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9.難航

 本の置き場を分ける作業に入って数日が経った。

 ここまで来ると本の持ち主であるサルヴィエの判断が全てだ。

 掃除婦として助言できることはもうほとんどないので、私は家主が片付けている間、家政婦らしく洗濯や毎日の掃除なんかの細かい用事をしている。そのため作業の様子を見守れないことの方が多くなってきた。

 それでも本腰を入れて取り組むサルヴィエの作業は順調そうで、合間を見つけてのぞきに行くと、部屋中の本の山は少しずつ切り崩されていくのがわかった。

 ……最初のうちは。




「サルヴィエさん、どうですかー?」

 ある時家事の合間に時間ができたので、私は様子を見るため書斎へ足を運んでみた。

 サルヴィエは本の山の中で床にあぐらをかいて蔵書の吟味をしていた。一冊一冊、必要な物とそうでないものを選び、抜き取ったり山の中に戻したりしている。眉間に深いしわが寄っていていつも以上に話しかけづらい。


 本のしまい場所を決める作業は、最初は良い滑り出しに思えた。部屋に置くと決めた書籍を二台の本棚にどんどん運び入れると、床に山積みだった本の束はみるみる減ってゆく。

 けれどそれも半分を過ぎると、書斎の風景に変化が見られなくなってきた。内容が重要だがひんぱんに目を通しはしない本や、使わないがどうしても捨てるつもりはない本など。優先順位が低く置き場所を決めかねる物の選別に悩んでいるようだ。



「……ん、ああ、君か……」

 サルヴィエはまばたきしながら私を仰ぎ見た。その目の下には隈ができていて、目を開けているのもおっくうそうだ。見るからにやつれている。


「い、いったいいつから続けてたんですか?」

「昼食の後しばらく経ってから今まで……どれぐらいだったか」

「休憩もせずにですか!」

 もう三時だ。

「集中して一気に進めないと手につかないんだ」

 口出しされたくないとばかりに顔を背けるサルヴィエは、明らかにいつもより疲弊していた。


 サルヴィエはこのところずっとこんな調子だ。

 いくら頭脳労働家とは言っても、不慣れな片付けのために頭を使うのは相当神経をすり減らすらしい。食事に出て来たときもぐったりした様子だった。


 だが一番の問題は、それにしても作業に集中しすぎていることだ。

 たまに様子を見に来ると、サルヴィエは前のように常に机に向かって研究に没頭していることはあまりなく、散らかった本の前に腰を据えて難しい顔をしている時間が増えたようだった。

 片付けに真剣なのは良いことだけれど、いくらなんでも心配になる。


「少し休憩にしませんか? 私お茶淹れますから」

 提案してみたものの、サルヴィエは首を振った。

「いいや。今興が乗っているところだから」

「でも、少し根を詰めすぎじゃないですか?」

「集中したいんだ。……構わないでくれ」

「分かりました……」


 サルヴィエの静かな、それでいて重い語調に圧されて、私はすんなり引き下がってしまった。

 片付けのために雇われたという立場上、自分から整頓を続ける家主を無理に止めるのははばかられ、強くは言えなかった。無理にでも休憩させてしまったほうがいいのかもしれないとは思いながらも。




 行き詰まりが見えたのはそう遠くないことだった。



 取っておくと決めた本を、使用頻度から部屋に置く物と物置部屋に運ぶ物とに分ける。

 そして書籍全てを本棚に収めて、片付けは完了する――という筋書きだった。



 私とサルヴィエは二人並んで書斎の床を見下ろした。

 そこには本の山がある。膝ほどの高さの書籍の重なりが、五つ六つと連なって鎮座している。

 それらはこれまで本棚に収めようと努力してきた床の蔵書たちのあぶれものだった。


「………………」

 作業中から嫌な予感はしていた。

 サルヴィエがついに本の分別を終えたというので、私は最後の仕上げに立ち会った。物置に書籍の半分を運び、残りをいざ棚にしまおうとした。


 そして今。

 重要な物はあらかたしまえたが、それでもなおサルヴィエの蔵書は膨大だった。

 部屋に置くと決めた本の全てをしまい切らないうちに、棚はいっぱいになってしまったのだ。

 さすがに固唾を呑んでしまった。



「…………どうしたものかな」

 たっぷりの沈黙の後、サルヴィエはやっと口を開いた。その声音の重々しさが状況と彼の心情を物語っている。

 今日までサルヴィエは自室の整理にのめりこんでいた。物置に置いていた本まで洗いざらい確認していたのだからものすごく頑張った方だ。

 それがこんな形で冷や水を浴びせられる。

 気勢を削がれるのも無理はなかった。



 サルヴィエはつぶやく。

「もっと処分しなければならないか?」

 私は答えられなかった。

 今ここにあるのは全て手放すことはできないと判断した物なのだ。


「屋根裏部屋の空いてる場所に置きましょうか?」

 せめてもの代案を出す。

 今私の寝室として使っている屋根裏は比較的床が広いし、殺風景なぶん物は少ない。私の私物は鞄一つ分でしかないから、あぶれた本を保管するだけの場所はある。


 しかしサルヴィエは意外なほどにきっぱりと拒否した。

「それは駄目だ。あそこは君に貸したんだから」

 普段よりも強い口調に思わず目をみはった。普段の印象と比べてずいぶん厳格な線引きだ。


 それなら他に助言できることはないだろうか。

 私が必死に頭を悩ませていると、サルヴィエは声を上げた。

「――仕方ない。ここまで片付いたのだから十分だろう」

「え」

「多少床に物が残ったところで、前よりかはずっといい」

「いや、でも」

 とっさに食い下がる。

 サルヴィエの身長では床に置いた物をうまく扱うのは大変なはずだ。それに、中途半端に収納の外に物を残しておくと気が緩みやすい。

 このままだときっとまた散らかる。


「これぐらいが身の丈に合う」

 うろたえる私をよそに、サルヴィエは背を向けて机に歩み寄り、置きっぱなしの研究書の表紙を撫でた。有無を言わさぬ雰囲気だった。微かな動作からは感情は読み取れない。


 私はその背中と足元の本の束を交互に見比べて、最後にはサルヴィエを見つめるほかなかった。

 それでいいとはとても思えない。

 けれど今すぐにかける言葉も思い浮かばなかった。

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