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5 何も出来ない現実が胸を

辺りを見回すとあの王太子殿下も陛下も騎士も居なかった。

私はお母様に抱き締められたままの姿勢で突然景色が変わった事に困惑する。


「お父様っ!?」


ハッとして姿の見えないお父様の姿を探す。


「貴方っ!」


お母様が叫ぶとお父様は少し離れた場所に倒れていた。

突き刺さっていた尖った氷は見当たらない。

あれはきっと気の所為だったのだ。

あの太った王太子殿下がお父様の魔法障壁を破る事なんてやっぱり出来るはずない。


お母様は私を抱き抱えて立ち上がるとお父様の元へ駆け寄った。


うつ伏せで倒れているお父様。

お母様は私を下ろしてお父様を仰向けにすると絶句した。

その胸には大きな穴が空いて止めどなく血が流れていた。


「嫌ァァァァーーッ」


お母様の叫び声が森に木霊した。

お父様の瞼がピクリと反応するのが目に入った。


「お父様っ!お父様っ!」

「あ、貴方!」


お父様の瞳がお母様と私を捉えた。

ゼェゼェと苦しそうな呼吸をしながらお父様は笑みを浮かべた。


「...マリー、ヴァレリー...無事か...?」


お母様はお父様の手を握り何度も頷いた。

涙を流しながら力強く応えた。


「心配要らないわ。私もヴァレリーちゃんも大丈夫です」

「そう、か...」


さっきまで取り乱していたお母様は貴族の仮面を被り、涙声ではあったが凛としてお父様に向き合っていた。

今思えば、この時お母様はお父様がもう助からない事を悟って、私達を残して往くお父様の心残りを少しでも軽くしてあげたかったのだろう。


「り、隣国に...転移しようと、したが...すまない...制御出来な...かった...マリー、コレを...」


お父様は右手の袖からカフスを外してお母様に手渡した。


「結界の...魔石だ...マリーでも使えるように...げふっ」

「お父様っ!」


お父様が血を吐いた。

私は泣きながらお父様に手を伸ばした。

お父様が死んじゃう!

それがただ恐ろしかった。


「ヴァレリー、お前は聡い子だ...ずっと居れなくて、すまない...」

「嫌、お父様、嫌よぉ」


お母様が私の肩をそっと抱き寄せた。

私の手を取りお父様の手と繋いでくれた。

その繋いだ手をお母様が両手で包み込んだ。


「はぁ...はぁ、ありがとうマリー。君の夫で居られて...こんな、にも可愛い天使を産んでくれて...幸せだった...はぁはぁ...ヴァレリーを頼む...不甲斐ない私を、赦してくれ...」


呼吸が荒くなりお父様の声は掠れて苦しそうだった。

お母様は握る手に力を込めて涙を零しながらお父様に微笑んだ。


「謝らないでジャン。私は貴方から沢山幸せをもらって感謝しているのよ。安心して、ヴァレリーちゃんは私が必ず護るわ。だからもうゆっくりと休んでくださいな」


お父様に向けたお母様の微笑みはとても美しかった。





お父様は最後に少しだけ笑って静かに目を閉じた。





「...お父様?」


私が呼べばお父様はいつも目を細くして微笑んでくれたのに。

近くに寄ればいつもその大きな手で頭を優しく撫でてくれたのに。

もう苦しそうな呼吸が聞こえなくなった。

体はこんなにも温かいのにお父様の指先は酷く冷たくなった。

もう一度お父様の声が聞きたい。

もう一度大きな手で撫でて欲しい。

もう一度抱き締めてよお父様...



「うあぁぁぁぁぁぁん」


私の大切な何かが音を立てて壊れてしまった。

寂しくて悲しくて声を上げないとおかしくなってしまいそうだった。

いやもう私はおかしくなってしまったのかもしれない。


声が枯れるまで、涙か枯れるまで、私は声を上げて泣いた。


お母様もそんな私を強く強く抱き締めてお父様の傍でずっと泣いていた。







暗闇に沈んだ意識が浮上すると、私はお母様の膝枕で眠っていた。

辺りは薄暗くどれ程の時間が経ったのかまるで分からなかった。

お母様は少し疲れた顔をしていたが、私が目覚めるとそっと髪を撫でてくれた。


「起きたの?ヴァレリーちゃん」

「はい、お母様...あのお父様は...?」


私はまだ意識が混濁していた。

お母様は私の言葉に目尻に涙を浮かべたけど一瞬だけ悲しみに耐える様に口を強く結んで、柔らかな笑みを見せた。


「お父様は今休んでいるのよ。だから今は私達だけで進まなきゃいけないのよ」

「...はい...」


お父様の最後の表情を思い出して私は素直に頷いた。

堪えようとしたけど涙が溢れてきてポロポロと零れてしまう。


「ごめんな、さい...」


今は泣いちゃダメだと思えば思う程、涙は止まらなかった。

お母様は何も言わずに私を胸に抱き寄せ、私が泣き止むまでそのままで居てくれた。



暗い木々の隙間から光が射した。

細い光の線が照らした地面はでこぼこした土と枯葉。

少しずつ辺りの景色が暗闇からグラデーションで色を付けていく。


朝になったのだ。


私は力尽きてずっと眠っていた。

お母様はその間ずっと結界の魔石を使って寝ずに護ってくれていたのだ。


「...お母様」


申し訳ない気持ちとお母様の体が心配で胸が痛い。

お母様はそんな私を見て笑みを零した。


「大丈夫よヴァレリーちゃん。お母様はこう見えても強いのよ。貴女の事は必ず護るわ」


嘘だ。

お母様は普通の、いや寧ろ弱い貴族令嬢だ。

戦う事なんて出来ない。

魔法が使える訳でもない。


「ヴァレリーちゃん。私は獣や魔物と戦ったりは出来ないけれどお父様から貴女を護るために貰った結界の魔石くらい使えるのよ。さあ、明るいうちにこの森を出ましょうね」


お母様は私をその細腕で抱き上げて歩き出した。

歩けない事が悔しい。

私は負担にしかならない。


「そんな顔しないで。ヴァレリーちゃんが居るから私は前へ歩けるのよ。一人だったらお父様の傍から離れる事も出来なかったわ。貴女の、ヴァレリーちゃんのお陰で強くなれるの。ありがとうヴァレリーちゃん」


お母様は私にそう言って力強く森の中を進む。

お母様の言う通り、お母様は強いのだと思った。


周りに注意しながら進む道の無い森の中はどれだけ進んだのか、どの位時間が経ったのか分からなくなる。

何度も休憩しながら食べれそうを木の実や飲み水を探して私達は前へ進む。


お母様の何十倍も太い木やでこぼこした大地に行く手を遮られ遠回りさせられみるみる体力と気力を奪われる。


殆ど何も口に出来ないまま、私達は森の中を彷徨い続けた。

僅かに見つけた木いちごもお母様は殆ど手を付けず私に食べさせてくれた。


お母様はこんなにも歩くのはきっと初めてだっただろう。

王都に住んでいた時は移動は馬車。

お父様にエスコートされ優雅に暮らす日々。

森の中に入った事など無いだろう。


それを平均よりも小さいとはいえ5歳児を抱え飲まず食わずで歩き続けるのは無謀であっただろう。

それでも、お父様が助けてくれた命を諦める訳にはいかなかった。



それでも体力が尽き、お母様の足は動かなくなってしまった。

私を抱えたままへたり込み動かない自分の足を涙を流しながら叩くお母様。


「なんで!なんでよ!この子を、ヴァレリーちゃんを護るって約束したのよっ!動いてっ」

「お母様!やめて!」


お母様の爪が食い込み血が滴り落ちるほど強く握り締める拳で動かない自分の足を奮い立たせる様に叩くお母様を見ているのが辛かった。

お母様を傷付けないで欲しかった。

それを止めても私は何も出来無い現実が胸を締め付ける。


「お母様、少し休もう?少しだけでも眠って?その間くらい私が見張りをするから、ね?」

「ヴァレリーちゃん...」


私の言葉で少し落ち着いたのか、お母様は足を殴るのを止めて少しだけ穏やかな顔になった。


「そう、ね...ごめんなさいヴァレリーちゃん。私がしっかりしなくてはいけないのに」

「ううん、私こそ何も出来なくて...」


「っ!ヴァレリーちゃん!」


きっと気が緩んだのだろう。

私の足下に近付く、不穏な気配に私は全く気付かなかった。

お母様は悲鳴に近い声を上げて私を腕の力だけで持ち上げ放り投げた。


何が起こったのか分からなかった。

地面に落ちる寸前に見たのは私が居た場所に細長く黒い蛇が居てお母様に牙を剥いて跳びかかる瞬間だった。





お読みいただきありがとうございます。


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