はち、RT企画小説やりたいってよ
まず、どうして私が#RTした人の小説を読みに行く(以下「RT企画」とする)を始めようとしたのかお話したいと思います。
そもそもRT企画には否定的な立場でした。それは、RT企画の企画者は、この企画を行って何を得たいのかが私の中で納得がいかないのです。
よくある理由が「勉強したいから」です。勉強とは、辞書で調べると「無理にでも強いて努力に励むこと」とあります。
これを辞書の言葉に当てはめ、私なりの解釈をすると「無理にRT企画でやってきた小説を読んで、表現や語彙力を増やす努力をすること」
となりました。
それならば、本屋で本を買ったり、図書館で本を読む方が、有意義じゃないでしょうか? 一般流通書籍はプロの作品です。アマチュア小説を読むより、よっぽど表現が語彙量を増やす努力に敵うと思います。
もう一つ言うと、RT企画では、自分の好き 嫌い 関係なく作品が送られます。
送り手は、好き嫌い関係なく、「読んでくれるであろう」と言う期待を持ちます。
あなたはその期待に添えられますか? そう思うと、私は素直にRT企画に賛同できませんでした。
そんなこんなあり、あまりRT企画に乗り気ではなく、自己承認欲求が高まった時に、何とはなしにRTする程度でした。(それでもRT企画者の為になるとは微塵も思っていません)
そんな私が、なぜRT企画を行ったのか。
TwitterのTLに「良い書き手には良い読み手がつく」とフレーズでした。
当時、いろいろなことに行き詰まっていました。
バカな私は、このフレーズを取り違えて、「そっかー! 良い書き手になるには良い読み手にならなきゃダメなんだ! そもそも良い読み手ってなぁに?」
と考えたわけです。
実証哲学信奉者の私は「良い読み手ってわからないから、私が実際に読み手になって読めばいいんだ!」と相成り、RT企画を行ったわけです。
バカでしょ。
ただし、前述の通り、私はRT企画で「勉強する」つもりは全くありませんでした。勉強するならば、本を買います。
それでも、物書きの端くれです。良い書き手になりたい。その為ならそう言う努力は惜しみません。
そんな読み違えと、すごい痛い誤字を全世界にご開帳し、このRT企画は始まりました。
実際にツイートした人に「良い書き手には良い読み手がつく」の話を聞いたところ、編集者さんから言われた言葉らしいです。
でも、みなさんに考えてもらいたいです。
一体、「良い書き手」とはどんな人なのでしょうか。 なろうPtが高い人ですか? PVの高い人ですか? 書籍化された人たちですか?
「良い読み手」とはどんな人でしょうか。 作品を読んでPtを送る人でしょうか。 感想を送る人でしょうか。
そのようなことを思いながら次のエッセイに目を通してもらえれば幸いです。