5.散らかりの理由(1)
片付けを進めるには家主の協力が不可欠。
しかしサルヴィエは魔術師としての研究があるそうで、毎日は片付けにとりかかれない。一日の大体を私室兼書斎にこもっている。
そういう時ぼんやりしているわけにもいかないので、私は掃除婦として日々の掃除に励む。
食堂の棚にはたきをかけ、屋根裏とつながるはしごから床の隅々まで掃き、テーブルをさっと乾拭きする。
片付けをするしないに関わらず、毎日の生活でほこりは溜まっていくものだ。だから掃除はこまめに行うのが理想的だし、掃除のたびにいちいち邪魔な物をどかしたり戻したりせずに済むように片付けをしておく必要がある。
今、食堂はほどほどに片付いている。初日から不用品の分別を行ったので足の踏み場ができ、床を磨いたことで、落ち着いて食事をするくらいの場所は確保されている。
だけど捨てられずにいる物はまだまだ幅を利かせている。焚き付けにする予定の紙の束はまだ残っているし、めっきがはがれたさじや欠けた皿など、すぐにどうにもならないがらくたは袋にまとめて置いておくほかない。
そして、厚い本の数々。
「……持って帰ってもらわなかったっけ?」
数日前、確かに食堂の本はまとめて片付けたつもりだった。特に場所を取っていた書籍は、今ではサルヴィエの部屋、もしくは物置の棚に分けてまとめられている。
そのはずだったのに、食堂のあちこちには本が置き忘れられている。食器棚の戸枠だったり、食卓の椅子だったり、完全ではなくとも片付き始めた食堂内に脈絡なくポンと現れる書籍は違和感がある。
ため息をつく。家主が読んだまま置きっぱなしにしていったのだろう。仕方ない人だ。
片付けは一度大掛かりに行えばそれでよいというものではない。こまめに片付ける習慣がつかないとあまり意味はないのだ。こういう本一冊が気を緩ませる。
サルヴィエは現在研究中。仕事中に邪魔をするのは本意ではないし私も掃除の途中だ。後で返すことにした。
しかしことは一筋縄ではいかないと分かった。
「どうしてまた本が増えてるんです……!?」
「……持ってきたからだな」
先に置き忘れられた本を持ち帰ってもらってから数日。
私は思わず雇い主相手に肩を怒らせて問い詰めてしまった。
サルヴィエは何食わぬ声で返答するが、あからさまに顔をそらしている。
自室に持ち帰ってもらったはずの本は、再び食堂のそこかしこに散らばっていた。
「本はご自分の部屋にと言ったじゃないですか。なんでまた持って来たんですか?」
「分かった分かった、持って帰るから」
持って帰ればよいというものでもないのである。
「ここで読むのはともかく、毎回ちゃんと持ち帰るようにしないとまた散らかっていくんですよ。生活が住む場所を作るんだから」
散らかったものは正しい場所に収める必要がある。
実はその習慣をつけることが片付けには一番重要なのだ。
「分かった分かった」
サルヴィエは口ではそう言う。軽くあしらわれているようで釈然としなかった。
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納得いかない。
朝の口論を引きずりつつ、先延ばしにしていた洗濯をすることにした。
高くそびえる梢にぽっかり空いた穴からは、よく晴れた青空が垣間見えている。木立が風に揺られてさわさわと快い音を立てる。気分を切り替えるにはもってこいの洗濯日和だ。
まずは下準備として井戸から汲み上げた水を鍋で沸かす。家主はお湯を出せるそうだし気軽に頼んでいいという話だったが、それくらいのことは一人でやりたいので声は掛けなかった。
炉の中で燃える火を前に私は考え込む。
どうしてサルヴィエはあんな風に本を散らかすのだろう。
食堂でのことがまだ私の中で尾を引いていて、少々もやもやしていた。怒るほどのことではないと頭では分かっていてもやっぱり気になった。頼んだことが守られなかったせいだ。あんなにあからさまにあしらったりして。
それに、家をきれいにしたいと口では言っていたサルヴィエが、だらしのない習慣を変えようとしていないのも不満だった。曲がりなりにも家をきれいにしようという人の生活ではない。
実際のところ、サルヴィエ自身は自分が散らかした場所をどう思っているのだろう。
私は散らかったものが目に入るのはあまりいい気分じゃないと思う。視界に入るありとあらゆるものに知らず知らずのうちに気を取られてめまいがするのだ。私があまり私物を持たずに生きてきたせいかもしれないけれど。
慣れてしまえば平気なのかもしれない。だけどそんな環境に慣れたら、無意識に神経をすり減らされるんじゃないだろうか。
大きなたらいにサルヴィエの服を入れておき、お湯が温まったらその中に流し込む。冷めてきたら踏み洗いをして、残り湯を地面に流したら一枚一枚しぼる。結構な重労働だ。
物干しには丈夫そうな紐を見つけてきておいた。
一着一着袖を紐に通し終えたら、紐の片方を開け放った勝手口の扉に、もう片方を家を囲む木の一本に括りつけてピンと張る。
すべての洗濯物を等間隔に整え直すとひと心地ついた。
真っ白に漂白された麻の肌着。深い青色の毛織の上着。廊下の隅でほこりと絡んでいた衣服たちも、ほこりにまみれてすすけた様相からすっかりきれいになって吊られている。
そよそよと風に揺られる衣類の数々を眺めながら、私は腕組みして考えた。
彼の暮らし方が気になるのは、私の前にいたお屋敷と比べてしまうからかもしれなかった。前のお屋敷では広いだけにお茶を飲む部屋や本を読む部屋は決まっていて、かえって物を持ったままうろつくことがなかったので、雑貨が散らばるようなことはなかったのだ。
とはいえ住生活は人それぞれだ。家の数、人の数だけの暮らし方があるのだから千差万別であって当然。あまり比べるのは良くない。
ふいに鼻先で洗濯物が揺れた。風とは違う揺れ方だ。
私はとっさに家の方を振り仰ぐ。
サルヴィエが物干し紐をくぐってこちらへ歩いてくるところだった。
「サルヴィエさん? 研究終わったんですか」
「息抜き……」
サルヴィエは顔を背けたまま言う。どことなく気まずそうな佇まいだ。
私も続く話題が浮かばなくてしばらく口ごもってしまう。一度洗濯に集中したため頭は冷えていた。そうすると朝のことが一気に不安になったのだ。いくら片付けのためとはいえ家主の生活にまで口出ししたのは差し出がましかったんじゃないか。しかしあの習慣は放っておいて良いものでもないし。悩ましい。
しかし一人で悩み続けていても苦しいだけで通じるわけじゃない。さっさと謝ることにした。
「あの……さっきはすみませんでした。ずけずけ口出ししちゃって」
「いいや」
サルヴィエは気だるげに息を吐きながら言った。
「君の言うことが正しいのは分かってる」
よかった。
二人で目を見合わせて頷きあう。これでいつも通りだ。
「あ、もしかしてもうお昼ご飯の時間ですか? 今すぐ戻って用意します」
「気にしなくていい」
サルヴィエはかぶりを振って洗濯物の列を見上げる。
「洗濯はもう終わったのか」
「はい。この通り」
堂々とはためく洗濯物を示す。仕事の成果を見せるのは誇らしい。
「言ってくれたらよかったのに」
「さすがにそれは悪いですよ」
彼は魔術でお湯を沸かしたりして手伝うつもりがあったのだろうが、主人を鍋扱いするのは申し訳ない。
「そんなに気負うようなものじゃない」
サルヴィエは両手を掲げて空をじっと見つめた。
その足元から、前と同じ青白い光の粒が立ち上る。
紐が大きく揺れ、吊るした洗濯物が音を立ててはためいた。
身体に風を受け一歩二歩と足が後ろにもつれる。サルヴィエが肩を支えてくれた。
「少し強かったか」
「大丈夫です。これ、風の魔術ですか?」
「前は場所が悪かったからね」
名誉挽回というやつだ。
サルヴィエは思ったより負けず嫌いなようだ。外見や日頃の振舞いが大人びているだけに面白かった。
風の魔術は以前室内で見せてもらったものよりもずっと大規模だった。前のは小さなつむじ風。今吹いているのは帆船をも動かすような大風だった。
吊るした衣服が風にあおられて空へと翻り、私はとっさに頭上を仰いだ。藍、白、生成り、さまざまの洗濯物が青空を背負ってはためく。祭りの日に町に飾られる旗のように、閑静な森の閉ざされた空が彩られた。
洗濯物ばかりでない。家の周りを取り囲む木々の枝葉までもがこすり合わさり音を立てている。
森の中でこれほどの秘儀が行われていることを、町の人々は知るよしもない。立ち会うのは私だけ。それはとても贅沢なことのように感じた。