嵐の前の静けさ
装備、食料、医薬品。まるで迷宮へ潜るような装備を調えて、その時を待つ。ただ、シャザムに言ったようにこの街が目標だとは限らない。
なので七日。七日だけこの街に滞在して、それでなにもなければロルッセアに帰還する。皆で話しあってそう決めた。調達した物資は、後の冒険で使えばいい。
闘技大会が終わり、街の中も浮ついた雰囲気から落ち着いてきている。俺たちも見るべきものは見終わったので、必然的に宿にいる時間が多くなる。
闘技大会が終わり、ギルドの依頼を受けるでもなく滞在している俺たちをルカは不思議そうな眼で見ていたが、金を払う限りは客なので両親共々きっちりと接客してくれている。
「……?」
今も部屋の中で装備の手入れをしていると、ふと中庭から金属を叩く音が聞こえてきた。
部屋を出て階段を下り、音の元へ向かうと建物に囲まれた中庭でレンが金床を据えて簡易的な作業場を作って槌を振るっていた。服は作業着ではないが、槌を振り下ろす顔は真剣そのものだ。
カンカンと定期的な拍子で槌を振るい、玉箸で固定した刃物を叩いている。
見れば、その道具のどれもが新しく、おそらくはこの街で揃えたものだろうと推測できる。
作業しているレンの隣には一人の女性、ルカの母親であるミレイナがその作業を見守っていた。近付いてきた俺に気付いて小さく会釈してくる。
「どうも。レンはなにを?」
「私が夜の仕込みをしていて、包丁がちょっと斬れなくなってきたのでそろそろ研ぎに出さなきゃって話をしたら、暇だからアタシが叩いてあげるって」
「なるほど……」
話している間にも、レンは黙々と槌を振るう。作業に入ると集中するというのは知っているので声はかけない。
「あの、いいんでしょうか?」
「本人がやりたいって言ったんでしょう? ならいいじゃないですか。レンの腕は俺が保証しますよ。前よりも斬れるようになるかも」
笑いながら言うと、ミレイナもようやく緊張を解いて小さく笑った。客に宿の備品を直させるということに後ろめたさがあったのだろう。
それにしても、レンの作業をしっかりと見るのは初めてだが、やはりなんというか迷いがない。初めて直す刃物だろうに躊躇なく槌で叩いて刃を伸ばし、形を整えている。
やがて一通り伸ばせたのか玉箸で持った包丁を持ち上げ、目線と同じ高さで刃を確かめて小さく頷く。そこで息を吐き、ようやく側に立っていた俺に気付く。
「ん、なんだトーヤ、見てたのか」
「ああ。初めて見たけど、いいな。レンの真剣な姿、格好いいよ」
「ふ、へへ。褒めても何もでないぞ」
俺の言葉ににへらと笑い、それでも手元はぶれない。桶の上へ板を渡し、その上に砥石を置いて刃を研ぎ始める。
根本から丁寧に、先ほどと同じような拍子で今度は刃が砥石を滑る音が聞こえてくる。
「どうだ、新しい道具は?」
「お、気付いていたのか?」
「レンの工房には何度も行ってるからな。その槌も砥石も玉箸も今まで見たことのない道具だ。だったら、ここで買ったものだって推測できるだろ」
作業の手は止めずにくつくつと笑って頷く。
「いやあ、新しい道具を整理したらどうにも早く使いたくなってねえ。そこにミレイナさんが包丁を研ぎにって言うから、アタシがやらせてもらったんだ。それにしてもやっぱりシュトルクのものは質がいいね。これは使っていけばもっとこなれていい具合になるよ」
「だ、そうですので気にされずに幸運だと思えばいいんですよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
ミレイナが頭を下げ、レンが構わないというように笑う。そうして根本から刃先まで研ぎ、次に裏側を研ぎ、そうして全体を整えてからまた包丁を目線まで上げて、歪みがないことを確認する。
「ん、できた」
そうして柄をミレイナに向けて渡す。それを受け取ったミレイナさんが、どこか眼を輝かせて刃を見ている。
「……早く試してみたいって思っているでしょう?」
「え、んん、いや、そんなことは……」
俺の言葉にどこか眼を泳がせながらミレイナが笑う。
「いいじゃないですか、レンと同じで。片付けは俺が手伝いますから、なにか料理でも作ってみたらどうです?」
「アタシも構わないよ。むしろ無理言ってやらせてもらったんだ。新しい道具の使い心地も分かったし、感謝してるよ」
「じゃ、じゃあちょっと行ってきますね。レンさん、ありがとうございました。トーヤさんも」
「はいはい。結構研いだから指を斬らないようにね」
レンの注意を聞いているのかいないのか、ミレイナは早足で宿へと戻っていった。まあ武器にしろ道具にしろ、新しいものを早く試してみたいというのは変わらないらしい。
「レンには俺たちの都合で長逗留に付きあわせてすまないと思ってるよ」
「どうしたんだ、唐突に。別にアタシも納得ずくで泊まっているから今さらさ。それにむしろアタシ一人じゃここに来ることもなかったし、逗留が延びたからこそ色々と道具も買いそろえられたし、気にすることはないよ」
「そう言ってくれると助かるよ」
そう、逗留の延長を決めてから俺たちはさほど出歩かなくなったが、レンだけは闘技大会での賭け金を元にまた色々と道具や素材を買いに出かけていた。俺たちが入れ代わり立ち代わりで護衛についているのでその辺りは把握している。
「トーヤさんトーヤさんトーヤさん! お客お客お客!」
レンを手伝って片付けを進めていると、今度はルカが中庭へと走ってくる。子供でありながらいつもどこか達観したような顔は、珍しく焦りを浮かべていた。
「ルカ、どうした。そんなに慌てて」
「いいから来て来て来て! トーヤさんにお客だってば!」
よほど慌てているのか、具体的なことを何一つ言わず金床を持ったままの俺を引っ張っていく。
そうして連れられるがまま、宿へと入った俺を出迎えたのは――。
「トーヤ」
「ルヴェル? どうしてここに?」
蒼鱗の翼を畳んで優雅な立ち姿を見せているルヴェルだった。腰にはあの槍となる大剣を携えている。
「私とラゴウもこちらへ宿を取ろうと思ってな」
「え? じゃああの豪華な宿を引き払ったのか?」
ルヴェルは首を振り、ラゴウが持ってきた荷物を示す。それは旅の荷物というには少なく、着替えと最低限の生活用品だけが入るような袋だ。
「いや、ここには最低限泊まるだけだ。トーヤの予測が当たるのならば、私たちと『黒い森』が離れているのは望ましくないだろう? だから昼はともかくとしても、夜はここに泊まることにする。そうすれば夜であれば私たちは即応できる。元の宿は道具やらを移すのも面倒だからな。部屋はそのままにしてある」
つまり宿を二つ借りるということだ。豪華な話だが、竜人の姫君であるルヴェルからすれば大した支出ではないのだろう。
念のため後ろのラゴウを見ると、黙ったまま頷いた。主従の間で了解が取れているのなら、俺から言うことはないだろう。
後は、部屋が余っているかどうかだ。
「だそうだがルカ、部屋は二つ余っているか?」
「え、あ、うん。え、二つ?」
「ああ。彼女たちは一人一つずつ使う。余っているなら手続きしてやってくれ」
「分、分かった。父ちゃん、父ちゃん、凄いお客が来たよ!」
奥にいるだろう父親を呼びにルカが走っていく。そんな背中を見ながら、小さく苦笑してしまう。
「空いてなければ私はトーヤの部屋でもいいのだが」
「姫様」
間髪入れず差し挟まれたラゴウの声に、ルヴェルは肩を竦めて見せる。
「空いていなければ姫様ではなく、私がトーヤと泊まります」
「おや、ラゴウにしては珍しい主張だ。ふふ、お前がねえ。いっそのこと、三人で泊まるかな?」
「勘弁してくれ。竜人の姫と従者、二人と同室なんて俺の胃が緊張で破裂してしまうよ」
俺がおどけてみせるとルヴェルが笑い、ラゴウも小さく笑った。
ともあれ、ルヴェルがそこまでこの状況を考えてくれているのはありがたい。実際、パーティーにしろ協力者にしろ、ばらばらになった状態でことが始めると、集合するまでの時間の損失というのは馬鹿にできない。
「助かるよ、ルヴェル」
「なに、気にするな。その方が良さそうだからそうするまでだ」
竜人というのは実際的なものを好む種族らしく、ルヴェルはしばしばそういった物言いや判断をする。なんにしろ、戦いが起こるだろう状況ではその判断力はありがたい。
そうしてルカとその父親が案内へ戻ってくるまでの間、俺たちは雑談を続けていた。




