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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第三部+五方神鳥の章+

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二「ただの夢」

 う、と自分が上げた声に気づき、レイレイは目覚めた。

 寝台の上で体を海老のように丸めて眠っていた。その場で大きく伸びをして背中を伸ばすと、それから頭をゆっくりと持ち上げる。長い黒髪が肩から滑った。


 レイレイは何か夢を見ていたようだ。

 けれど、その夢がはっきりと思い出せない。

 それは珍しいことであった。


 この国で鸞君と呼ばれる存在であるレイレイの見る夢には特別な意味がある。こんなふうに思い出せないことなど、レイレイが鸞君として過ごした二年以上の歳月の中ではほぼないことである。

 これはもしかすると、レイレイ自身が見た意味のないただの夢であったのだろうか。


 それならば納得できる。ただの夢なら、目覚めて覚えていないこともある。何やら物々しい夢であったような気がしたけれど、詳細はおぼろげだ。


 レイレイは寝台の上でふぁ、とあくびをした。そうしてから寝台を抜け出す。秋も初めの過ごしやすい気候だ。レイレイは秋らしい落ち着いた色合いの衣を選び、着替えた。今日は外へ出かけたいと思うから、なるべく目立たない装いにしたつもりだ。髪も軽くまとめると、レイレイは自らの護り人であるルーシュイのもとへと向かった。


 ルーシュイは眉目秀麗な上、なんでもできる有能な青年である。ただし、心には分厚い壁があり、それを乗り越えるまではなかなか心を開いてくれなかったのだけれど、一度親しみを感じてくれた後は驚くほどレイレイを大切にしてくれている。


「おはよう、ルーシュイ」


 レイレイが笑顔で声をかけると、机の上に椀を並べ、朝餉の支度をしていたルーシュイが顔を上げて微笑んだ。


「おはようございます、レイレイ様」


 柔和な顔立ちに甘い笑みを浮かべるルーシュイは、レイレイ以外の女性から見ても魅力的に映るだろう。けれど、ルーシュイはレイレイだけを求めてくれる。だからレイレイもルーシュイを大切にしたいと思うのだ。


「いつもありがとう、ルーシュイ」


 すると、ルーシュイはレイレイのために椅子を引いた。レイレイがそこに座ると、ルーシュイの声がレイレイの頭上から降る。


「レイレイ様のためにできることがある、それが私にとっても喜びです」


 そういうことをサラリと言える辺りがすごいと思う。それが本心だと痛いほどにわかるから尚更だ。

 レイレイは照れつつもその気持ちをありがたく受け取る毎日であった。

 ルーシュイが丁寧に炊いてくれる粥を食べるのが朝の日課だ。レイレイは熱い粥を少しずつ食べながら向かいに座るルーシュイに言った。


「ねえ、ルーシュイ。今日は出かけたいのだけれど」


 ルーシュイの肩がぴくりと動く。


「……そうですね。まあ、このところあまり出かけていませんでしたし」


 レイレイが外を出歩くことにいい顔をしないルーシュイである。外には危険が多くある。そう案じてくれているのはわかるけれど、ずっと閉じこもっているわけにはいかないのだ。




 ルーシュイが雑務を終えると、ようやく外出が叶う。

 レイレイが外に出たがるように、この国の皇帝もまた宮城を抜け出しお忍びで城下に混ざるのが大好きなのであった。何度も城下で出会い、皇帝フーシエと知る前に親しくなった。外では幼名のシージエを名乗る利発な青年は、お忍びで市井の状況を知り、それを政に生かしていこうとするのである。


 熱意のある若き皇帝は、一時期レイレイに恋心を抱いてくれたそうなのだけれど、レイレイはルーシュイを選んだ。シージエは、そんなレイレイの心を尊重してくれた。


 しばらくはたまに出会って気まずさもあったけれど、次第にシージエの顔からその気まずさが抜けていった。それが何故なのか、レイレイはわかっている。彼の妃である女性が、彼を支えるからだ。

 一番に想われ、気持ちを向けてくれることほど、人として嬉しいことはない。それは自信となり、顔つきや言動にも表れる。


 背も少し伸びて体格も幾分か逞しくなり、以前にも増してシージエは堂々としている。お忍びで紛れているようでいて、品格が備わった容姿は以前ほど市井に溶け込めていない。装いを質素にしたところで、いかにも貴人であり、城市の人々は声をかけられるとやや緊張した面持ちになる。


 それに気づかないシージエが、レイレイには微笑ましかったけれど。

 優しく、熱意のあるシージエは素晴らしい皇帝であると思う。レイレイが今後もこの国で暮らして行けることが嬉しい。この国でなら幸せになれると思える場所である。




 今回の外出は、比較的に富裕層の多い区間を歩く。平和な国ではあるけれど、完全に貧富の差をなくすことは難しく、多少の治安の良し悪しは城市の中にもある。

 買い物をするわけでもないけれど、商家の立ち並ぶ辺りを二人で歩いた。


 人の多い場所にはそれなりの問題が起こる。その問題を解決する手助けになればいいと思うのだ。それがレイレイの仕事である。

 ただ、たくさんの人が行き来する中、レイレイは思わず声を上げてしまった。見知った顔があったのである。


「あっ」


 すれ違った男は、レイレイを見た。レイレイも緊張の面持ちで彼を見ていた。思わずレイレイは隣のルーシュイの腕につかまっていた。


 その男は、吏部侍郎りぶじろうの弟、ツァイホンである。目つき鋭く、彼はレイレイを見ている。

 彼はずっと科挙かきょ浪人をしており、あまりに受からぬことに絶望して、兄に言われるがままに不正を働きそうになった。けれど、それをレイレイが止めたのだ。夢の中で彼に会い、なんとかぶつかって思い直してもらった。


 けれど、あの時は怖い思いもした。それがふと蘇る。

 ルーシュイはツァイホンの顔を正面から見たこともなく、レイレイから話を聞いたにすぎない。彼が誰なのかに気づかないまま、それでもレイレイの様子がおかしいことだけを察した。

 ただ――


 ツァイホンはレイレイを見たけれど、そこに驚きはなかった。むしろ、レイレイが過剰に反応するから、それが不思議な様子である。

 何度か夢で会った。けれど、もしかすると、ツァイホンは覚えていないのか。


 彼はあっさりとレイレイのそばを通りすぎた。その時の表情は鋭さが和らぎ、少し困ったふうにも感じられた。雰囲気が、以前よりも和やかである。


「……レイレイ様、先ほどの男がどうかされましたか?」


 ツァイホンが通り過ぎてからルーシュイが小声でささやく。レイレイは大きくうなずいた。


「吏部侍郎様の弟君よ。科挙のことで色々あったじゃない」


 ああ、とルーシュイは低くつぶやいた。その声で、ルーシュイはしっかりと覚えていると思った。


「夢で顔を合わせていたけれど、こうして現実で会ってもわたしのことがわからないみたいだったわ。あれから二年近く経つせいかしら」

「ええ。夢の中でのことを明確に思い出せる人の方が稀でしょう」


 二年も経っていたのだと改めて思う。それなら、シャオメイの父親や吏部侍郎とも夢で口を利いたけれど、もう覚えてはいないのだろう。シャオメイやツェイユー、現実でも会っている場合は別かもしれないけれど。


 しかし、忘れてくれていた方がいい。

 鸞君は表立った存在であってはいけない。この任に就いて時が経つほどにそう思うようになった。


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