一「静かな夜」
その夜、朋皇国の城市の、高い塀に囲まれた庭園のそばで寄り添って夜空を見上げる二人がいた。
庭園を見渡せる渡り廊下の階段に腰かけた男女。黒髪の美しい妙齢の娘と、育ちのよさげな風貌をした青年。この二人は主従関係にある。
朋皇国にのみ存在する『鸞君』という官職で、夢により諸所を見通す力を持つ乙女とその護衛なのだ。
鸞君の名はレイレイ、その護衛である『鸞君護』はルーシュイ。二人は主従であり、そして恋人同士でもある。
だからこう星の美しい夜には寄り添って空を眺めて見たくもなるのだった。
「ルーシュイ、今日の星はまた一段と綺麗ね」
ルーシュイの肩にもたれかかりながら、レイレイはそっとつぶやく。
「ええ。月が出ていないからこそ、星の輝きがよりいっそう強く感じられます」
落ち着いた理知的な声がレイレイの頭上に降る。こうした静かな夜にとてもよく似合う涼やかな声だ。レイレイは初夏だというのに互いの体温も不快には感じなかった。寄り添ったまま空を眺める。
「こうした月のない夜、星々が月の代わりとなって明るく照らす夜のことを『星月夜』と呼ぶのですよ」
心地よいルーシュイの声はレイレイに安らぎを与えてくれる。サラリと髪を撫でる手も心地よく、空を眺めていたはずがいつの間にかレイレイはうとうととしてしまっていたのかもしれない。
「雲に隠れたわけでもないのに月が出ていませんが、周期としては新月ではないはず……。不思議な夜ですね」
「ん……」
ルーシュイの言葉が子守歌のように眠気を誘う。レイレイの口数が少なくなってきた辺りでルーシュイはレイレイの状態に気づいたようだ。
「レイレイ様、このような時期でもうたた寝をされてはお風邪をお召しになりますよ」
心地よかった声音が僅かに尖る。一緒にいてうたた寝するなど失礼極まりないと思ったのかもしれない。けれど、ルーシュイといると安心感に包まれてしまうから眠くもなるのだ。
そんなレイレイをルーシュイはギュッと抱き締めた。
「もうお休みになられますか?」
声に不機嫌さが混じったのも少しのことで、すぐにまた優しく耳朶をくすぐる。ルーシュイはこうしていつもレイレイを甘やかすから、レイレイはつい気をゆるめてしまうのだ。ルーシュイはそれも許してくれるとどこかで感じている。
それくらい愛されていることを知っている。ルーシュイが常にそれを伝えてくれているから。
だからといってそれに甘えてばかりいるのはよくないけれど。
「うん、ごめんね」
寝言のようにしてつぶやくと、ルーシュイは小さく嘆息した。
「いいえ。歩いて戻れますか?」
さすがにそれくらいはできる。できないと言ったらためらわずレイレイのことを抱えて運ぶようなルーシュイなので、そこは間違わない。
「うん、大丈夫」
目を軽く擦ると、手首をつかまれた。
「擦ってはいけません」
至近距離で顔をじっと見つめてくる。容姿が好きだからルーシュイが特別になったわけではないけれど、こうして間近で見ても綺麗な顔立ちをしている。星明りの下だからか余計にその端整さが際立つ。
レイレイは眠気を抑えてにこりと微笑んだ。
「つい。うん、気をつけるわ」
そう答えると、ルーシュイは苦笑しながらレイレイの手を離した。
「そうですね。そうされてください」
主従とはいうけれど、至らないレイレイが常にルーシュイに世話を焼いてもらっている。それが現状だ。女官のいないこの宮を切り盛りするのもすべてルーシュイなのである。
申し訳ないと思いつつ、けれど手伝うことで余計にルーシュイの手間を増やしてしまうレイレイなのだ。
「じゃあ、おやすみ、ルーシュイ」
「おやすみなさいませ、レイレイ様」
二人して立ち上がったけれど、ルーシュイはその場でレイレイを見送った。この宮――鸞和宮はルーシュイの方術に護られ、脅威はない。起きているレイレイが一人歩きしてもするのは転ぶ心配くらいである。
去り際に一度だけルーシュイを振り返ると、ルーシュイは立ったままぼうっと夜空を見上げ、そうしてからレイレイに顔を向けて少し笑った。
「私はもう少し星月夜を眺めてから眠ります」
「そう? 風邪をひかないようにね」
「はい、ありがとうございます」
星々は綺麗であったけれど、現実的なルーシュイがそんなにも空を眺めていたがるのが意外でもあった。
その真剣な横顔に、ルーシュイは空にレイレイとは違うものを見ているのかと思えた。
星月夜の章は全12話です。
お付き合い頂けると幸いです!




