十二「いつかの約束」
その晩、レイレイは湯浴みを終えると庭園の見えるいつもの場所に座ってルーシュイを待った。
今日は日中、ルーシュイが疲れているのもよくわかっていたので、レイレイは強制的にルーシュイを庭園の木陰に引きずり込み、二人で木にもたれながら昼寝をした。先に寝入ったのは多分レイレイであった。
けれど、目覚めたのは意外にもレイレイが先であった。ルーシュイは規則正しい寝息を立てながら眠っていた。その寝顔に、レイレイは胸が高鳴るのを感じた。
愛しさが切々と胸に湧く。目が覚めてきまり悪そうに髪をくしゃりと乱した仕草もすべてが愛しくて、レイレイはルーシュイの肩に頬を寄せて寄り添った。
今回のことがあってから、ルーシュイのことが以前にも増して特別で大切に感じられる。
――と、そんな小休憩もあったのだ。
今日は少しくらい夜更かしもしていられるだろう。
レイレイはどうしてもルーシュイと夜空を見たかった。今宵は美しい月が輝く月夜なのだ。月光が優しく降り注ぐ中、二人で過ごしたい。
「レイレイ様」
回廊を歩いてきた湯上りのルーシュイがレイレイに目を向けた。そうして、一昨日とは違ってしっかりと隣に腰を据えてくれた。
レイレイはその途端に傾いてルーシュイに体重を預けた。ルーシュイが苦笑する声が近い。
「満月とは行きませんが、それでも美しい月ですね」
「うん。お月様が見れてほっとしたわ。そこにあるべきものがないと不安になるもの」
当たり前の日常。当たり前の存在。
当たり前なんてものはなく、それらがすべてそろっていることが、すでに奇跡なのかもしれない。今はそんなふうにも思える。
「そういえば、ユヤン様にあの狼の名前をお訊ねするのを忘れてしまったわね」
「ああ、本当ですね……」
ディンシャンの事件があった。そう関係のない話もできる雰囲気ではなかったのだけれど。
「まあ、また今度ね。あの子にまた会いたいし、その時にお訊ねするわ」
微笑んだレイレイに、ルーシュイも笑って返す。
それからルーシュイは不意に、レイレイの手に自らの手を重ねた。そうしてゆっくりと語り出す。
「レイレイ様と私の任期は少なくともあと一年以上はあります。ようやく半分に到達するかというところです。優秀な鸞君は延期もあり得ると任に就く前に言われておりましたが――」
レイレイの手を、ルーシュイは両手で包み込むようにして握った。レイレイが顔を向けると、ルーシュイは真剣な面持ちではっきりと言った。
「任期の延長はどうぞお断りください」
その口調の強さに驚いた。
けれど、それを決めるのはレイレイ自身ではなく、皇帝であるシージエやユヤンであるのではないだろうか。
「それはわたしが選べるの?」
「……わかりません」
ルーシュイにしては不確かなことを言う。それでも、ルーシュイはそれを心から願うからこそ口にするのだ。
レイレイを案じるからこそのことであるとわかっている。だからレイレイはうなずいた。
「うん、そうお願いするわ」
人々の救いになれたらという思いはある。けれど、そのためにルーシュイに苦しい思いをさせ続けるのもレイレイにとっては望ましいことではない。延期はしないけれど、残された任期を全うしようと、今はそう思う。
レイレイの答えにルーシュイはほっとしたようだった。小さく吐息を漏らすと、レイレイの手を包んだ自らの手を口元へ添えてつぶやく。
「レイレイ様が鸞君としての任期を終えましたら、どうか私の妻になってくださいませ」
きょとんとしたレイレイに、ルーシュイはそれでも微笑む。
「その日まで、私はレイレイ様の護り人としてあなたをお護りしながら過ごします。二人でその日を迎えたいと思うのです」
幼少期に家族を奪われ、心を閉ざしたルーシュイが、レイレイと家族になりたいと言う。その気持ちが嬉しくないはずがなかった。
心が抱えきれないほどの幸せに溢れ、言葉より先に涙が浮かんだ。
「うん、なりたい。約束よ?」
そう答えたレイレイの頬にルーシュイの指先が触れたかと思うと、誓いのようにして口づけが贈られた。夏の夜、ほんの少しの涼さえも感じられないほど二人が近かった。長く口づけ合って、それでも離れるのが寂しいような、惜しいような、そんなもどかしさをレイレイも感じていた。
ルーシュイはレイレイの紅潮した頬に触れ、そうして満足げに微笑んだ。
「レイレイ様がお約束してくださいましたから、私はもう少しだけ耐えようかと思います」
「へ?」
「いえ、断られたら首が飛ぶのも覚悟してもう少し……てもいいかと」
「え? 何?」
最後の方が妙に小声であったので、レイレイはよく聞き取れなかった。けれどそれをはぐらかすようにしてルーシュイはレイレイを抱き締めた。
「やっぱり今、首が飛ぶのは惜しいです。もっとずっとレイレイ様と長く共に生きられる方を選びたいと思いますので」
「うん」
変なことを言うルーシュイだけれど、レイレイにはルーシュイがくれた約束が何にも代えがたい宝物になった。いつか、そんなルーシュイと家族になれる日を心待ちに日々を過ごしたい。
生あたたかい夜風が庭園を吹き抜けたけれど、寄り添う二人の間には風さえも通る余地はなかった。
《 +星月夜の章+ ―了― 》
星月夜の章にて第二部終了となります。
第三部で完結予定です(^^)




