方針決定。
「まずは方針を決めましょう」
棘を売った資金で宿を決め、クロエの部屋へ呼び出されてからの一言めがそれだった。因みに女性の部屋とはいえ、入ったばかりなので俺の部屋と変わりなく、従ってときめきとかそういうものもない。
宿の値段は一日で銅貨一枚であり、銀貨一枚で一週間は過ごせると考えると安い方なのだろう。
「方針?」
おうむ返しをする俺に、クロエは頷く。
「そう。パーティーとしての方針。そこがぶれるとお互いに不満が蓄積されてしまうから。幸い、このパーティーは私とトーヤの二人……ああ、ごめんごめん、ヴェルの三人だから、決まりやすいと思う」
二人と言ったところで黒い精霊が抗議するようにクロエの周りと飛び回り、苦笑しながら訂正する。
「確認するけど、トーヤは忘れたことを思い出そうとしようとはしていない、でいいのよね?」
「そうだな……なんか忘れてるけど嫌な感じはしないんだよ。思い出さなくてはいけない、っていう強迫観念がないっていうか。だから、当面はこのままで行こうと思う」
「そう。そこの決定に関してはトーヤの人生なのだから、私はそれを尊重するわ。ただ、思い出すにせよ、思い出さないにせよ、あるいは今後そうするにせよ、最低限の蓄えが必要よ」
そういうクロエの顔に遊びはない。グレンから無一文同然で追放されて資金の必要性を嫌というほど実感したらしいからさもありなん。
「私の考えではそれは銀貨五枚……つまり慎ましく暮らしていれば一ヵ月半暮らせる資金は最低限蓄えておくべきなの。一ヵ月半あれば冒険者を廃業して堅気の仕事に就くにも、ある程度の怪我を治療して次に備えることも、身の振り方を考えることも可能よ」
「なるほど、銀貨五枚か」
すでにそれ以上の財産はフィーのくれた袋に入っている。だが、これはよほどのことがない限りは出さないでおこうと決めている。それこそクロエのいう蓄えだ。単に俺が貧乏性というだけでもあるが。エリクサーを最後まで取っておいて結局使わない少年だったのだ、俺は。
ただ、記憶で嘘をついていることも、袋の金貨のこともいつかはクロエに告げなければならない。いや、告げるべきだろう。出会って一日も経っていないが、クロエにそういう隠し事をすることに後ろめたさを感じてしまっている。
「そう、五枚。それとたとえば蓄えを使いつつ次の仕事を探している時とかに等級が低いと稼ぎ直すのも時間がかかるから、トーヤの等級を最低でも鉄洞級まで上げておきたいの。そうすれば私と一緒なら銀翼級の依頼でも受けられるものも出てくるから」
そこまで言って、クロエは小さく息を吐く。呪術というものを扱うだけあって、彼女の説明は理路整然としている。分かりやすく、聞きやすい。
「それで方針か……とはいっても俺はなにも分からないも同然だし、基本的にはクロエに任せようかと思っていたんだけど」
「それでも、よ。お互いの方針というか思想を理解していないと、受けた依頼がどんな意味を持つのか分からなくなる。それは冒険者にとってある意味危険なことだから」
なるほど、と頷く。そういう意味であれば、否やはない。
「普通なら銅石級のトーヤには薬草採取や害獣退治をこなしてもらうことになるんだけど、銀翼級指定の熊嵐を撃退するほどの腕ならそれは必要ないわね――と言いたいところなのだけど」
クロエがこちらを見る。室内なので帽子を脱いでいるその顔は、外で見るよりはいくらか年若い印象を与えてくる。とは言っても、見惚れるぐらいには美人だ。
「あえて初級の依頼からこなしていきましょう。トーヤの知識が失われているのなら、依頼でそれを補完しながら稼ぐのがいいと思うの。でも、それだけじゃ資金が足りなくなるから、私とのパーティー名義で同時にもう一つ、こっちは鉄洞級の依頼でゴブリンやオーク退治を受ければ資金もある程度稼げるわ」
「ふむ……」
「トーヤの腕が立つのは分かるけど、それでも追われているときの身の隠し方、食べられる木の実や役に立つ草、逆に手を出してはいけないものとか覚えておいて損はないわ。幸い、私たちにはヴェルがいる。この子の探知能力はかなりのものよ」
クロエの横で滞空しているヴェルを見やると、どことなく得意げに一度縦に揺れる。恐らく、人間でいう胸を張るという仕草だろう。
「なるほど。分かった。でも資金が必要なら、たとえばクロエが単独で銀翼級の依頼を受けて、俺が手伝うという形もあるんじゃないか? 専門知識が必要なものはともかく、単純な戦闘あたりなら二人でやればなんとかなると思うんだが」
「それは……その……」
ここでクロエが初めて言い淀む。形のいい唇を波打たせて俯き、しばらく両手の指を絡めあわせてからようやく俺と視線を合わせる。
「私は銀翼級だけれど、直接的な攻撃力はほとんど持ってないの。私ができるのは、相手の動きを鈍らせたり注意を逸らしたり、要するに補助が主な立ち回りなの。だから、トーヤが熊嵐を撃退できるとしても、今の状況でいきなり銀翼級はやめた方がいいと思う。私が足を引っ張るかもしれないから」
そこでまた俯く。そこには彼女の自信なさげな所作が現れている。
「ごめんね。隠すつもりはなかったんだけど……だからグレンが言った、私が足手まといだったっていうのは、事実でもあるの。その、トーヤ……怒った?」
上目遣いにこちらを見てくる、その瞳に首を振る。
「怒ってなんかいないさ。足を引っ張るっていうなら知識のない俺の方が引っ張ることが多いと思うし。だからクロエ、そういう言い方はなしにしよう。そうだな、面倒を掛けるかもしれないけど、よろしく。こういう言い方のほうがいいだろ?」
「トーヤ……」
笑ってみせると、ようやくクロエも笑顔を返してくれる。そんな俺たちの周りをヴェルがなにやら楽しげに飛び回る。
「それに、クロエの補助っていうのは俺にはできないことだし。逆にクロエにできないことが俺にできるなら、俺たちはお互いを助け合えるってことだ。それって相性がいいってことにならないか? もちろん、ヴェルも」
水を向けると、ヴェルは当然だとばかりに頷きの仕草を見せる。
「ほら、ヴェルもそう言ってる。だからさ、クロエ――」
そこまで言って手を差し出す。
「新米冒険者だけど、改めてよろしく、クロエ」
「こちらこそよろしく、トーヤ」
そうして握手する。握りあった手の上へヴェルが着地して、三人で笑いあった。




