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番外.料理修行準備(前)

 後ろで足音が入ってくるのを聞き、私は食事の支度の手を止めて振り返った。

「おはようございます!」

「おはよう」

 まだ眠そうな声のサルヴィエは目をしょぼしょぼさせたまま入ってきた。

 台所の隅に置いてある空の洗面桶を手渡すと、彼はその場で目の開ききらないまま桶に手をかざし、あっという間に桶を水で満たした。そして勝手口から出て行き井戸端で顔を洗う。魔術の使い方がぜいたくすぎるとかそこまで行ったら井戸水をくんだ方が早いんじゃないかとか、言いたいことはいろいろあるけれど、それが彼のやり方だというのにも慣れてきた。

 サルヴィエが顔を洗っているすきに私はお茶の用意をしておく。

 そうしているうちにサルヴィエは洗顔を終え、水を捨てて戻って来た。

「もうすぐお昼ご飯できますからね」

「頼む」

 椅子を引いて腰掛けるサルヴィエに振り向いてそう伝えてから、私は調理を再開した。


 私がサルヴィエと取り組んでいた片付けは先日無事に完了した。

 そのため今の私の日課は毎日の掃除、料理、洗い物ほか、こまごまとした身の回りの雑事だ。掃除婦というよりも家政婦である。

 サルヴィエは相変わらず夜型だけど、昼と夕の食事には毎回きっちり時間を守って顔を出す。

 家は清潔で品物はきれいに整頓されている。サルヴィエが身に着けているのはちゃんと洗濯をしてしわも伸ばした丈の長い麻の部屋着。食堂にはスープの煮える匂いと湯気が満ちる。平和を絵に描いたような穏やかな暮らしだ。


 けれど目下無視できない悩みがある。


「……サルヴィエさん、ご飯どうですか?」

「どうと言うと?」

「何か足りないなー、とか」

「いや、いつも通りよくできている」

「ありがとうございます……」

 サルヴィエは何も感じていないらしい。


 私は料理があまり上手くない。

 とても主人にお出しできないものしか作れないとかいうほどではない。上手く作れるものもある。定番の麦粥に堅パン、食材に余裕があって手間をかけられる日なら野菜の煮込みや挽き肉の包み焼き。どこの家庭でもお決まりの料理ならちゃんと作り方を知っている。

 けれどできばえが極めて良いかと言われるとそうでもなく、レパートリーもそう多くない。自分の食べるものは作れるという程度で、お祝い事の料理なんかは難しい。かくいう今日の昼食ももう何十回と作った野菜の汁物だ。

 今の私は掃除片付けを中心に洗濯も料理も引き受ける家政婦。仕事の一環としてやっているからには得意料理の手数を増やしたい。

 それに私は美味しい物が好きだ。偏食するほど舌が肥えているわけではないけれど、どうせ食べるなら美味しい物の方がいい。


 けど、そのためにどうすればいいだろう?

 これが大きなお屋敷だったら専門の料理人がいただろうけど、この家では私一人だ。教えを乞えるような相手がいない。

 しばらく悩んで、ふと思い付いた。

 本を見て勉強すればいいんだ。


 そう思い至ったのは日頃のサルヴィエを見ていたためだ。彼は魔術について様々な書籍を引きながら研究している。それと同じことだ。世の中には料理の作り方を記した本も多くある。そうした指南書を見て勉強すれば一人で料理の練習になるんじゃないだろうか。

 片付ける中で整理してきたサルヴィエの蔵書の中に料理本らしいものは見当たらなかった。けれど小一時間歩いた先にある町には書店がある。新しく買うことはできるはずだ。



 段取りが決まってきてだんだん楽しくなってきた。

 ……はいいのだけれど、どうバレないようにしよう。

 別に料理の練習なんて隠さなければならないことでもないとは思う。

 けれど練習していることがわかったらサルヴィエはきっと気を使う。なんなら練習用の食材分にと食費を余分に渡してくれそうですらある。彼はお金に頓着のないところがあるから。あくまで個人的にする練習なのだからそれは避けたい。

 第一、サルヴィエは今の食事に特別不満を持っていないようなのだ。となるとこれは私の自己満足とか食い意地を満たすだけの努力になる。そういうことを加味すると、やっぱり秘密にしておいた方がいい気がする。

 あとは……私のちょっとした意地だ。


 よし、サルヴィエさんには隠れて練習することにしよう。サルヴィエは朝食の時間にあまり起きてこないから、その時私の食事がてら練習すればちょうどいい。



 まずは町に本を買いに行くことにして、翌日の昼、私はサルヴィエに切り出した。

「サルヴィエさん、今日は町に買い物に出かけてきていいですか?」

「ああ、構わない」

 許可は無事得た。まずは第一関門突破。

「今日は僕も行こう」

 荷物持ちになろうと、サルヴィエは何の含みもなく善意から申し出てくれた。

「……ええと、今日は私物を見繕いに行くだけだから大丈夫ですよ」

「僕も町に用事があるから。距離があるのだし、同行できるときはその方が安全だろう」

「ありがとうございます……」

 ……あえなく計画は潰えた。当日になって初めて話したのは、不意討ちで報告すれば出かけやすいという打算もあった。しかしここから無理に拒否するのは不自然である。安全を理由にされたら断りにくい。

 でも大丈夫。想定済みだ。町へ行ったら頃合いを見て別行動しよう。




 町に向かう野道の途中でサルヴィエは目的を告げた。

「工房に用事があるんだ」

 チッカのいる家具工房に、先日造った棚の具合がどうか報告することになっているそうだ。

 ちょうど離れる口実を考えていたので、サルヴィエの方からきっかけを作ってくれて助かった。

「そういうことなら別行動しませんか。私は見たいものが色々あって時間がかかるので」

「構わないが、大丈夫か」

「大丈夫ですったら」

 先日隠し事をしたときの一件からサルヴィエは私のことが心配らしい。気にかけてもらえること自体はありがたいことなのだと分かる。

 けれど私も十九だ、子供みたいに心配されてはかなわない。あと今回も隠し事をしているのは事実なので単純についてこられると困る。



 そう言っている間に街の入り口までたどり着く。

 一時間たったら小広場で合流しよう。

 そう取り決めて、私たちは商店街の途中まで一緒に歩いてから別れることにした。

「それじゃあここで」

「はい。どうぞゆっくりしてきてくださいね!」

 私はいったん店の一軒に入るふりをして、適当な衣料店の前でサルヴィエに手を振った。そしてサルヴィエが通りをそのまま歩いていくのを確認してから、道の逆側に小走りで戻る。

 小さい町だからうかうかしていると鉢合わせするかもしれない。建物の間にさっと身を隠し、細道を駆け抜けて一気に本屋を目指す。間もなく目的の店にたどり着いた。



 扉を押し開けると、薄暗い店内からは紙をめくる音が聞こえてきた。

「いらっしゃい……おや」

「おじゃまします」

 カウンターで本を広げていた老婦人は、わずかに視線を上げてこちらを見ると、上まぶたをかすかに持ち上げた。白髪まじりの髪をきっちりとまとめた細身の婦人はこの書店のご主人だ。サルヴィエにはトレザ女史と呼ばれている。

「今日はあれと一緒じゃないんだね」

「ちょっと個人的な用事でして」

 扉の中に滑り込んでやっと人心地ついた。サルヴィエがチッカの工房に向かったのを確かに見たから、合流まで一時間の猶予がある。とはいえ買い物をするという名目なのだから速やかに本を探して他の店に行かねば。

「素人向けの料理本を探してるんです。ありますか?」

「ああ、なら窓側の棚を見れば分かるから」

 店主は私に棚の位置を教えて、自分も奥の在庫を確かめるため腰を上げた。


 言われた通り窓際の本棚を見てみると、確かに料理本が数冊並んでいた。背表紙を順繰りに読んで目的に合う本がないか探してみると、初心者向けの調理法らしい題名のものがいくつかあった。数冊抜き出してパラパラ見比べていると、ふと棚の一部に目が留まる。


 そこにあったのは魔術の研究書だ。小さい書店の中の棚に魔術という専門分野の本の数はそう多くない。私はその中の数冊に見覚えがあった。

 入門、概論。そんな題が付いた簡易製本の書籍の数々は、以前サルヴィエが不要になったとこの店に持ち込んだものだ。売却した本は他にもあったが、見当たらないということは倉庫の中か、余所の町の書店に送られたか、それとも古紙として処分されたのだろうか。

 前までサルヴィエの自宅にあったものが今こうして店に置かれている。それが不思議で浮ついた気持ちにもなり、また懐かしいような胸がしめつけられるような感覚が湧き上がってくる。

「あったよ」

 カウンターの奥を探っていた店主から呼び声が掛かってはっとした。思い出に引きずられかけていた意識を呼び戻してカウンターに向かう。


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