10.理想の家(3)
後日、森の家に来客があった。
「ご用命ありがとうございます! タンペル家具工房です」
風の夜の一件から数日も経たないうちに、サルヴィエはあることを決めた――書斎に大きな本棚を新しくあつらえると。
そして呼び立てられたのが、サルヴィエの友人の職人チッカだった。
玄関口でかしこまった挨拶を述べたチッカは、一転して遠慮なく廊下を覗き込んだ。
「うわ、本当にきれいになってる」
前掛けを身に着けて道具箱を携えたチッカは好奇に目を輝かせ、サルヴィエの部屋に至るまできょろきょろと屋内を見渡している。
「前に来た時と全然違う。この家ってこんな殺風景だったんだなー。本は? 全処分?」
「まさか。多少は処分したが、整頓して物置によけてある」
「整頓!?」
「そこ驚くとこですか?」
「へええあのサルヴィエが! 変わるもんだね! ラーヴァちゃんの影響?」
突然水を向けられてびっくりする。
「ああ。彼女は優秀な掃除人だ」
おどけるチッカにサルヴィエはすかさず答える。真面目な顔で褒められてしまいちょっと驚いた。
「あはは、ありがとうございます」
落ち着かなくて反応が遅れたのを私は笑ってごまかす。
「でも一番大変な思いをしたのはサルヴィエさんでしょう。だからそう思うんですよ」
私がしたのはあくまで助言だ。ただ使えるか使えないかで機械的に品物を選り分けただけで、そういう風にできたのは私の物じゃなかったからだ。
自分のものには愛着が湧く。目にするたびに記憶や思い入れがよみがえるのだから、一つ一つ確かめて整頓するのは大変だったはずだ。ずっと見てきたから分かる。この家が変わったのはサルヴィエの成果だ。
ほどほどのところで雑談を切り上げて、本題に入る。
サルヴィエは扉から見て左手の壁を指し示した。
「ここの壁に並べたい」
「承知」
チッカは陽気な友人から一転して、腕に覚えのある職人の顔になる。
「予算は? 材質とか、色、形、お好みは?」
「任せる」
「一番困る奴じゃん」
チッカは溜息をつき、人差し指でサルヴィエの胸元を弾く。
「あのね、あんたが自分で考えなよ、あんたが使う棚なんだからさ。わざわざ一から作るのに、後になってご希望に添えませんでしたじゃ工房の名折れだ」
鋭い指摘にサルヴィエは鼻白んだようだった。
そして無言で溜息をついて、一度部屋から出て行くと、物置から本を数冊持って帰って来た。
「……この版型の書籍がなるべく多く収納できる棚を。存在を主張しすぎず、部屋に調和するような見た目のものがいい。費用はそちらに一任する。……これでいいんだろう」
「よっしゃ。昔からずっと部屋にあったみたいに作ってやる」
彼はにかっと不敵に笑った。巻き尺を取り出して壁の幅や奥行き、天井の高さ、ついでにサルヴィエの身長をてきぱきと測っていく。
「それじゃ、できるまで一か月くらいかな? たまには経過見に顔出しなよ」
チッカはそう言って手を振り、颯爽と帰っていった。すばらしく手際が良くて風のようだった。
二人並んでチッカの去っていった道の方を眺める。客人の姿が見えなくなると、ほっと一仕事終えた気分になった。
ちょうど同じタイミングでサルヴィエがつまらなそうに鼻を鳴らしながら言った。
「もっと早くにこうすればよかった」
「時間が必要だったんですよ」
私は月並みな言葉をかける。実感が伴わないのでなぐさめにもならないとは思う。けど本心だ。
棚を造るとサルヴィエが宣言した時、私は少し驚いた。自分では収納を増やすことに思い至らなかったせいでもある。今にしてみれば気付かなかったのが不思議だ。
だがそれ以上に、サルヴィエが自分から言い出したのが意外だった。
「新しい家具を用意しようと踏み切ったのはすごい進歩だと思いますよ」
私は居候生活が板についているので持ち物は小ぢんまりまとめたくなる方だ。整理がしやすいので私はそんな暮らし方を気に入っている。
だけど、それは「正解」というわけではない。
サルヴィエは棚を作るという解決策を自分から実行した。それは私だったら選ばなかった答えだけど、彼の家でなら正解だ。
今までの彼はそうしなかった。お金や機会はあったのだろうけど、踏み切りはしなかった。
彼自身が前を向いている証だと思う。
サルヴィエはわずかに目を見開いて一度こちらを見下ろした。それから道の方へと視線を戻して口を開く。
「さっき君が言ったことだが」
「さっき?」
「チッカがいたとき」
サルヴィエさんはすごく頑張ったとかそういうことを話した気がする。
詳しく思い出そうとする私をよそに、サルヴィエは静かに語る。
「君は家が片付いたのは僕の功績だと言ったが、やはりそれだけではないと思う。僕一人では今も足踏みしていただろう……ラーヴァさん」
名前を呼ばれて私は顔を上げた。
「君がいなければ成し得なかった。ありがとう」
そして見上げたサルヴィエの顔は、口元が柔らかく弧を描き、これまでに見たどの時よりも笑っているように見えた。
黒髪の間からのぞく青緑色の瞳が綺麗で、まるで木漏れ日を見上げているような気分だ。
こうして真正面からサルヴィエの顔を見上げることはあまりなかったので、新鮮で、ついみとれてしまう。
これまで、サルヴィエのためにできることは何だろうと思っていた。ただ片付けるだけでは足りないのじゃないかと思い、彼ばかりが悩んでいるのを見ると歯がゆかった。
だけど、私もちゃんと役に立てていたのかもしれない。
この人に認めてもらえるのなら報われる。
「……私の方こそ、ありがとうございます」
「こちらの台詞だったと思うんだが」
「いやこれはその、嬉しかったというか」
それ以上はお礼の言い合いが止まらなくなりそうだったので黙る。
そしてふいに気恥ずかしくなって、どちらともなく笑った。
もうちょっとだけ続きます




