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6.外出の誘い(1)

「ラーヴァさん、町に行こう」

 朝というにはやや遅い時間に起き出してきたサルヴィエは、台所掃除に励んでいた私にそう言った。

 唐突な誘いに私は首を傾げた。

「町ですか?」

「本を売りに行く。持っていける量が溜まったから」

「ああ!」

 これまでの蔵書整理の中で、サルヴィエが手放す決意をした本が少しずつ増えてきていた。全体の量から見ればほんの一部分だけれど、物置の床には小山いくつか分の本が積まれている。

 この国で本は手に入れやすい品だ。安価とまではいわないまでも店がそこかしこにあるので親しみやすい。高値でやりとりされるというものでもないが、サルヴィエの蔵書のような専門書ならまた違うのかもしれない。

 本も売ることができるなら経済的だし、不用品は片付いて一石二鳥だ。サルヴィエ自身が物の処分に積極的になるのは素直にうれしかった。


「私も行ったほうがいいんですか?」

「ついでに他の用を済ませよう。料理をしてもらうようになったから、食材の買い出しがいるだろう」

「いいんですか!」

 声が弾んだ。

 先日つつがなく台所掃除が終わったので、ちゃんと料理が作れるようになった。家主の生活に合わせて昼夜の食事を用意し、ついでに私の朝ごはんをちょっとずつもらっているため、貯蔵庫の食材はどんどん目減りしている。食料庫は一度傷んだものを一掃しているからなおさらだ。

 加えて言えば今あるのは保存に特化した食料ばかりである。野菜の酢漬けを堅焼きのパンに挟んだものとか、塩漬け肉で出汁をとったスープとか、豆と干し野菜のスープとか、あるもので豊かな食生活を保とうとどうにかやりくりしていた。

 そんなだからサルヴィエの申し出は嬉しいものだった。町に出たら新鮮な肉や野菜、果物が調達できる。

「ぜひ行きたいです!」

 そろそろ空き瓶や金物も回収してほしかったのだ。渡りに船だった。



##



 最寄りの町はサルヴィエの暮らす森の家から小一時間ほど歩いたところにある。

 森と町をつなぐ道は、町の周囲に広がる田園地帯を横切る農道である。私が初めて森の家を訪ねた時にも通った道だ。平坦な一本道で、畑を行き来する人々が利用するため良く慣らされ、草も刈りこまれている。徒歩で行くには面倒だが行き来できなくもない道のりである。


 そんなだから、森を出て少し歩くと目に映るのはだだっ広い畑地だ。

 片側をうっそうとした森、もう片側を平野に挟まれた道をしばらく行くと一気に視界が開ける。畑を眺めながら歩くとそう背の高くない草の間に粒のそろった房が見え隠れする。薄雲がかった青空の下、穂の間では作物を守る人たちが熱心に動き回っている。

 道の端々には炭焼き小屋が点在しており、数は少ないが民家も現れる。時折近くの人とすれ違うので一人でも安心して歩ける。

 今日は二人連れなのでなおのこと心穏やかな道中だった。


「サルヴィエさんはよく町に行くんですか」

「たまに行くだけだよ。必要な物はまとめ買いするようにしている」


 言葉を交わしているうちに民家の数は増えてゆく。じきに農道は街道に合流して、大麦畑から果樹園の並びへと景色は移り行き、やがて町に出た。


 最寄りの町は外壁もないような小さな町だ。町のすぐ外まで木々の連なりが迫っていてそれが外壁の代わりをしている。

 町は元々あたりを通っていた街道に沿ってできたものらしい。東西に延びる街道を目抜き通りとして主要な建物が立ち並び、ごく細い小路がその間を縫っている。


 町の入り口に立つと、人の笑いさざめく声や行きかう音が聞こえてきた。立ち並ぶしっくい塗りの壁は家ごとに淡い黄色や白と不ぞろいで、その素朴な鮮やかさが目に楽しい。小さいなりに活気のある町だ。



 私は余所から来て三日と立たずサルヴィエのところに勤め口を紹介してもらったので、この町についてはほとんど知る機会がないままだった。行き先は全てサルヴィエまかせだ。



 森の梢よりも背の低い、小ぢんまりとした建物が連なる通りを、人の出が少ない方に歩いていく。

 それほど長くない道のり、サルヴィエはまもなく細い通りの半ほどにある、一軒の店構えを前に足を止めた。看板のマークが示すのは本屋のようだ。

 サルヴィエは窓のない扉を押し開けて店内に入った。

「トレザ女史」

 視線でもって私たちを迎えたのは、六十代くらいの婦人だった。この本屋の店主らしい。

 細身の婦人はカウンターに広げていた本から視線を上げ、年配の女性特有の低い声で応じた。

「しばらくぶりだね」

 サルヴィエは無言で返す。そこにはなじみの店の客らしい親し気な会話などはない。だが慣れた距離感らしいことがうかがえた。


 私は普段めったに入ることのない書店の雰囲気に、ついちらちらと店内を見回す。

 通りに面した小窓には薄手のカーテンが閉ざされていて、店内はほんのり暗い。

 陰の差す店舗空間の壁際には背の高い本棚がいっぱいに並べられており、書籍がみっしりと隙間なく陳列されていた。「物語」「法律」など、数段ごとに本の種類を示す付け札が差し込まれている。手前の小さい棚には「古本」と札が付けてある。

 どうやらここは新刊本も古本も扱う書店のようだ。

 大きな街なら古本屋や貸本屋などそれぞれ別の店としてあるところだが、小さい町だからそれでいいのだろう。


 サルヴィエはカウンターに持ってきた本の包みを乗せた。

「買取を頼めるか」

 婦人は手慣れた様子で包みを解いて、広げた本を覗き込む。

「どれ……ずいぶん前に買っていった物だね。状態は悪くない……けど、そう高値にはならないよ」

「それで構わない。家の整理をするために処分したいだけだ」

 婦人はちらりと顔を上げ、サルヴィエを見て呟いた。

「そう、ついにね……」

 店主はサルヴィエの持ち込んだ古本を手早く検め、言葉少なに査定の完了を告げた。帳面に記名するよう言われ、サルヴィエはペンを動かし手続きする。


 その間受け渡した本を後ろの棚に一冊一冊並べながら、店主は言った。

「嫁さんと住める家に引っ越すのかい」

 その視線が明らかに私の方を向いていたので思わずせき込んでしまった。

 サルヴィエがすかさず弁解する。

「女史、彼女はお手伝いで」

「あらそう、やっと偏屈者が片付くと思ったのにね」

 老婦人はそっけない表情を変えないまま冗談めかして言う。……心臓に悪い。


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