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6.外出の誘い(2)

 書店に持ち込んだ本は無事全て引き取ってもらうことができた。

 続けて酒屋に寄り、空き瓶を回収してもらう。これでサルヴィエも私も手荷物は軽くなった。



「ついでに寄りたいところがあるんだが、遠回りしても構わないか」

「わかりました、大丈夫です」


 サルヴィエの提案に従って、大通りまで引き返すのではなく町の北側の脇道を一巡りして行くことになった。



 本屋の前の静かな通りからさらに先へ進む。

 町の外縁近くまで至り、道を曲がると、ふいに喧騒が押し寄せてきた。

 狭い道の両側に作業音が反響している。間口の開いた建物が連なり、そこかしこで職人が立ち働いているのが見える。

 そこは工房街のようだった。

 

 のみを振るう絶え間ない音が反響し、時にどこかから怒号が聞こえてきたりする。決して治安が悪いわけではない。とにかく飾り気のない、あけっぴろげな雰囲気の通りだ。

 いろいろな工房の軒先を横目にうかがいながら、私はサルヴィエに訊ねる。

「ここにはなにかあるんですか? それともただの通り道?」

「このあたりに知人が住んでいるんだ。声をかけていこうと思う。いなかったらいないでいいんだが」

「へえ……」

 意外な感慨が湧いた。

 隠者暮らしのサルヴィエに知人。いたのか。最寄りの町なんだからそりゃいるだろうけど。

 それにこの騒がしい工房街というのも意外だった。工房街と魔術師。掃除婦と暴れ馬くらい奇妙な取り合わせだ。物語が生まれそうではあるけれど、物静かなサルヴィエとどんなつながりがあるのか見当もつかなかった。



 話しているうちに目当ての店に着いたようだ。サルヴィエは足を止める。

 そこは工房の一軒だった。一階部分の正面の壁は取り払われていて開放的だ。ひろびろした石の床に無造作に置かれた大工道具やそこかしこに立てかけられた板材など、工房の中の様子がよく見える。

 そして奥には一人の人影があった。


 サルヴィエは表口の柱を軽く叩いて合図する。

 すると奥でこちらに背を向けていた男性は作業台から振り返った。

 若い人だった。男性にしてはやや小柄な体格とぱっちり開かれた目から一見すると子供のように見えたが、木くず糸くずがたくさんついたエプロンや頬を拭う手の無骨さが一人前の職人らしさを感じさせる。私と同年代かそれ以上だろうか。


 彼はサルヴィエの姿を認めると目を見開き、声を上げながら大股でこちらに歩み寄ってきた。

「サルヴィエ! 久しぶりじゃん、何日ぶり?」

「三週間」

 その快活な声と身振りに私は目を白黒させた。気むずかしそうなサルヴィエとは正反対の性格に見える。


 圧倒されていると、その人は私に気づいた。

 とたんに好奇の目で詰め寄ってくる。ぎょっとした。

「えっ、あんたサルヴィエの恋人?」

「違います!」

「お手伝いのラーヴァさんだ」

 さっきの本屋でも聞いたようなセリフである。

 年頃の男女が並んで歩いていたらそう思うのも無理からぬことかもしれないが、あいにく私たちは雇い主とお手伝い。

 おそるおそるサルヴィエを見上げてみると、相手の発言に呆れている程度のものでほぼ平静な表情である。いかにも年長者らしくて、ひとり慌てる私が馬鹿らしかった。

 サルヴィエの知り合いという人は、なんだちょっと安心したのにと大げさなくらいがっかりして見せた。なんでこの人は行く先々で異性関係を心配されているんだ。


 彼は肩で切りそろえた髪を揺らして笑う。

「はじめまして、俺はチッカ。このタンペル家具工房の職人兼次期親方。よろしくね」

「ラーヴァです。はじめまして」

 チッカは親方である父親と二人でこの工房を切り盛りしているのだという。


 家具工房と聞いて思い出すものがあった。彼の書斎の家具。隣の雇い主に問いかける。

「サルヴィエさん、ご自宅のあれって」

「想像の通り」

 チッカは笑う。

「サルヴィエがあの家に越して来たとき、うちでいくつか家具をあつらえたんだよ。五年ぐらい前だっけ?」

「四年半」

 ではあの重厚な机やベッドは彼か彼の親方か、ともかくこの工房で造られたのだ。

 その頃から付き合いを続けているのならけっこうな古馴染みだ。


 チッカは私にずいと顔を近づけて、いたずらめいた笑みを浮かべる。

「あの家に住み込みなんでしょ。勇気あるねラーヴァちゃん」

「あー……」

「…………」

 近い。心の距離も物的距離も近い。

 加えて返事に困る問いかけである。家主がじっとりとした目でチッカを睨んでいるので余計に。

「最近は片付いてきてますよ。そのために私が雇われたんですから」

「ちょっと、それは」

「え!」

 ここは主人を援護しておこうと思って私が言うと、二人は真逆の反応をした。チッカは目を輝かせ、渋い顔をしたサルヴィエは黙り込んでしまう。

「えっ、掃除屋さん?」

「はい」

「サルヴィエが自分で頼んだの!? 掃除屋さんを!? へえー……!」

 なんだか火に油を注いでしまったようである。

「あっはは! ついに自分じゃ手のつけようがなくなったんだ!? いやよかった、心配してたからさあ、散らかしきる前はずいぶん苦しんでたし、散らかしきっちゃったら悟ったみたいになっちゃったし」

「……うっとうしいから言いたくなかったんだ」

「なんかすいません」

 意図的ではないながら家主の過去を暴露させてしまった。

 ずばずばものを言うチッカの饒舌は聞いていて気持ちがいいくらいだったが、言われているのが雇い主なので流石にいたたまれなかった。でも申し訳ないが若い職人の饒舌を止められそうにない。


 チッカはひとしきり騒いだ後、一息ついてからまた口を開いた。

「あんた、住み着いた頃はまだ頑張ってきれいにしようとしてたもんね。いい人が来てくれてよかった」

 サルヴィエはこれには返事をしなかった。くたびれた顔をしてそっぽを向いただけだった。チッカはそれを見てただ笑っていた。

 この職人は人懐っこく、他人の懐にためらいなく踏み込む人であるようだ。ひょっとすると必要以上に。

 だからこそ気難しげな魔術師の友人をやるにはちょうどいいのかもしれない。友達をやっている理由がなんとなく分かる気がする。



 チッカに別れを告げ、家具工房を離れた後、ぐるりと大通りまで戻って食品や日用品の買い出しをする。

 訪れた食料品店でサルヴィエは、中年の気さくな店主に「しばらく見なかったが無事だったか」と大げさな心配をされていた。魔術師の家、やはり魔窟として認識されている可能性がある。





 家を出るときには中天を過ぎたばかりだった太陽は、帰路につく頃にはもう朱色に染まりかけていた。畑は一面入日に照らされ、風に揺られる麦穂は一枚の布のように波打っている。

 サルヴィエは購入した食料品の半分を持ってくれている。私はサルヴィエに一歩遅れて農道を歩いた。


 いろいろな店を回るうち気付いたことだが、魔術師は意外に交遊関係が広い。立ち寄った店工房だけでなく、道端でも何度か町の人に声をかけられていた。町はずれに住んでいるのにこれだけ知人に恵まれているとは思わなかった。


 先を歩くサルヴィエの横顔を気付かれないように眺める。家路を歩くサルヴィエの表情は、明るくも楽しそうでもない仏頂面だ。

 それでも決して受け答えに応じない人間ではない。気むずかしそうに見えるが人嫌いなわけではないのだと思う。



 ――だったらどうして町に住まず、不便な立地の森の家に住んでいるのだろう。


 不意にそんな問いが頭をよぎった。前にも同じようなことを思ったが、町の人々と接する姿を見た今、なお疑問は深まる。

 もちろん静かな暮らしの方が好きな人だって世の中にはいるわけだし、本人が嫌がることを再度訊ねるような過ちを犯すつもりはないけれども。


 私は前を行くサルヴィエの後ろ姿に目をやった。

 道の先に照る西日が目を射す。サルヴィエの背は逆光になって暗い。


 この家に暮らし始めて、この家を片付けるようになってから色々あった。決して長い時間を共にしたわけではないけれど、一緒になって散らかった部屋と格闘していれば仲間意識はいやでも芽生える。

 そんな中でも私は、どこかサルヴィエのことを遠い人だと思っていた。

 遠ざけられているわけではない。私が遠ざけているというつもりもない。寡黙で浮世離れした、魔術師の雇い主。それだけ分かっているのだから上等だと思っていた。

 けれど今日は多くの人と話すサルヴィエを見た。森の小屋で二人で話しているだけでは見られない顔も。


 雇い主の魔術師という以上には、私は彼のことを知らないのかもしれない。

 遠い存在だと勝手に思い込んで見過ごしてきたのではないかと、何となく思った。


「ラーヴァさん」

「はいっ!」

 サルヴィエが出し抜けに言葉を発した。

 考え込んでいた私はふいに夕暮れの景色の中に引き戻されて、裏返った声を上げてしまった。

「買い物は重くないか」

「あ……いえ、大丈夫です!」

 荷物を代わろうかと言うサルヴィエの提案を首を振って固辞し、私は小走りでサルヴィエの隣まで駆け寄った。

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