二人の出会い ※クロエ視点
森の中で息を殺す。視線の先には目的地と、そこに居座る魔獣の姿がある。
山の獣ではなく、魔の獣。
一見するとそれこそ熊のような姿だが、背中からは子供の腕ほどある棘が何本も生えている。
熊嵐、それが私の目的を遮る障害の名前だ。しかも厄介なのは一頭ではなく二頭、それもつがいでいるということだ。
この時期に活動している熊嵐のつがいは子作りのためにかなりの栄養を必要として、食料ならなんでも食べる。木の実、獣、虫、そして人。それは私も見つかれば例外ではないし、攻撃力の乏しい魔女一人で立ち向かえる相手ではない。
「……」
精霊からの警告を感じて茂みに身を隠す。確かに少し乗り出しすぎていた。私が感謝の念を伝えると精霊からは鷹揚に受け入れる意志が伝わってくる。
精霊は魔女なら誰でも契約している存在で、精霊と共にあることが一人前の条件となる。
私と契約してくれたのは黒の精霊で、今も私の左側に浮きながら共に身を潜めてくれている。
その姿は、魔女にしか見えない。
視線の先では二頭の熊嵐が相変わらず居座って死肉を貪っている。恐らくはこの付近で獣を狩り、引きずって来たのだろう。
私の目的はその少し先にある場所で咲いている花だ。花弁も茎も根も全てが薬の原料となるもので、買取り値が高い反面、魔獣の棲んでいる森にしか生息していない。
本来ならば一人で受けるような依頼ではないが、脱退の際にほとんどの荷物を渡して兎にも角にも目先の資金が必要だったことと、私ならば精霊の警告で危険を回避できることで受けたのだが、最後の最後で障害に突き当たってしまった。
とはいえ、そこまでの心配はない。熊嵐は子作りの時以外は周回する癖があるので、食べ終わればどこかに去っていくはずだ。
そう思い、茂みから覗き込んで異変に気付く。
「……ちょっと」
思わず声が出る。二頭の熊嵐がこちらを見ている。
匂い消しも気配の隠蔽もしている。であるのに、熊嵐は確実にこちらの気配を感じ取っている。いや、その視線は少し後ろ側に向いている。
「っ!!」
振り向いた瞬間、なにかが視界をかすめていった。そして、見覚えのある外套が遠ざかっていくのが見える。
そこまで、そこまでやるのか。
あの外套はグレンがいつも使っているものだ。
それで、この状況を理解する。
金に困った私が即金で実入りのいい依頼をこなすことを推測して尾行し、この状況で魔術かなにかで熊嵐の注意を惹いた。
後は襲われるのを遠巻きに見物するのか、あるいはなにか条件を持ち出して助けるつもりだったのか。
どちらにしろ私の窮状は変わらない。熊嵐のつがいは完全に私を認識し、こちらに向かう体勢を取っている。やり過ごすのは不可能だろう。
「月光の水よ、夢へ誘え」
それでも呪術を唱え、身を屈める。夢見の術は思考に靄がかかったようになり、注意力が散漫になる。手応えはあるが、臨戦態勢に入っている魔獣にどれほどの効果があるのか。
「ギオオオオオオオオオッ!!」
「くっ!!」
案の定、熊嵐は術を振り払うように吼え、私に向かって突撃してくる。精霊の警告が頭に伝わるが、返事をしている暇もない。隠れていた茂みから飛び出し、背を向けて逃げ出す。
「茨の靴は暗い棘」
魔力による黒いわだかまりが二頭の足に絡みつき、その速度を鈍らせる。
だが、完全に私を獲物として捉えている熊嵐は気にもせずに突進を続ける。
いわゆる後衛職は攻撃を喰らえば一撃で致命傷になりうるため、退路の確保は常にしてある。私も速やかに撤退できる道を決めながら進んできた。それが功を奏してまだ爪が届く距離まで追いつかれていない。
「ガ、アァァァァアアアッ!」
まずい、そう思った時には既に一頭が私に背を向けている。恥も外聞もなく横っ飛びに大きな木の幹に身を隠した瞬間、山嵐の棘が射出される。
勢いよく飛び出したそれは周りの草を薙ぎ払い、葉を散らせ、着弾した木を爆発させるように砕いていく。
「くっ、あっ!」
その内の一本が盾にした木を砕き、そこから覗いた空間をもう一本が貫いて私の腕をかすめる。
まともに当たった訳ではないのに腕をもがれたような衝撃と痛みが全身に走り、体勢が崩れる。
まずい、すぐに立て直して走らなければ――そう思った私の頭上に影が差す。
見上げてはいけない。見上げては駄目だ。
そう思っても、視線を上に向けてしまう。
「……はは」
何故だか、こんな状況で笑いが出てしまう。
そこに予想通り、もう一頭の熊嵐が私を見下ろしていた。心なしか、その口が笑っているかのように見える。
魔獣には人と同じく知性があると綴っていたのは誰の研究書だったか。絶体絶命の危機であるのに私はそんなことを思う。
つまりはまあ、目の前の魔獣は勝利を確信していて、私にはもう手の打ちようがない。
私は、ここで死ぬ。
それを証左する熊嵐の手が振り上げられ――轟音と共に叩きつけられる。
せめて痛みは感じたくない。そんなことを思いながら目を閉じる。
「おわああああああああっ!」
「グ、ギャアッ!!」
だが予想していた衝撃は来ず、間抜けな気合と魔獣の呻きがそれに変わる。
目を開けると、私を庇って一人の男が立っていた。
もちろん、グレンではない。
「状況がよく分からないんだけど、これ、助けていいんだよな? いいんだよな?」
それが、背中越しに聞いた彼の第一声だった。




