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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第二部+星月夜の章+ 

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十「悩みどころ」

 レイレイは自分の寝台の上で跳び起きた。

 けれど、それが最初はわからなかった。ディンシャンと意識が切り離されたと気づかぬまま、寝台の上で甲高く叫び声をあげていた。


 それは自分の声であるとは思えないようなもので、レイレイ自身が夢と現実の狭間にいるような感覚だった。


「レイレイ様!!」


 異変に気づいたのか、ルーシュイが入室を断りもせずに慌てた足取りで寝室へ押し入った。レイレイのそばに駆けつけ、起き抜けとは思えないようなはっきりとした声でレイレイを呼ぶ。


 それでも、レイレイは気持ちを落ち着けることができなかった。自分の叫びがルーシュイの呼び声を掻き消すように被る。

 涙が流れて止まらなかった。


「レイレイ様!!」


 ルーシュイの腕がレイレイを引き寄せ、力強く抱き締める。寝衣の肩口にレイレイの顔を押しつけ、涙も叫びもそこに吸い込ませようとする。

 レイレイの叫びが徐々に治まると、ルーシュイはそっと名を呼ぶ。


「レイレイ様……」


 レイレイはようやく、ルーシュイの腕の中のあたたかさに生きた心地がした。

 ひく、とレイレイがしゃくり上げる音が暗闇の中にある。ルーシュイが安堵した吐息の音が聞こえた。


「ここまで取り乱されるとは、一体何を見られたのですか……?」


 その言葉に、レイレイはすぐに答えることができなかった。今もまだ刺された恐怖が生々しく残る。体を強張らせたレイレイに気づき、ルーシュイはレイレイを抱き締める腕に力を込めた。


「……すみません、レイレイ様の御心が落ち着いてからで結構です。夢に関して私がお役に立てることはございませんが、それでも私にできることがあれば仰ってください」


 心配してくれているのは腕にこもる力から痛いほどに感じた。それは、いつものルーシュイであった。


「しばらくこのままでいて」


 レイレイがルーシュイの背中に手を回して懇願すると、ルーシュイは耳元でささやいた。


「御意のままに」


 その声は優しく柔らかで労わりに満ちていた。

 レイレイはルーシュイの腕の中で少しずつ平静を取り戻し、そうして昨晩からの夢のことを徐々に語った。


 生まれてこの方、外に出たことなどないあの子は、自分のいる屋敷が国のどこにあるのかを知らなかった。レイレイがディンシャンと同化したことで、所在地ははっきりとした。


 ただ、事件を未然に防ぐことができなかったのだから、知れたとしても今さらだ。レイレイのやり方がいけなかったのだ。

 そう思ったことをルーシュイに見透かされた。


「レイレイ様、夢を見るのではなく直接そこへ行けばよかっただなどと考えておられるのなら、それは絶対にいけません。それをなさっていたら、レイレイ様はその女主人を庇ったでしょう? そのせいでレイレイ様が傷つけれらるようなことになったら、私はその子供を……憐れな子供とはいえ許すことはありません」


 歴代の鸞君の中でも特に力が強いとされたレイレイは、実体を夢を通して飛ばすことも何度かできた。実体であの場に介入すればよかったと後悔するけれど、そんな恐ろしいことを果たしてできただろうか。


 我が身可愛さにレイレイはあの家の人々を本気で救おうとしなかったのではないかと、自分でも思えてしまうのだ。

 その自責をルーシュイが察してくれた。


「そんなことをなさらずにいてくださって、不謹慎ですが私は嬉しく思います……」


 嘘などそこにはないと思える優しい響きだった。


「昨晩もレイレイ様はお一人で耐えられていたというのに、私は自分の都合ばかりでそれを気遣うこともできず――本当に今になって自分の愚かしさに怒りが込み上げます」


 レイレイを抱き締める腕に力がこもり、かすかな震えが伝わる。

 レイレイのことを第一に考えてくれるいつものルーシュイだ。

 こんな時だというのに、レイレイはそれがどうしようもなく嬉しくて、一度は止まった涙がまた零れた。嗚咽を噛み殺すレイレイの髪を撫でるルーシュイの手に、心が少しずつ軽くなる。


 ルーシュイは自分から離れたがらないレイレイと身を寄せ合ったまま、床に座り朝まで寄り添ってくれていた。特に言葉もなく、ただそうしている。けれどそれだけでレイレイには十分だった。


 どこかよそよそしく、レイレイと距離を保ったルーシュイがこうしてまたレイレイに触れてくれることで、レイレイは何ものにも代えがたい幸福感を覚えている。

 この感情はルーシュイに伝えるべきものなのかもしれない。

 ふとそう思えて、明け方にレイレイはルーシュイに告げた。


「あのね、ルーシュイ」

「はい」

「ルーシュイはわたしがベタベタまとわりつくのは嫌?」

「えっ?」


 ルーシュイは心底びっくりしたようにレイレイを見た。瞬く瞳をレイレイはまっすぐに見据える。


「いつも勝手でごめんね。でも、わたしはルーシュイとくっついていられる時がすごく幸せ」


 すると、ルーシュイはなんとも複雑な表情をした。くしゃりと顔を歪める。けれどそれは不快感からではないのだとわかった。払暁の部屋に差し込む光がルーシュイを照らし、その耳が赤いことを知らせてくれたからだ。


「レイレイ様、それはもしや、その……このところ私の様子がおかしいと思われていらっしゃったのでしょうか?」


 ルーシュイがそんなことを言った。レイレイはためらいなくうなずいた。


「うん」


 あれがおかしくないと気づかないほど、レイレイはルーシュイに無頓着ではないつもりだ。それなのに、ルーシュイは嘆息した。


「それは……申し訳ありません」

「どうしたの?」

「いや、これといって何かがあったわけではございませんので……」


 と、言葉を濁す。それで終わらせるのはレイレイとしても納得がいかない。少なくともルーシュイに隠れて泣いた分、説明はちゃんとしてほしかった。

 じぃっとルーシュイを見ていると、ルーシュイは心底困った様子だった。ひとつ嘆息すると、ぽつりと言った。


「私はレイレイ様に嫌われてしまうのが一番怖いのです」

「え?」


 ルーシュイが言う言葉の意味と行動がまるで繋がらなかった。戸惑うレイレイに、ルーシュイは覚悟を決めたのか続けた。


「いつも、私が触れても、レイレイ様は跳ねのけたりはなさらないでいてくださいました。けれどそれは私がレイレイ様に触れたいと思うから、それに合わせてくださっているだけだと、そこは理解しているつもりでした」


 ルーシュイの言わんとすることがレイレイにはよくわからなかった。だからその先を待つ。


「レイレイ様に僅かながらにでも触れることが許されている今の自分に満足すればいいのですが、どうしても欲が芽生えてしまうのです」

「うん」


 とりあえず相槌を打ったレイレイに、ルーシュイが一瞬言葉に詰まった。それでも先を続ける。


「そこへ来て、ユヤン様の御不在です」


 ユヤンが出かけたことがどう関係するのか、それもまたレイレイにはまったく理解できなかった。きょとんとしたレイレイの反応も、ルーシュイはきっと想定していただろう。


「ユヤン様は長くこの国を護ってこられたお方です。神仙の血を引かれ、多くの力を持つお方で、常に色々なことを見通されておられます……」


 確かにユヤンは底が知れないし、常に訳知り顔である。


「だからいつも、ユヤン様がいらっしゃることが私にとって歯止めであったのですよ」

「歯止め?」


 レイレイが繰り返すと、ルーシュイはバツが悪そうに顔をしかめた。


「そうです。私がよからぬことをすれば、あの方はそれも見通されているのではないかと。常にその意識がありましたから、それが私の理性には大きく作用していました」

「うん?」


 それはレイレイもそうだ。しっかり鸞君としての仕事をしないとユヤンに叱られると思っている。けれど、ルーシュイの言うそれはレイレイの感覚とは違ったようだ。


「……一瞬」


 ルーシュイは膝を抱え、そこに顔を埋めてつぶやいた。


「ユヤン様が去る背中を見送りつつ、一瞬、今ならばもう少しだけ深くレイレイ様に触れてもわからないのではないかと、そんなふうに思いました。それを自覚した瞬間に、ユヤン様が御不在の間に不用意にレイレイ様に触れては抑えが利かなくなるような、そんな不安があって――逆にそれを自制しようと思っていたのですが……」


 どうしてルーシュイはそんなにも言いにくそうに語るのか、レイレイの方が不思議だった。考え込んでしまうと、ルーシュイの方がその間に耐えられなかったのか、口早に言った。


「昨晩もこうしておそばでお慰めすべきだとは思ったのですが、その……一度変に意識してしまうとそれが難しくて」


 レイレイが悩んだように、ルーシュイにはルーシュイの悩みがあったらしい。ため息の音が聞こえた。


「レイレイ様のことを大切にしたいと思うだけで、こんなにも無様になる自分が、正直自分でも信じられません」


 完璧主義でいつもどんなことも卒なくこなしてしまうルーシュイだからこそ、もしかすると割と深く傷ついているのかもしれない。

 レイレイはその首に抱きつくと、耳元でささやいた。


「ルーシュイに触れられるのが嫌なわけないでしょう? 大丈夫。もっとわたしに触れてね」


 ビクッと体を強張らせたルーシュイが顔を上げた時、どこか拗ねたように見えたのは気のせいだろうか。


「……意味をわかって仰られていますか?」

「もちろんよ」

「私はレイレイ様の嫌がることをしたくはないのです」

「ルーシュイにされて嫌なことなんてないわ」


 それは本心であったけれど、ルーシュイは少し言葉に詰まり、それからがっくりと項垂れた。


「そういう誘い方はおやめください。私の首が飛びます」


 どうやらルーシュイの悩みは深いらしい。

 けれど、そう言いながらもルーシュイの顔は嬉しそうにしか見えなかった。だから、レイレイの対応は間違っていなかったと思っていいだろうか。

 すれ違いを経て、二人の心は以前よりも近づいた気がした。


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