三「白いから」
レイレイはとりあえず、この狼と仲良くなることにした。
狼は賢く、大人しい。レイレイが頭を撫でても嫌がったりはしなかった。
ふわふわとした毛の手触りのよさに思わず抱きつきたい衝動が湧き、次の瞬間にはその欲望に負けてしまったけれど、レイレイが抱きついても狼は無言で座っていた。
言葉を話すわけではないけれど、表現するならやれやれといった具合であった。
レイレイはそんな狼がすぐに気に入った。ユヤンが迎えに来たらお別れは寂しい。
庭園で狼と戯れる――一方的にじゃれつく――レイレイのもとに、ルーシュイが茶と茶菓子を持ってきてくれた。盆を片手に柔らかく微笑む。
「レイレイ様、茶をご用意致しました」
「あ、うん! ありがとう」
さすがに狼が茶は飲まないだろう。レイレイとルーシュイだけが座った。手に取った椀の蓋をずらすと、ふわりと青茶(半発酵茶)の爽やかな芳香がする。
「気温も上がってきたことですし、少し酸味のある茶請けの方がいいかと思いまして」
ルーシュイが用意してくれたのは、干した梅に味つけした話梅なるもの。食べた時には甘みの中にも酸味があってすっきりとしている。
「うん、美味しい」
話梅を頬張り、青茶を飲んでほう、と息をつく。
レイレイにはとても満ち足りた時間であった。
「それはようございました」
と、そんなレイレイを眺めながらルーシュイも静かに茶を飲んでいる。その目元がとても優しい。
ユヤンの狼はそんな二人をじっと見ていた。そこでレイレイはふと気づく。
「あ、ユヤン様にこの子の名前を聞いておくんだった。なんて呼びかけたらいいのかわからないわ」
「本当ですね。ユヤン様がお戻りになったら一度お訊ねしましょう」
「それまで不便だわ。どうしましょう。ええと、仮の名前……白いから白ちゃんでいい?」
ちらりと狼に目を向けると、狼はその名を拒否しているような気がした。鳴いて返事をするでもなく、首をフ、と斜めに振ったのだ。
「嫌みたい……」
寂しそうに言うレイレイに、ルーシュイは苦笑した。
「あまり構わなくていいとユヤン様も仰っていました。そっとしておきましょうか」
「うん……」
そうは言うけれど、動物がここにいることなど今までになかったのだ。つい構いたくなる。あんなにも凛々しく可愛いのだから。
しかし、あまりしつこくして嫌われても悲しい。レイレイは好奇心を抑えつつ茶を飲んだ。
その間、狼はじっとしていた。行儀よく座ったまま正面を見据えている。狼はレイレイよりもどちらかといえばルーシュイに目を向けていた気がした。
● ● ●
その日の晩もいつものごとくルーシュイが腕を振るってくれた。
机の上には色鮮やかな食事の盛られた皿が並ぶ。今日は花山椒が香る炸子鶏塊(鶏肉のから揚げ)だった。
先にレイレイを席に着け、ルーシュイは狼のために焼いた鶏肉を皿に載せて戻ってきた。
「狼ですから、肉を焼く必要もなかったのかもしれません。味つけも薄く塩を振ったくらいです。人と同じものを食べられるとは思えないのでこれにしてみたのですが、ユヤン様は人と同じものでいいと仰っていましたね」
「うん、言っていたわね」
それは三日くらいのことであるから、そこまで気を遣わなくていいという意味だったのだろうか。
「けれど、人と同じものが動物には害がある時もあります。ユヤン様が飼っている動物にそこまで配慮をされないとは思えないのですが……」
そこでルーシュイは言葉を切って狼を見た。狼はもしかすると空腹であったのか、焼いて皿に盛られた肉に目を向け、今までで一番冷静さを欠いているように見えた。
やはり、空腹なのかもしれない。少し前足がそわそわしている。
ルーシュイが皿を手前に置くと、狼はピクリと首を動かした。けれど、許可がなければ食べないように躾けられているのか、すぐには食べなかった。
レイレイはクスリと笑う。
「でもそのお肉でも嬉しそうよ?」
「そうですね」
「わたしたちも頂きましょう」
「はい」
ルーシュイが席に着き、レイレイが箸をつけた後で狼は肉を食べ始めた。妙に礼儀を弁えた狼である。レイレイが感心していると、ルーシュイはそんな狼をちらりと見てつぶやく。
「あの狼はただの動物ではないかもしれませんね」
「え?」
ただの動物ではないとは、どういう意味だろうか。レイレイは料理を飲み込み終わってから訊ねる。
「どういうこと?」
するとルーシュイは箸を止め、軽く考え込むようにしてからかぶりを振った。
「いえ、おかしなことを言いました。あまりお気になさらず」
「うん……」
よくわからないけれど、せっかくの料理が冷めてしまってもいけない。レイレイは食べているうちに深く考えることをやめてしまった。




