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二「謁見」

 官服姿のルーシュイは少しの乱れも隙もなく、正門にレイレイを恭しく導く。彼のような人物につき従われていると、何もわからないくせに本当に自分が偉い身分になった気分になる。それに戸惑うレイレイだった。


「こちらに迎えの牛車が来ます。しばしお待ちください」

「うん」


 今更ながらに緊張して来た。そんなレイレイをルーシュイはそっと見守って佇む。庭先から花の香が漂って、ほどよいあたたかな日差しが二人に降り注いでいる。

 レイレイは柔らかな風に吹かれ、建物の陰から枝先を覗かせる梅の花を見た。あの色を見るたび、シャオメイを思い出す。今はまだ、無事を確信していられた。

 などと黄昏ている暇もなく、ルーシュイの声が割って入る。


「ああ、来ましたね」


 正門から入ってきたのは、黒い牛がく車だった。黒漆の上質な車体はつやつやと輝き、金の蒔絵と螺鈿の虹色が美しく浮かんでいる。牛車を操るのは役人なのか、ルーシュイとは違う質素な官服姿で恭しくひざまずいた。


「鸞君と鸞君護のお二方、勅旨によりお迎えに馳せ参じました。どうぞご搭乗くださりませ」


 ルーシュイはレイレイに軽くうなずいて見せる。


「レイレイ様、どうぞ」

「は、はい」


 なんとなくレイレイの方がかしこまってしまう。ルーシュイは手を差し伸べてレイレイが牛車へ乗るのを助けた。中には錦に煌く柔らかな綿入れがあり、乗る人の負担を軽くする工夫がある。

 狭い空間に、ルーシュイはレイレイと向き合う形で落ち着いた。そうすると、ひと声あってから牛車はゆっくりと動き出す。レイレイの緊張が窺えるせいか、ルーシュイはそっと微笑んだ。


「そう硬くなられずとも大丈夫ですよ。レイレイ様には気品がございますから」


 本当だろうか。気休めだろうか。


「ルーシュイがそう言ってくれるなら、そう信じる」


 レイレイの返答に、ルーシュイはまたクスリと笑った。品がいいのはむしろルーシュイの方だ。


 ここは城市であり、皇帝のおわす太極殿だいごくでんまではそう時間もかからないだろう。歩みの遅い牛車でも、ほどなくして門を潜ったと車内まで伝わる。


「もう着いたのね」


 レイレイが深呼吸しながら言うと、ルーシュイは苦笑した。


「いいえ、まだ最初の一門を潜っただけですよ。後三つの門があります。太極殿はその先ですから」


 皇帝に辿り着くまで、厳重な警備がなされているということだ。国の要であるのだからそれも当然だろう。


「でも、もうすぐよね。気を引き締めなきゃ」


 牛車には、外の風景を見るための物見という窓が本来ならばついている。けれどこの豪華な牛車にはそれが見当たらなかった。安全性を重視したためだろうか。けれど、外が見えないと不安になる。

 レイレイは振動と音だけで門を潜る回数を数えた。ルーシュイが言うように四つ目の門を越えた時、レイレイは牛車の中にいても空気が変わったような気がした。


 そうして牛車が止まり、戸が開く。外の光が牛車の中へいっせいに集まるように感じられた。先に下りたルーシュイの手を借りて降り立った先には三人の人物がいた。


「あ」


 レイレイは驚きのあまり、上品とは言いがたい声を上げてしまった。

 あのユヤンが二人の童子を従えて立っていたのだ。

 明るい陽光に包まれた、美しい庭園の先。梅の香り漂う中、夢と同じく神々しい姿をしたユヤンはレイレイに微笑みかけた。


「私はユヤン。尚書令を務めている。ようやく会えたね、鸞君」

「はい! こうしてお会いできて嬉しいです!」


 レイレイは勢いよく頭を下げた。ルーシュイが不思議そうな顔をしたのは、二人の接触を知らないのだから仕方がない。

 ユヤンの両脇に控える童子は双生児なのか、つり目にお下げ、褐色の袍服。二人は鏡写しのようであった。年の頃は精々が十歳程度だろう。


「この者たちは私の次官の左僕射、右僕射だ」


 二人の童子はぺこりと頭を下げた。その様子も妙にそろっている。

 それにしても若いというよりも幼い。もしかすると普通の人の子供ではないのかもしれない。

 レイレイがそんなことを考えていると、ユヤンは拝手拝礼するルーシュイにも声をかけた。


「鸞君護、君もご苦労だったね」

「いえ」


 そうして挨拶が済むと、ユヤンはそっとうなずいた。


「さあ、陛下がお待ちだ。行こうか」



 そのままユヤンの後に続くようにして回廊を歩く。ユヤンの次官たちが先を行き、レイレイたちの到着を知らせるのか、ユヤンが進む頃に扉が開いた。その先へ先へ進むたび、レイレイはなんとも言えない心境になった。レイレイに限らず、ルーシュイも緊張の面持ちである。


 けれど、通された謁見の間には近衛の武人たちがずらりと並んでいた。その更に先に皇帝が座すのだろう。武人たちはユヤンが通る前に皆拝礼した。

 その中をレイレイたちは歩く。先には段が聳えていて、帳が皇帝の姿を隠していた。辛うじてそこに人がいるという影があるだけだ。尊顔はそう目にできるものではないらしい。


 ユヤンはレイレイたちを段の手前に控えさせると、彼だけはその段を上っていった。そうして、その帳の裏で皇帝に声をかける。


「陛下、鸞君が到着致しました」


 ぼそり、と皇帝は何かを答えたようだ。ユヤンはそうして帳の表、その脇に立ち、高みから声をかけた。レイレイは高鳴る心臓を感じながら待つ。


「鸞君」


 ユヤンが皇帝の意思を代弁するのか、レイレイに声をかけた。


「はい!」


 返事に力が入りすぎたのか、ユヤンが一瞬ふと笑ったような気がした。


「君の役目は国の民の憂いと綻びを知ること――」


 国の民。国に住む人々。

 皆にとって皇帝の御世が住みやすいものであるように、レイレイが力を使って見通せと言うのか。


「声高に助けを呼べぬ民を見つけ、陛下に進言致すという重要な役割だ。苦労も多かろうが、どうか尽力してほしい」


 あまりの大役に驚いたものの、シャオメイのような人を救うことができると思えば力が入る。


「はい!」


 張りきって返事をしたレイレイの後ろでルーシュイは何を思っただろうか。

 それでもユヤンは満足げにうなずく。そうしてレイレイの背後、ルーシュイに向けて声をかけた。


「鸞君護、前へ」


 今度は何が起こるのか、レイレイは黙って見守った。ルーシュイがレイレイを越えて前に出る。そこでかしずくと、ユヤンは凛とした声で告げた。


「いついかなる時も鸞君の護りとなれ」


 ユヤンが優雅に腕を振るうと、薄青い光が現れた。その光がルーシュイの手元へ落ちる。リィンと、澄んだ鈴の音が聞こえた。


 ルーシュイはユヤンに拝礼して下がり、その手には房飾りのついた胡桃ほどの大きさの鈴がある。あの鈴に何の意味があるのか、レイレイにはわからない。けれど、ルーシュイはすでに説明を受けているのか疑問はない様子であった。

 ユヤンは再び皇帝に向け何かをささやき、皇帝もまたユヤンに何かを返した。ユヤンはうなずく。


「この治世を泰平に導くため、どうか力を貸してほしい――陛下からのお言葉だ」


 ユヤンが皇帝の言葉を代弁した。恭しく低頭したレイレイに、ユヤンの柔らかな声が上から降る。


「それでは、自らの役目を全うするように励んでくれ」


 そうして、背後の扉が開いた。退去を許されたのだとその音でわかった。

 レイレイはルーシュイをちらりと見た。ルーシュイがうなずいたのでレイレイは立ち上がると拝礼して下がった。ルーシュイと二人、ようやく皇帝の前から去ると、まだ帰ってもいないというのにやり遂げたという達成感があった。

 回廊を歩きながらルーシュイにぼそりと訊ねる。


「ルーシュイ、あの鈴は何?」


 どこかにしまったのか、ルーシュイは手ぶらになっていた。微笑むと、ルーシュイは答える。


「鸞君護に与えられる品で、ユヤン様のお力が込められています。これがあるから鸞君護は『鈴持ち』などとも呼ばれるのですよ。これの効果はまあまた追々」

「ふぅん」


 今、難しい説明を受けても頭に入らない気がする。だからそれ以上は訊かなかった。


「さあ、帰りましょう」


 ルーシュイはあっさりとレイレイを牛車に押し込んだ。ここに長居をするのは、あまりよくないということだろう。レイレイは牛車の中で思う。

 民の憂いとは夢に見るだけでいいのだろうか。それで察することができるものなのか、レイレイには自信がなかった。だからルーシュイに言う。


「ねえ、ルーシュイ。明日町へ連れていってほしいの」

「え?」

「町。村でもいいわ。人の多いところがいい」


 民の憂いを知るには、まず民と少なからず関わるべきではないだろうかと思うのだ。ルーシュイは一瞬戸惑ったふうだった。


「鸞和宮に入れる人間は最少だとしても、わたしが外へ出る分にはどうなの? 一生あそこから出ないで閉じ込められるとかないわよね?」


 レイレイが念を押すようにして言うと、ルーシュイは僅かに眉を顰めて嘆息した。


「ええ、鸞和宮の外へ出るなという決まりは、陛下に謁見して正式に任命されるまでの期間です。その後は鸞君護を連れてならば外出は許されております。国内に限ってのことですが」


 鸞和宮の人数が最少に絞られている理由は、やはり鸞君としての力が夢の中で発揮されるせいではないだろうか。夢によって力を使っていることが知れ渡らないようにか、そうした時に無防備になる鸞君の安全のためか。

 外出禁止と言われなくてレイレイはほっとした。


「じゃあ、さっそく明日ね」

「はい」


 レイレイは鸞和宮に戻ると、その日は何の夢も見ずにぐっすりと眠った。


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