新しい門出
「んん~、心配事がなくなった後の酒はおいしいねえ!」
「あなたはどんなときでもまずいお酒は飲まないでしょ」
竜酒を傾けてご機嫌なイルシュカにクロエが苦笑する。一眠りしてファルカーナの診察を終えて、今は夕食だ。どうやらファルカーナの屋敷に運ばれていたらしく、ここもルヴェルに負けず劣らず大きく作りのいい屋敷だ。
そして当然、供された食事も良質のものだった。
「トーヤ、食べられる? 大丈夫?」
「ああ……食欲はあるよ。暴れ回ったからな」
おどけて言うと、皆が笑う。こういう言い方をすれば、もう俺も吹っ切れたと理解してくれるだろう。
和やかな雰囲気のまま、食事が進む。イルシュカの言う通り、呪いという懸念がなくなった後の食事はどこか味覚以外のおいしさ、楽しさを感じさせてくれる。
それに冗談めかして言ったが、あの立ち回りで空腹なのは確かだ。暴れ回り、呪いのせいか竜魔術すら使っていた。
そうすれば、当然腹も減る。そして目の前には一流の料理人によるご馳走が並んでいる。となれば、箸が進むのも当然だ。
「トーヤ、少し落ち着いて。子供みたいよ、あなた」
クロエがクスクスと笑うが、それでも勢いは止まらない。不作法はしていないので、見逃して欲しい。
そして魚の煮付け、肉の香草焼き、野菜の炒め物、吸い物のようにスープを次々に平らげていく。どれもこれも味がよく、そして身体に染み渡るようにうまい。
結局いくらかの雑談をかわしながらも意識はほとんど食事の方へ向けられ、あらかた食べ終わってからようやく一息つく。
「……? どうした、皆?」
気が付くと、皆が俺の方を見ていた。皆の皿も空になっているので俺が特になにかしたというわけでもない気がするが。
「いや、よく食べるなと思ってね」
トゥリアが言う。彼女は小食の部類だから、そんな風に思ったのか。
だが、周りの全員が、ファルカーナですら頷いている。
「いやいや、今日のトーヤは凄かったぞ。ファル叔母さまの使用人が料理を追加してもしても食べるから、最後はトーヤ専門のような形になっていたからな」
「……そうなのか?」
疑問を呈すると、皆が笑う。どうも夢中になっていたから気付かなかったが、相当食べていたらしい。言われてみれば、箸が止まっていた記憶がない。そして、皿も一定数以上は置かれていない。使用人がうまく片付けてくれていたのだろう。
「いや、まあ、おいしかったから……」
「そう言われると悪い気はしないね。ただまあ、次からはもう少し手加減しておくれ。毎回この調子で食べられると、家が傾いちまう」
イルシュカと同じように竜酒を傾けながら笑うファルカーナに、俺は恐縮して頭を下げる。どうも、自分が思うより食べ過ぎていたようだ。
「まあまあ叔母さま、トーヤの快気祝いということで大目に見てやって下さい。それも叔母さまのお陰なのですから」
ルヴェルがそう褒めそやしてファルカーナへ酒を注ぐ。そうしてから、ルヴェルが居住まいを正す。
「さて、懸念事もなくなった所で、私の提案を聞いて欲しいのだが」
ルヴェルの視線はクロエへと真っ直ぐ向いている。それを受けて、クロエも背筋を伸ばした。
「私とラゴウを『黒い森』へ入れてくれないだろうか?」
その言葉は予想通りだったようで、クロエは動じなかった。その代わり、一度茶を飲み下してから口を開く。
「ルヴェル、あなたが入ってくれれば私も嬉しい。けれど、いいの?」
いいの、という言葉には色々な意味が含められていた。それを誤解なく理解したルヴェルは一転して表情を崩し、ひらひらと手を振る。
「別に鎌わんさ。私がお祖父さまの眼を欲したのは、私が手柄の一つも挙げねば長の継承が始まらないということと、私を可愛がってくれたお祖父さまの記憶を継ぎたかったからだ。特段、長の地位に拘泥はしていない」
「まったく、それを長の妹の前で言うかね、この子は」
「叔母さまだって同じように辞退したと父から聞きましたが?」
ルヴェルが言うとファルカーナは眼を細める。それが竜人の顔をしかめる仕草だと理解している俺たちは、小さく笑う。
「まったくあの人はくだらないことばかりルヴェルに教えて……まあそうだね、私も長なんて務まる柄じゃなかった。こうして魔術の解析をしている方が性に合うし、一族に貢献もできる。それに今回は姪のいい人も助けられたわけだしね」
「叔母さま! それはまだ、まだです!」
くつくつと笑うファルカーナに、ルヴェルがどこか焦ったような様子で手を振る。普段は沈着冷静なルヴェルのそんな姿に新鮮さを感じ、俺たちも笑ってしまう。
「んんっ! ともかく、とりあえず、だ! トーヤが寝ている間に父……長から使いが来て、私を継承者から外す旨が正式に通告された。これで私は長の娘ではあるが、竜人の長たる資格は喪失したわけだ」
そこでクロエ、俺と順繰りに見つめてくる。
「つまり、私は私の意志において自由に生き、自由に決められる。そういう立場になった。ゆえに、クロエの『黒い森』へ加入したい。どうだろうか?」
「私は……いいえ、私たちであなたの加入を喜ばないものはいないわ。でも、一つだけ聞かせて欲しい。あなたじゃなく、ラゴウに」
「ふむ?」
構わない、というようにラゴウを見る。突然名指しされたラゴウはどこか驚いたような顔でクロエを見ている。
「ラゴウ、あなたはこれでいいの?」
「……私は姫様の従者だ。姫様に従う」
「違うわ、ラゴウ。ルヴェルが決めたから、じゃなくてあなたの言葉で言って。あなたの考えを、きちんと私に聞かせて」
存外に強いクロエの言葉に、ラゴウの眼が見開かれる。
ラゴウはルヴェルの従者という立場からか、これまでもあまりパーティーの皆とはさほど積極的に関わっていない。もちろん闘いや野営の作業など、必要なときは会話をしていたし、それで問題はなかった。
だが、これからはそれではいけない。少なくともクロエはそう考えている。
「パーティーに加入したからって、あなたとルヴェルの関係が変わるわけじゃない。変えろって言っているわけでもない。ただ、あなたの意見をきちんと聞かせて」
クロエが話している姿を、ラゴウはじっと見ている。まるで内心を推し測るような瞳の光に気圧されることもなく、クロエは続ける。
「誰かの意見に唯々諾々と従うのではなく、誰かの意見と意見を擦り合わせて動く。時にぶつかって反発することもあるでしょう。あるいはあなたの主人であるルヴェルとぶつかりあうこともあるかもしれない。それでも、きちんと互いが話しあって納得して、そうして協力してやっていく。それが本当のパーティーだと、声の大きい誰かに従うのではなく、皆で指針を決め、動く。それを私はトーヤとやっていくうちに教えられた」
そうして俺を見て微笑む。そのクロエの顔で、心臓が一瞬高鳴ってしまう。それほど、優しく美しい笑みだった。
「だから、聞かせて。あなたがどう思ってルヴェルについていこうと思っているのかを」
「……そうだな」
ラゴウが頷き、ルヴェルと同じように居住まいを正す。あるいはそれが、重要な話をするときの竜人の作法なのかも知れない。
「私は私の意志で姫様についていきたい、と思っている。確かに最初は命を救われた恩からだったが……共に島を出てドルドカーナ様の記憶を探す旅に出て、私は姫様が好きになった。姫様と離れたくなくなった」
そうして俺たち『黒い森』の面々を見回す。
「そしてそれはお前たちもだ。私は口数が少ないから分かり辛かったと思うが、ここしばらく、お前たちとする旅は悪くなかった……そう、楽しかった」
「ラゴウ……」
思わず呟いた俺を見て口を歪め、そうしてクロエと向き直る。
「だから私は私の意志で姫様についていく。『黒い森』へ加入したいと、そう思っている」
「……トーヤと離れたくない、ではないのか?」
「姫様っ!」
ルヴェルの混ぜ返しに今度はラゴウがびくりと跳ねる。そういえば、とラゴウの鱗も見て触ったことを思い出し、当時の状況が蘇ってどこか顔が熱くなってしまう。
「こほん……だから、私も構わない。いや、違うな。私も『黒い森』へ入れてくれ」
しばらく、沈黙が支配した。やがてクロエが小さく頷き、ルヴェルとラゴウ、二人の竜人を見る。
「分かった。ルヴェル、ラゴウ、これからもよろしくね」
「うむ、こちらこそだ」
ルヴェルが応え、ラゴウが頷く。そうして誰からともなく笑い、和やかな空気が満ちる。
「ふむ、姪の新しい門出だ、とっておきを出すとするかねえ。誰か、蔵のあれを持ってきてくれ」
「とっておき……? 竜人の貴人のとっておき……!」
ファルカーナの言葉にイルシュカの顔が限界まで緩む。そんな呑兵衛に苦笑しながら、全員が新しい加入者を祝福する。
蔵から出されたファルカーナのとっておきは確かに素晴らしい味で、当然のようにイルシュカは酔っぱらっては上機嫌だった。
前衛がとても強くなった!!




