九「グオチュイ」
レイレイの様子がおかしいことにルーシュイはすぐ気づいた。ハッとして立ち止まる。
ただ、ルーシュイは領主であったこの顔を見たことなどない。何故レイレイがこれほど驚いたのかもわからぬようであった。気遣わしげに目を向けたルーシュイに、レイレイは役人を気にしつつ、かすかな声で素早く告げる。
「この人、シャオメイを操っていた領主よ」
それを聞き、ルーシュイは納得した様子だった。顔を上げ、役人に問いかける。
「この者の身分と罪状は?」
数多くいる罪人の中でどうしてこの男をルーシュイが気にするのかが役人にはわからなかっただろう。不思議そうにそれでも答えてくれた。
「はい、東淵領の元領主でグオチュイといいます。公金横領、抜け荷、賄賂など数々の罪状で投獄されました」
「いつの話だ?」
「ええと、二年ほどかと」
時期は合っている。シャオメイを使ってレイレイの殺害を企てたすぐ後のことだ。ルーシュイもシャオメイのことには触れず、別件で捉えるように手を回してみると言っていた。
それなのに、ルーシュイは何か難しい顔をして考え込む。そのルーシュイに、役人は困ったように告げた。
「こやつはどうにもふてぶてしくて、未だに知らぬ存ぜぬを通しております。あれほど証拠が挙がっているにも関わらず、一切覚えていないと。なんと言おうと終身、自由の身にはなれませんがね」
牢の中のグオチュイはしょんぼりとしていた。投獄されて気持ちが弱っているせいか、レイレイがシャオメイを通して見たあのグオチュイとは印象が違って感じられる。あの時はもっとふんぞり返っていた。
地位も財産も何もかも失ったのだから、気弱にならない方がおかしいだろうか。そうはいっても、自業自得である。シャオメイを苦しめ、レイレイを殺そうとしたのだから、同情の余地などない。そのはずが、何故か妙に気になってしまった。
ふと、グオチュイが顔を上げた。レイレイをぼうっと見たようだったけれど、何も反応を示さなかった。そうしてまた項垂れる。
「……そろそろ行きましょうか」
役人にそう促され、レイレイたちは組織の男たちがいる牢へ向かった。
けれど、男たちは皆、受け答えもろくにできない状態であった。収穫という収穫もないまま、レイレイたちは監獄を後にする。
鸞和宮に戻り、変装を解いたレイレイは広間に待たせていたルーシュイとチュアンのもとへ行く。
「お待たせ」
ルーシュイはようやくほっとしたような目をした。用意してくれてあった茶が紅木の机の上で香る。
三人は席に着くと話し出した。
「せっかくあそこまで行ったのに、これといって収穫がないままでしたね」
チュアンがそんなことを言う。ルーシュイも嘆息した。
「組織の連中はいざという時に服毒でもするよう仕込まれていたのでしょうか? 皆がああも一様に同じ状態とは……」
「それなのだけれど、もしかして彼らも夢でなら自我が残っていないかしら?」
そのひと言にルーシュイがぎくりとした。チュアンも驚いている。
「その可能性はあるかもしれませんが、きっと嫌な思いをされるでしょう。よろしいのですか、鸞君?」
レイレイはそっとうなずいた。
「陛下のお役に立てるのなら覚悟の上だわ。大丈夫よ、私にはルーシュイがついているから」
そう言って笑うと、チュアンはそれだけで納得してくれたようだった。
「ああ、そうでしたね。けれど、くれぐれもご無理はなさいませんように」
「ありがとう」
すると、チュアンは立ち上がって拝礼した。
「それでは私は一度ユヤン様のところへ報告に上がります。代わりにレアンを寄越しましょうか?」
その申し出にルーシュイが首を振る。
「いや、鸞君には私がついておりますので、お二方も今日はどうぞお休みください」
双子は見た目通りの子供ではないけれど、それでもろくに休息を取れてはいない。疲れもあることだろう。
しかし、ルーシュイがチュアンの申し出を断ったのは、双子のためであったのかどうかはわからない。
「お気遣い痛み入ります。では、また近いうちに」
そう言い残し、チュアンは鸞和宮を去った。門の開閉を済ませて戻ってきたルーシュイは、躊躇いなくレイレイを抱き締めた。
「レイレイ様、どうかお気をつけください。夢で恐ろしいことがありましたら、すぐに私を呼んでくださいますように」
ルーシュイの鈴の音が、悪夢からレイレイを呼び戻してくれる。レイレイはルーシュイの腕の中でうなずいた。そうしてそっとまぶたを閉じる。
「うん。ルーシュイがいてくれるから私は頑張れるの」
「あと少しです。あと少しで任期が終わります。そう信じて乗り越えましょう」
シージエが大変な時に自分たちのことばかり考えてはいられないけれど、きっとすべて上手く行くと信じていなければ、不安に押しつぶされそうだった。
そうして、夜が来る。




