八「大丈夫」
その日、ルーシュイはレイレイがうたた寝していたせいか、日中にあまり声をかけてこなかった。呼びに来たのは夕餉の支度が整ってからだ。夕餉はどういうわけか、いつも以上に手が込んでいたように思う。
什景炒飯(五目焼き飯)、上湯蝦丸(海老団子のスープ)、炸饂飩(揚げワンタン)などなど――皿に机が埋め尽くされる。
狼はユヤンからの大事な預かりものであるから、食べさせる肉もちゃんと用意してある。
完璧主義なルーシュイらしく、丁寧に料理を仕上げてくれた。けれど、レイレイはそれらを美味しく食べることができなかった。食欲が湧かなかったのだ。
今晩、またあの夢を見なくてはいけない。それが先に待っている状況で料理を楽しむことができなかった。味もぼんやりとしてよくわからない。
うわの空で箸をつけるレイレイを、ルーシュイもさすがにおかしいと思ったのだろうか。ためらいがちに声をかけてきた。
「レイレイ様、もしや……お加減がよろしくないのでしょうか?」
頭痛は少し休んだら治まった。今の状態を加減が悪いというのだろうか。
今の自分の状態をレイレイ自身が上手く伝えられない。だからかぶりを振った。
「ううん、そういうわけじゃないの」
レイレイがそう答えれば、ルーシュイはそれ以上何も言えない。
それでもぽつりと零した。
「あの……昨日の夜のことなのですが……」
昨日の夜というのは、一緒に夜空を見るのを断られたことだろうか。それとも、夜中に夢を見てルーシュイのもとへ向かった時のことだろうか。
どちらを指すのかはわからない。レイレイは顔を上げ、そっとルーシュイを見遣った。ルーシュイはレイレイに目を向けず、視線を手元に落としている。
「申し訳ありませんでした」
ルーシュイは真剣にそれを口にしている。態度からそれが伝わる。
それでも、レイレイはルーシュイが謝る真意をはかりかねた。ぼうっとしたレイレイに、ルーシュイはさらに言う。
「レイレイ様が恐ろしい目に遭われたのに、私は何もお力になることができませんでした」
ルーシュイなりに昨晩そばにつかなかったことを、今さらながらによくなかったと思うのか。
夢を見るのはレイレイだ。だからその夢をルーシュイと共有することはできない。
レイレイはいつも、夢の話をルーシュイにすることで気持ちを落ち着かせている。怖いと素直に語り、そばにルーシュイがいることに安堵する。
ルーシュイ自身がそれをよくわかってくれているのだと、この謝罪で感じた。
けれどそれなら何故、昨日は突き放されたのかがわからないだけだ。
「ううん、大丈夫だから……」
そんなふうに言ったのは、それしか言えなかったからだ。
それでも、ルーシュイがレイレイの言葉に少しだけほっとしたようにも見えた。
きっと、そういう言葉がほしかったのだ。大丈夫だと、気にしていないとレイレイに言ってほしかったのだと思う。
レイレイが言う『大丈夫』はただの強がりだ。ルーシュイがそれに気づいてくれることを、レイレイはどこかで期待していたのかもしれない。
だからルーシュイがレイレイの言葉を額面通りに信じたことに傷つく。大丈夫と答えたのは自分のくせに、勝手な自分にもレイレイは悲しくなった。
そうしてその後、レイレイは湯浴みを済ませ、回廊を歩いた。一度立ち止まり、欄干に手を添えて夜空を見上げる。
やはり今日も星々が綺羅綺羅しく輝いているけれど、月は出ていなかった。雲もない空である。雲間のことではない。
早く月を見たいと思えた。月のない星月夜を眺め始めた頃から何かがおかしい。
寝室に入り、レイレイは自分の手が震えていることに気づいた。
あの夢の恐ろしさは――あの少女の心だ。
虐げられ、心を閉ざすしかなかった悲しい子。
レイレイは今まで、殺人を企てた者たちのことも夢に見てきた。その時も恐ろしいことを考える人たちがいることに驚き、おののいた。
けれど、あの子はそれとはまた違う。
『悪いこと』という認識そのものがない。
あの感情は純粋にその行為を楽しもうとしているのだ。
その心が歪んでしまったことにあの家人たちは気づいていない。
今日こそは必ず、場所を特定できる何かを探らなくてはいけない。
レイレイは嫌がる体に鞭打って、寝台の上に身を横たえた。手を組み、目を閉じても急に眠りにはつけない。
気を静め、じっと時間をかけて眠った。レイレイが眠ったのは深夜になってからのことだった。
強く考えたあの場所へ、レイレイの意識は繋がった。
ルーシュイは日中、ほぼ料理してました(笑)




