偽モナムール
生まれ変わったら人間以外に、なんて言う人間は増えてきていると思う。無論僕もそう思う。特に、魚になりたかった。水槽でグッピーを飼っているのだが、こんなふうに自由に泳げたらなと水槽を見つめている。そして水槽のガラスに反射して映る自分の姿は最悪だ。水槽という狭い空間でしか生きられないグッピーの方が不自由であるはずなのに、縛られていない僕が不自由を感じているのも不思議な話だ。諧謔的である。
僕が魚になりたいと思う理由は、恋愛にも関係している。なぜだか僕はモテるほうで好意を寄せられ、なぁなぁと付き合ってしまう訳だが、別に相手のことを好きとは思えない。最近では恋愛の志向が60程度にも分類されるほど多様化しているが、そんなにする必要は無いと僕は思っている。なぜなら、僕は好きとは思えないからだ。同じことを述べてしまうが、事実そうである。
「そんなに魚の方が好きならもういいよ、知らない」
はは、どうやらまた振られたらしい。と言っても彼女の方から言い寄ってきた訳だが。
この文言とともに水槽をひっくり返して家から去っていった。始末が大変だな、全く、グッピーが死んでくれたらどうするんだ。こんなに服も床も濡れてしまったじゃないか。
でもこのようなことは初めてではないので特に動揺はしていない。
関係が良好とは思えなかったので、僕が彼女を家に呼んで、別れようと教唆したところこんなことになってしまった。
やはり、三ヶ月も付き合っていたのに一度も好きだと思ったことがなかったと言ったのが原因だろうか。
好きとは一言も言ったことは無いと思うのだが、人間とは都合よく解釈するものである。
ちなみに、水槽をひっくり返されたことによってガラスの破片が刺さって血が出ているということもある。これは、僕がグッピーを一生懸命水を入れたコップの中に入れている時に発覚した。運がない人間だと思う。
「また盛大に振られたね。こんなに怪我までしちゃって、大丈夫?まったく、恋愛向いてないんだから断ればいいのに」
「どうやったらそっちのように上手く恋愛が行くのか教えて欲しいよ」
「えへへ、」
僕が唯一学校で話せる女子には毎回振られたことをいの一番に話す訳だが、毎回のようにからかわれる。でもそれには安堵感が僕にはあっていい。
「恋愛ってなんだ、というより好きについて教えてくれよ。好きってなんだよ」
「うーん、茫洋とした範囲で聞くなぁ。私は恋愛は忍耐だと思ってるよ」
忍耐?
意外とマイナスな表現が返ってきた。
「ほら、よく言うでしょ?男は謝っておけーみたいなさ。譲り合いの精神なんじゃないかな、恋愛って」
ふーん。だるいな。
「ほら、そういうこと言うでしょ。だから上手くいかないんだよ。というか上手くいかせたいと思ってないでしょ?」
確かにその通りだ。
故にこの質問は間違っているようにも思える。ただなんとなく聞いておきたい気持ちはある。上手く恋愛をしている人間に憧憬がある訳では無いけれど、同じ人間でどうしてこんな差が出るのか不思議だから聞いているだけ。活かそうとはまるでしていない。というか、君みたいな生き方をできるとは到底思えないし。
「好きって簡単なもんだよ。例えば、君はグッピーが好きなわけでしょ?その好きって気持ちを超過させたのが恋愛だよ」
超過って言われてもな。
「ふむ。やっぱり、諦めるべきだよ。あ、なんか彼氏が来たっぽいから行くね。じゃあね、また話し聞かせてよ」
会う約束をしていたらしくスマホを見るなり彼女は立ち去っていった。
なぜ彼女は上手く恋愛を行っているんだろう。恋愛は忍耐と言っていた。ただ我慢していてはいつか限界が来るだろう。まぁ、我慢しなくても限界が来て別れることもある訳だが。
彼女のことを僕は心より尊敬しているし、好きではあるけれどこれは恋愛ではない。巷では、このような好きを恋愛と勘違いしてストーキングしてしまう人間もいるらしい。好きの認識というのもまた難しいものなのだろう。
あと、好きと相手に伝えられるというという勇気が僕はすごいと個人的に思う。自分の粗末な顔、性格でそんな大それたことを言えるような自信が無い。まぁ彼女のように顔立ちがよければそんな自信もつくかと納得する。
そして次の日、彼女は顔や腕に痣を作って学校に登校してきた。
「どうしたんだ、その痣は」
「あはは、そんな戦慄くようなことじゃないよ。階段で転けただけ。安心してくれていいよ」
「お前は、階段で痩けただけでこんなに色がつくほどの痣をつけるのか。ましてや全体的にってわけでもなく、顔と腕にかなり集中してるじゃないか」
「うーん、まぁそういうこともあるよね」
「君はもしかしてー」
誰かに殴られたんじゃないか、
と言おうとして踏みとどまった、
踏みとどまってしまった。
これを言ってしまうのは良くない気がして。
「ごめんなんでもない」
「ありがとう。それより、楽しい話がしたいな。何せ今日が最後かもしれないわけだし」
「そんな事言うなよ。俺が絶対に守ってやるから」
柄にもないことを言ってしまい、少し僕も驚く。
「お、かっこいい。頼りにするね。まぁでもそんな大袈裟じゃなくてさ、君だって今日で人生が終わるかもしれないわけじゃん?私もそうだしさ。だから、今日が最後かもしれないって考えると、楽しみたいなと思って」
きっとこれは彼女の強がりだと思ったがあまり言えなかった。何せ彼女は口を閉ざしているのだから。野暮なことは聞いていけない、という気持ちと、仲がいいと思っていたのに話してくれないというショックで聞けなかった。
だから、ここは楽しい話をしてあげるのが責めてものもてなしだと思った。
「昨日季語について調べていたんだけどさ、夕焼けっていつの季語か知ってる?」
「え、夕焼けって季語なの!!うーん、秋かな?枕草子とかでもそう言ってるし」
「おーさすがよくわかったね」
「もちろん。こう見えて知識はある方なんだよ」
楽しそうに笑う彼女の姿がやはり僕は好きだった。こんな僕の話でも笑ったり驚いてくれるのは嬉しい。特別な存在だ。
それから、多少の会話をした。多少と言っても僕が多少と感じただけで、2時間は経っていたらしい。とても楽しかった、傷は気がかりだったけれど。
「おい、お前遅いぞ俺をいつまで待たせるんだ。まったく、お前が昨日言い出したんだろ、早くしろ」
何回も見た彼氏が彼女に声をかけた。
剣呑な雰囲気が漂った。
「ごめんごめん。ありがとう。とても楽しかったよ。これで踏ん切りがついたよ」
「踏ん切りってなんの話?」
「ううん、こっちの話。明日になったら教えるよ」
不穏な言葉を残し、彼の元へ向かっていった。
次の日、僕が学校へ行くと彼女の姿がなかった。不審に思っていると担任の先生が言葉を発した。
ただ、あまりにもショックだったので大事な部分しか聞き取れていなかった。どの部分とは、彼女が昨日死んだ、ということだった。
原因は不明、というより僕たちには教えられないそうだ。ただ、クラスの人間は多少推測できていた。なにせ痣があったんだ、きっと誰かに殴られたんだろうと。
現実味がわかなかった僕は涙さえも出ずに、ただ呆然とさまよっていた。話す人間もおらず、ただ孤独に過ごしいつもよりも早く家に帰った。
家に帰ると、一通の封筒がが届いていた。送り主は彼女だった。
その中には3つの手紙があった。
「おはよう、こんにちは、もしくはこんばんはかな?というかこの手紙は届いてる?届いてなかったらごめんね。ってまぁ届いてないのに謝っても意味なかったね。これは遺書だよ。君以外には誰にも読ませることの無い遺書。だから君も絶対に見せないでね、恥ずかしいし。ではでは、君はなんで私が死んだんだろうって不思議に思うと思うんだ。まず最初に言っておくね。私は自殺しました。誰かに殺されたわけじゃないよ。でも殺されたようなものかもね」
一通目の手紙を読み終えた。
ここで僕は教室でも思ったようなことを思う。あの時彼氏の元へ行かせなければ自殺しなかったのではないか。彼氏は少し怒っているように見えた。あの状態で会わせるのは、誰が見ても不味い状況なのはわかることだ。死なせてしまったことを後悔する。そして僕に他人を思い悔やむという感情があったことも知った。
二枚目を読む。
「きっと君のことだから、自分のせいで私が死んでしまったと思うかもしれないけどそんなことは無いから安心して欲しいな」
さすが、僕が考えることはお見通しってわけか。
「今日痣がある私を見て訝しげに思ったでしょ。触れないでくれて嬉しかったな。あれはね、彼氏にやられたんだよ。別れたいって言ったら殴られちゃってさ。痛かったな。あ、でもこれは内緒ね。遺書だから言えるけど、彼氏とは上手くいってなかったんだ。前に、恋は忍耐だって言ったでしょ?恋って言葉を言い換えられるうちは恋じゃないんだよ。私にとってはあれは恋じゃなくて忍耐の権化だったな。苦しかった。だから自殺するの」
二枚目を読み終わった。
なんで彼女は言ってくれなかったんだろう。僕はなんでも話を聞いてあげたのに。なんなら、なんだってしてあげたし、してあげられたはずなのに。僕は彼女に何もしてあげられてなかったってことなのかもしれない。
彼氏が怪しいなとは思ってたけど、意外と上手くいってるのかな、なんて思ってたり、あと、これは僕が馬鹿だからだけど、付き合ってることが羨ましいと思っていたから考えないようにしていた。なんてぼくは大馬鹿ななろうか。
三枚目を読む。
「二枚目を読み終わったあなたは、私をなんで助けられなかったんだって悔悟してると思うけど、そんなことは無いよ。君のおかげで救われた。こんなに生きられたのは君のおかげだよ悪いのは忍耐を選択してしまった私の方なんだ」
また見透かされている。はは、適わないな。
「今日、季語の話を君としたけど、凍死って季語だって知ってた?冬の寒さで死ぬ事だね。じゃあ私の、死は恋死とでも名付けようかな。季語は青春だから春で。なんてこんな強がり君に通用しないか。死にたくなかったよ。本当はもっと君と話していたかった。けどごめんね。最後に君のことが」
好きだったよ。恋愛的に。
僕は泣いてしまった。ただの文章で、ここに気持ちなんてないのに、どうしてこうも涙が止まらないんだろうか。幸せだった時を思い出す。そして止められなくて悔しいという今の気持ちも溢れ出る。なにか出来たはず、なにかできたはずなのに、止められなかった。ごめんね。本当にごめんね。
水槽をひっくり返したわけでもないのに、手紙が濡れてしまっていた。
普通の人間が死んだだけならこんなに苦しくなかったのに、僕が今これだけ苦しいのはきっと、
僕も恋愛的に彼女のことが好きだったからだ。