とか、使わない本とか、全くないですか?」
見るだけ見てみれば未練があるかないかも分かるのではないか。元が廊下に放置されていたものだ、忘れ去っていたような本だってきっと中にはある。吟味するだけでも吟味してほしい。
沈黙が流れる。
一分待ち、二分待ち、やがてサルヴィエはふいに口を開いた。
「……無理だ」
「えっ」
「捨てることなんて急に言われても考えられない。片付けは任せるという話だったろう」
「え、ええー……!」
そしてむっつりと黙りこくってしまう。無言の抵抗をする様はまるで子供のようだった。
私も食い下がる。
「掃除ならそれでもいいんですけど……」
だけど掃除と片付けは違う。取り除いて当然のほこりや泥汚れを掃き出すのと、どれもこれも難解そうな本を整理するのとでは大違いだ。どれを捨てていいか、どれを取っておけばいいかは、持ち主にしかわからない。そういう意味で協力を頼んだはずだ。
サルヴィエは憂いを帯びた表情で視線をそらした。
「どうしても捨てなければいけないというのなら君がやってくれないか」
元々気むずかしそうな顔がますます重苦しくなっているのを見て、私まで困ってしまった。
本の整理――ひいては処分は、どうしたってしなければならない。あれだけの数の本を無視して他の品々だけ片付けたところで、今の状況と大して変わらないだろう。
そのためにやっぱり持ち主の判断は必要不可欠だ。
けれどサルヴィエはすっかり意気を失ってしまっている。
私を脅しつけて従わせようというのではない。迷子になって途方に暮れる、大人しい子供のような顔で。
私は足元の本を一瞥して、答えた。
「だけど私、片付けろと言われたら全部捨てますよ」
価値が分からないので……。
サルヴィエも流石にそれは嫌だったのか「うっ」と声を詰まらせた。
「……それだけはやめてくれ」
「さすがにしません」
サルヴィエは低い声でうめく。私は苦笑して応じる。
もちろん本当に捨てる気はない。本人がそれでいいというのならまだしも。
だけど、この家は私の家じゃない。
この家の障害となっている品物を取り除くのは簡単だが、それはサルヴィエの集めた物だ。私の判断で「きれい」にしたとしても、その家は彼にとっていい環境ではないはずだ。
「今は物であふれてて大変ですけど、がらんどうなのもそれはそれで居心地が悪いですもんね」
お気に入りの窓、手に馴染むカップ、そうしたささやかなものがあるだけでも人間安心できるものだ。
逆に、愛着のある物をすべて取り払ってしまったら、人はそれを自分の居場所と思えるだろうか。
「サルヴィエさん。住む場所って生活の仕方で作られるものなんです。だから私の思い通りにこの家を片付けても仕方ない」
私が前にいたお屋敷でも、掃除は使用人がしていたけれど、調度品の趣味や執務室の文具の置き方などは全てご主人が差配していた。逆にご主人一家が立ち入らない使用人の控え室では、私物の置き場などのルールは使用人たちで決めていた。その空間のあり方は住人が決めるものだ。
それならこの小さな家のあり方は家主が決めるのが道理だ。
「だからサルヴィエさんのペースでやってください。私はサルヴィエさんに雇われた掃除婦なので、いくらでも待ちますから」
大事なお客を招く予定があるとか、家を売る予定があるとかだったら、あんまり先延ばしにするわけにもいかない。
だけど彼はただ自らの環境をよくしようとして私を、掃除人を呼んだ。雇い主が望まないのであれば急ぐ必要はないのだ。
「最初から無理しなくてもいいんですよ。とりあえず今日は、破れて読めない本とか、触るのも嫌なくらい汚れた本とかがないか、検めてみるのはどうですか」
私はサルヴィエの顔を覗く。背の高い彼の顔は、うつむきがちでも私からはちゃんと見えた。
彼はしばらく唇を真横に引き結んでいた。一見しては無表情。だけどその瞳の奥にあるのは内面の戦いだと、私は思った。
ややあって、その口が開く。
「…………分かった」
私は内心ほっとした。その言葉が聞けただけで肩の荷が下りた気がした。