十三「三羽の鳥」
ユヤンの呼びかけに、姿は見えずとも濃霧の中で声が返った。
「面白いことになっているみたいだな。だから人は愚かだというんだ」
その声は軽やかな少年のものであった。
「遅かれ早かれ、滅ぶべき時は必ず来るのです。それが今か、もう少し先かというだけの差でしかありません」
凛とした女性の声が続く。
「もう諦めたら? 鸞も鵷鶵も、もういいでしょう?」
舌ったらずな童女の声。
ユヤンは困ったように笑った。
「方々、お姿をお見せください」
すると、霧が晴れた。柔らかな光が差す。山肌が現れ、金色の空が広がる。その岩の上に三人の人影があった。
一人は白髪の少年。前が長く後ろが短い髪型、ほっそりとした四肢。闊達そうな目をしている。
もう一人は、黒髪を髷に結い上げた女性。キリリとした目元に朱が差されていて知性が窺える。
小さな影は、黒髪を切りそろえた少女。まだ六、七歳くらいに見えた。
それぞれが煌びやかな金糸を施した衣で、紫、赤、白、と目にも鮮やかだった。
緊張しているレイレイに、ユヤンがこっそりと告げる。
「あれはそれぞれ最後の鸑鷟君、鳳凰君、鵠君の姿を取っている。実際は人ではないよ。白が鵠、赤が鳳凰、紫が鸑鷟だ」
すると、童女の鵠が不機嫌に言った。
「鸞も鵷鶵も本体は眠ってばっかり。つまらないわ」
それは、レイレイが力を借りている神鳥の鸞がこの神山で眠っているというのだろうか。
「それは申し訳ありません。しかし、どうかお力添えをお願いしたい」
すると、鸑鷟が呆れたように言った。
「好きにすればいいっていつも言っているだろう。俺たちは人にそれほど肩入れしない。鵷鶵がいなくても、お前は半仙なんだからお前の眷属を頼れよ」
珍しくユヤンが黙った。痛いところを突かれたのかもしれない。
「おやめなさい。頼ったら最後、今度こそ嫦娥様に人界から手を引くようにと条件を出されるのが目に見えているから頼れないのでしょう」
鳳凰の言葉は事実だったようだ。ユヤンは苦々しくため息をついた。
嫦娥という名にレイレイは聞き覚えもないけれど、鳳凰が敬意を払うのだから、ユヤンの眷属は力のある神仙であるのだろう。
「まあ、そういうことです。私はまだこの国に未練がありますので」
「欲張りなやつだ」
鸑鷟はどうにも口が悪い。見た目で判断しても意味はないけれど、この中で一番物わかりがよいのは鳳凰かもしれない。
「ユヤンが手を引いたら、それこそあの国はどうなるのでしょうね。いてくれた方がまだいいのです」
「人間なんてほっとけばいいのに」
ボソ、と鵠が言う。
レイレイは彼らに圧倒されながらも、今自分がここにいる意味を考えた。自分だけがただの人間なのだ。神仙と同格にはなれない。ちっぽけな自分ができることはなんだろうか。
不安ばかりだった。それでも、レイレイが黙っていられないのは、眠り続けるシージエや、それを見守る貴妃のことが心配だからだ。
思いきって口を開く。
「朋皇国の皇帝陛下はお優しく、万民のためによりよい国を作ろうとしてくださるお方です。その陛下が今、何者かによって害されております。わたしは陛下をお救いする力がほしいのです。何も持たないわたしがお願いするのもおこがましいのは承知で、それでも可能性があるのならおすがりするよりございません。どうかお願い致します!」
それだけを一気に告げると、レイレイは深く頭を下げた。誰も、何も言わなかった。沈黙がただ痛い。
「おこがましいと思うのなら言わなきゃいいのに」
ぐさりと突き刺さるような言葉を鸑鷟が口にする。
「人間は面倒。きらい」
あっさりと鵠には言われた。
どうしたらいいのかもわからず、レイレイが顔を上げられないでいると、鳳凰が柔らかな声で言った。
「彼女はもうすぐ鸞君の任を終えるのです。私は最後の花向けに手伝ってあげてもいいと思うのですが」
希望の光が見えた。レイレイが顔を上げると、鳳凰は艶やかに微笑んだ。
「けれど条件として、次の鸞君はもう立てない。それでどうでしょう?」
「えっ」
レイレイが言葉を失うと、ユヤンが隣でため息をついていた。
「鸞君のあなたならば感じるでしょう? 本来必要なのは特別な力ではなく、人の調和。私は少なからずそれを感じたから、人界から手を引いたのです」
鳳凰が言うように、本来ならば夢を通して罪を探り出すようなことをするのではなく、誰もが罪を犯さずに済むような国であることが理想だ。それが難しいから、安易に大きな力にすがりたくなる。それを鳳凰は言うのだ。
「それが理想なのですが、なかなか難しいのが現状ですね。ただ、今、陛下の身に何かあれば、その理想がさらに遠のくことだけはわかります。現皇帝陛下はその器であると私は感じております」
「あなたがそんなこと言うなんてね」
と、鵠が不思議そうに言った。
けれど、レイレイも思う。今はシージエ以上に情熱を持って国を導く存在はいないだろうと。
鸑鷟はくすりと笑った。
「鵷鶵、お前もだ。ユヤンから離れて戻ってこい。俺たち五方神鳥は揃っていなくては万全じゃないからな」
レイレイはちらりとユヤンを見遣った。ユヤンは軽く首を傾ける。
「東西南北中央、すべての方角を固め、魔の入り込む隙を与えない。五方神鳥の力は絶大だ。だからこそ、初代朋皇国皇帝陛下もその御力を欲したのだが」
「あの皇帝は私利私欲のためではなく、民のために私たちの力を欲したのです。あれほどの傑物はもう出ないことでしょう」
鳳凰も軽く嘆息する。
レイレイはそんな中で言った。
「わたしも知らずに人を傷つけたり、馬鹿なことをしてしまったり、至らないことが多くあります。でも、大事な人たちを護りたい気持ちはあります。この気持ちは唯一誇れるものです。陛下はわたしなどよりも人を思い遣る気持ちをお持ちですから、その陛下をお救いするためにどうかお力をお貸しください」
「……次の鸞君に関しましては、私どもが勝手に決められることではございませんが、陛下が意識を取り戻された後にはその提案をさせて頂きます。それでご勘弁頂けませんか?」
三神鳥は互いに顔を見合わせ、そうして鳳凰が言った。
「まあいいでしょう。私たちが手を貸すのは今回限り。その後どうなるかまでは知りませんよ」
それでもいい。少しの取っかかりになればそれだけでも希望が見える。
「ありがとうございます!」
顔を輝かせたレイレイに、鸑鷟が皮肉な笑みを見せた。
「じゃあ覚悟しなよ。待ったはナシだ」
「え――」
「五方神鳥の力がそろっているんだから、今ここからあんたは元凶の夢へ行くんだ」
ユヤンもそれには驚いた様子だった。心配そうレイレイを見下ろす。
けれど、もたもたしていて彼らの気が変わってしまっては元も子もない。レイレイは迷っている場合ではないと覚悟を決めた。
「はい! お願い致します」
ふぅん、と鵠がつぶやいた。
「どうやらあいつは奇妙な動物を飼ってるから、まずそれからなんとかしないとな」
鸑鷟の言葉にユヤンが反応する。
「それはもしや、夢を食らうという伯奇のことでしょうか?」
「……鼻の長い、変な動物」
ぼそ、と鵠が言った。それだけでユヤンは納得したらしい。そんなユヤンに向けて鳳凰もうなずくと、今度はレイレイにその整った顔を向けた。
「まずはその伯奇とやらを片づけます。その間、あなたはあの男を引きつけておいてください」
「あの男……ですか?」
あの男とはユエディンのことだろうか。レイレイにその役が務まるだろうかと思ったけれど、レイレイにしかできないことであるのかもしれない。レイレイなりに覚悟を決めた。
「わ、わかりました!」
三神鳥は岩から下り、レイレイたちのもとへ近づく。そうして、鳳凰がレイレイに手を差し出した。レイレイは恐る恐るその手に手を重ねる。すると、その上に、鸑鷟と鵠が、最後にユヤンが手を置いた。
五色の光が手から溢れ、熱いと思ったのは刹那のこと。
そうしてレイレイは光に呑み込まれた――
※嫦娥
元仙女である月の女神。




