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12.片付けの終わり(2)

 チッカは笑った。こらえきれずに噴き出したような笑いだった。

「おしゃべりしてただけだよ。ラーヴァちゃんみたいなお手伝いが欲しいなって!」

 そしてチッカは立ち上がりざまに「ごちそうさま!」と一声言って、颯爽と食堂を飛び出していった。止める間もなかった。

 私たち二人はそのままの体勢で静まり返った食堂に取り残された。


 私は肩を捕まえられたまま身動きできないでいる。ここまで距離を詰められたことは、ここに来てから一度もない。鼓動が早まる。


 真上から声が降ってくる。

「……手荒なことをして悪かった」

 そう言ってサルヴィエは手を引いた。体温が離れる。自由が戻ったと分かってもすぐに振り向けないまま、私はかろうじて「いえ」とだけ口にした。

 サルヴィエは手を離してもなおその場から動かないまま私の後ろに立っていた。彼がどんな顔をしているのか分からない。


「君は最近様子がおかしかっただろう」

 やがて、吐息に近いかすかな声が私に問いを投げかけた。とたんに緊張が走る。

 前にも指摘された気まずさ。やはり疑惑は払拭しきれていなかった。

「だからチッカに変なことでも言われたのかと」

「違うんです!」

 私は慌てて否定した。

 サルヴィエの言う通り転機はあの時だ。あの日私は町に行って、工房でチッカと話し、私の今後の扱いが決まっていないことに気が付いた。だからと言って相談に乗ってくれていたチッカを悪者にするわけにはいかない。

「チッカさんはただ私を工房に誘ってくれただけで……」

 勢いのままに吐き出してしまったと気付いた時にはもう遅かった。

 サルヴィエは顔を怪訝そうに強張らせて、低い声で問うた。

「……どういうことか、説明を聞いて構わないか」

 もうこうなったら洗いざらい白状するしかなかった。




 お茶を淹れ直し、改めて対面に座り直し、私はすっかり事を打ち明けた。

「つまり、片付けが終わったら僕が契約を解除するかもしれないと」

「そういうことです……」

 この家ではもう働けなくなるんじゃないかと思ったこと、それをチッカにこぼしたら彼の工房に移ることを提案されたこと、個人的な心情からサルヴィエにそれらを言い出せなかったこと。


 全て聞いたサルヴィエは呆れているのか困惑しているのか、言い淀みながら口を開く。

「……そういうことは僕に先に話したらいいんじゃないか」

「おっしゃる通りですすみません!」

 まったくその通りである。雇用の相談はまず雇い主に。共通の知人だからと言って業務上の問題をホイホイ打ち明けたのもいけなかった。

「だいたい、解雇するつもりならとっくにしている」

「あっ、ごもっとも……」

 残る作業は本を棚にしまうだけだ。そのためだけに掃除婦を雇い続ける理由なんてどこにもない。悩むあまりかえっておこがましいことを考えていたようだ。


 私は申し訳ないやら恥ずかしいやら、サルヴィエの顔を見られないまま白状する。

「……この家を出て行くことになると思ったら、なかなか言えなくて」

 どうしても言い訳じみた形になってしまうのを情けなく思う。

 だけど心からの思いだった。私はサルヴィエの家を離れたくない。


 前方からため息が聞こえた。おそるおそる視線を上げてサルヴィエの顔をうかがうと、彼は頭痛をこらえるように額を押さえていた。また呆れさせてしまっただろうか。

「気にしていたのが馬鹿みたいだ……」

「あの、本当にすみませんでした」

「そうではない」

 サルヴィエは首を振る。

「責めるつもりではないんだ。…………よかった」

「よかった?」

「君が何かされたのだと思って、あいつを恨むところだった」

 私はまばたきして、ついしげしげとサルヴィエを見つめた。

 サルヴィエは一見するといつも通りの物憂げな無表情だ。けれど微かに寄せた眉根と細めた目、そこに後悔とばつの悪さが滲んでいて、私のために心を砕いてくれたのだと物語っている。守ろうとしてくれたのだと、それでようやくはっきりと理解した。

 急に胸が締め付けられるような、熱を持ったような、おかしな感覚に襲われる。それはとても言葉にして伝えられるようなものではなくて、私はその感覚をどうにかこらえようとした。そうでないと違う意味でここにいられなくなりそうだった。



 サルヴィエは息を吐いて言う。

「ともかく、君を追い出すつもりなんて微塵もない。……ほかに移る意思があるというのならできる限り計らうが」

「まさか、ここがいいんです」

 慌てて首を振りながら答える。さっきよりもさらに率直に心の内を明かしてしまった気がするが、もういっぱいいっぱいで考える余裕はなかった。こうなったらやけだ。

 サルヴィエはまばたきを数度繰り返した。

「……だったらいいんだ」

 そして珍しくぶっきらぼうにそっぽを向いて立ち上がり、私の返事を待たずに廊下へ通じる扉に向かっていった。私もつられて立ち上がり、無駄にふためきながら卓上の食器を回収した。



##


 それから数日が経ち、いよいよ本棚の納入日が訪れた。

 チッカは荷車を引いてやって来た。前回あれだけ怒涛の去り際だったのに何事もなかったかのような笑顔である。こんな言い方もなんだが肝が太い。

 彼はバラバラの板材を書斎に運び入れて、工具を片手に手早く組み立てていき、あっという間に棚を完成させてしまった。


 私は合間を見てこっそりチッカに話しかける。

「この間はありがとうございました。私、まだここでお世話になれそうです」

「おぉやっぱり大丈夫だった! よかったよかった、俺なんかしたっけ」

 チッカはとぼけたことを言う。気づかいなのか本気でふざけていたのか、真意はよく分からない。ともあれ、きっかけを作ってくれたことについては感謝しておこう。

 そしてチッカは道に車輪の音と砂ぼこりを立てて元気に帰っていった。


 私たちは残りの本を全て並べ直す。

 チッカの工房で造られた本棚は本当に大きかった。両手を広げた程の幅の本棚は、元からあったものと並べると壁をほとんど覆いつくしてしまう。

 そこに本を収めると、まるで巨大な本棚をそのまま壁にしたかのようになった。

 そしてついに、サルヴィエの手で最後の一冊がしまわれた。

「壮観ですね」

「ああ」

 サルヴィエと私は並んで本棚を見上げる。

 横目に見ると、サルヴィエの顔は普段通りの無表情。けれどどことなく清々しげに見えた。

 その表情が見られたことに満足して、私はもう一度本棚に目をやった。


 結局、本の数はそれほど変わらなかった。部屋中を足の踏み場もないほどに埋めていたサルヴィエの蔵書は、今は壁一面に並んでいる。膨大な数の本がみっちりと並ぶ様はいっそ神経質なほどで、執着的な学者の研究室にふさわしい。

 そんな彼の部屋が、私は今となってはけっこう好きだ。


 隣から淡々としたつぶやき声が降ってくる。

「管理しきれるだろうか」

「今言います?」

 片付いたとたんに言うこととしては縁起でもないし今さらだ。

 サルヴィエはああと大真面目にうなずいた。

「管理を怠ればまた元の有り様に戻りかねない」

「大丈夫だとは思いますけど……でもその心構えは大事です」

 サルヴィエが家を散らかしていた原因は、家への愛着を持てないことにあった。それを克服した彼は前とは違う。

 片付けるということは本来特別なことではない。本は本棚に、鍋は調理台に、あるべき場所にあるべき物を戻すという日常だ。それが途切れて積み重なると特別なことにせざるを得なくなる。片付けに終わりというものはないのかもしれない。

 きっと片付ける前には今の台詞は出なかっただろう。だからきっと大丈夫だ。

 

「大変でも、そのための私です。頼ってください」

 こぶしを握って意気込みを示して見せる。

 サルヴィエはしばらくこちらを見下ろして口をつぐんでいた。それからやんわりとした口調でこぼす。

「もう僕は君無しでは人並みに生きられなさそうだ」

「そんな…………そうかもしれませんね……」

 以前の家の散らかりぶりや彼の食生活を思い出すと誇張でなくそうなりかねないなと思い、つい真面目に肯定してしまった。

 彼は力の抜けたようにふっと笑った。

「だから、これからも我が家の掃除人でいてくれ」

 微笑みと呼ぶにはほのかなそれは、けれどとても安らかに見えた。


 サルヴィエの掃除人。その名はくすぐったいけれど、しっくりとくる。

 それで私は、彼の家を離れたいと思う日は当分やってこないのだろうなと思うのだった。

ひとまずここで今回の話は一区切りです。ここまでお読みくださりありがとうございました。

まためどが立ちましたらその後の話など続けたいと思います。

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