4.魔術師の流儀(4)
本と向かい合う毎日が続く中、半ば途方にくれつつ私はつぶやいた。
「魔術の研究ってこんなに本を使うものなんですね……」
それは立ちはだかる書物への八つ当たりも混じっていた。
先日、彼が魔術の調査を行っているという話を聞いた。
私が魔術に関して知っていることは少ない。魔力を操ることで水や炎、風を呼ぶことができるということくらいだ。自然を司る天の神々が人に与えたからなのだという。
やっぱり頭の中でそんな自然の力とこの本の山とがうまく結びつかないのだ。
それはまあ、と受け答える声は当たり前のように平坦だった。
「魔術を使うだけなら身一つでいいが、調べようと思えばそれだけでは足りないから。あちこちから情報を集める必要がある」
「本で調べられるものなんですか……?」
「他の研究者の考えを参考にするのが目的」
「へえ」
聞いても結局分からない。
「例えば、今僕がやっているのが魔術基礎と言われる学問で……」
サルヴィエは首をひねって考え込んでいる。どこから話すべきか考えあぐねているらしい。
「魔術にはさまざまな法則があることが分かっている。魔力の限界は人によって違う……とか、出身地によって得意とする術の傾向が分かれるとか」
サルヴィエは不慣れな口調で説明してくれる。
魔術はある時期まで奇跡だと思われており、人の手で使えるものとは考えられてもいなかった。
魔術師が国中に存在し、あちこちで魔術が役立てられるようになった今でさえ、そのすべてが分かっているわけではない。詩人のような創造が魔術を行使する鍵であると考えられているが、使うことのできない者もいるためまだ不確かだ。
「そういった魔術の法則、原理を調べるのが基礎。算術があって、それを基に建築や灌漑が行われるようなものだ」
私はああと相槌を打って、ほとんど無縁の魔術師の世界へ思いをはせた。専門家からしっかり話を聞くのは初めてだ。
「魔術の分野は多岐にわたるから、色々な文献に当たることが新たな原理を解明する道になる」
「それでこんなに…………すごいことをしていたんですね」
結局単純な感想しか言えないが、正直な本心だった。目に見えるでもない理屈をとらえて言葉にするのは、どちらにも縁のない私にとっては、それこそ魔術のように深遠だ。
「魔術の研究者なら誰だってそんなものだ。必要に迫られて学ばざるを得なくなる」
そう言ってサルヴィエは顔を背けた。
本業がそう言うならそういうものなのだろうと私は納得した。
あちらを向いてしまったため彼の顔色は分からない。
もしかしたら。私は思いついた。これはサルヴィエなりの照れ隠しなのではないだろうか。
家主は表情に乏しい人であり、感情が読み取りにくい。そんな彼の感情表現の一つがこれなのかと思うと少しおかしかった。
「さて……」
とりあえず手近なところにある雑貨は一通り片付いた。
しかし本の山々はでんと横たわっている。ようやく一息ついたところにまだまだ待ち受ける本の選別作業、これにはさすがに気がめいった。
隙間に転がる雑貨を拾っていくのは大変ではあるが、変化があって比較的楽しい作業だった。
それに比べると、たくさんの似通った本を見続けるのは質も量も疲弊が大きい。
サルヴィエもすでに疲労困憊の様相だ。私と同じ気持ちなのだろう。むしろ一番の難問である本の整理を一人で行っているのだから、私より疲れているはずだ。選んでは分け、選んでは分け、それでも視界に入る本の山は目に見えて低くなるわけじゃない。
「もう……いっそ逆の発想でいきましょう!」
私は捨て鉢になって提案した。
「逆?」
「捨てる物じゃなくて、いる物を先に抜き出すんです」
飽きがくる作業をちょっとひねっただけの苦肉の策である。だけどそれは我ながら妙案のように思えた。
サルヴィエは捨てることを好ましく思っていない。捨てる物を決める作業は苦痛なのだろう。
だから少しでも前向きに思えそうな方を先に持ってくる。
いる物を取り出し、その後で捨てる物を物色することになるわけだから、手間は一工程増えることになる。だけどいる物を全て抜き出した後でなら、気持ちの上では楽なのではないだろうか。
「そうか……そうかもしれない」
思い付きでの提案だが、サルヴィエの感性にも響いたようである。新たな道が見えたことでかいくぶん活力を取り戻したようで、目に光が戻っている。サルヴィエはさっそく床に本を並べ始めた。
本格的にサルヴィエが選別に入りだすと、門外漢の私には手の出しようがない。
いったん離脱して食堂で夕食の仕込みだとかの細々した家事を片付けることにする。
そうしてしばらく台所作業をしてからサルヴィエの様子を見に行く。
「どうですか、進みました?」
床にあぐらをかいていたサルヴィエは顔を上げた。
「ラーヴァさん」
「これがとっておく本ですか」
「ああ」
彼の背後には本の山から切り崩したと思しき書籍が積まれている。
進み自体はそう速くなっているわけではない。だが顔色が明るく見える。どうやら新しいやり方は向いていたようだ。同じ作業効率なら気楽にできるほうがずっと良い。
「夕食の用意がそろそろできるんです。切り上げられますか?」
「そうか。じゃあ今やっている分が終わったらすぐ行く」
返事をする声にも精彩が戻っている。それを確認して、私はほっとして食堂に戻った。
テーブルに料理を並べていると、じきにサルヴィエが食堂に入ってくる。
サルヴィエは食堂の入り口で足を止めた。驚いているらしく、目をみはって湯気の漂う食堂を見渡している。
私は跳ねるような足どりでサルヴィエの背後に回り、席へと促した。気分はいたずらに成功した子供だ。
「さ、召し上がれ!」
席に着いたサルヴィエは虚を突かれたようにつぶやいた。
「温かい食事はひさしぶりだ」
今日の夕食は、細切れの塩漬け肉と干し野菜をたっぷり入れたスープ、それと薄切りにした固パンだ。使っていいと言われていた貯蔵庫には、嬉しいことに日持ちのする食材が案外豊富に収納してあったのである。
油脂も生鮮食品も使わない簡単な料理ではある。
だけどちゃんと調理した食べ物がテーブルに上るのは私がこの家に来て初めての快挙だ。
私は作業台の方を指さした。
「炉を磨いておいたんです。明日洗濯をするのにお湯を使いたくて」
炉は年季が入っていてどうしようもない焦げつきの跡も残っていた。だが幸いにも古い脂がひどくこびりついているとかいうことはなかったので、掃除はかなり楽に済んだ。多分だけど、これまでに使った回数自体が少ないのだと思う。なんにせよ大した手間もかからずきれいになったのはありがたい。
サルヴィエは衣食に関しては特に注文をつけなかった。だからといって著しく手を抜いたりして、家主との関係を悪くするのはのぞましくない。それに私も食べられるなら美味しいものが食べたい。
だから料理についてはずっと気にしていたのだ。洗濯の副産物だが、料理ができるようになったのはとてもありがたかった。
サルヴィエは「そうか」と一つうなずいた。
「言っておけばよかったな」
「ん?」
「お湯なら出せる」
サルヴィエはそう言うと、立ち上がっておもむろに小鍋を持ってきた。そして食卓に置いた鍋に手をかざすとたちまち燐光が渦巻き、虚空から透明な液体が注ぎ込まれた。湯気を立てるそれは、まぎれもなくお湯だった。
私は何も言えぬまま音を立てて注がれるお湯を眺めた。
……魔術がそんなに気軽で便利に使えるなんて一回も聞いてないけど。
これで真っ当な食事が出せるようになったから、別にいいんだけど。
私は自分にそう言い聞かせて、叫びたくて仕方ない「先に言ってください」を飲み込んだ。