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花鳥雲月録 ~乙女と不機嫌な護り人~  作者: 五十鈴 りく
第二部+錦上添花の章+

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十一「向かい合うこと」

 ジュファはその朝、なんとも不思議な気分で目を覚ました。

 寝覚めが悪くはない。ただ、夢を見ていたことを鮮明に思い出す。


 昨日出会ったレイレイという少女と夢で話した。そんな夢を見た。

 美しい少女ではあったけれど、美しさを競い合うようなことにはまるで興味を示さぬような雰囲気がした。なんとも柔らかく、のどかな花である。

 そんな少女だからこそ、あの皇帝でさえも心惹かれたのだ。


 しかし、彼女は想い人がいる故に後宮には入らないと言いきった。そして、ジュファに皇帝と茶を飲みながら話せと。

 尚書礼ユヤンに頼めば手を貸してくれるだろうとまで言った。そもそも、彼女と顔を合わせたのはユヤンが発端であった。ユヤンと関わりの深い娘であるのだろうか。


 ゆっくりと起き出したジュファが女官たちに飾り立てられ、すっかり貴妃としての顔となった頃、そのユヤンから短い文が届いた。


 ――本日、陛下をそちらへ送り届けて進ぜましょう。


 まるであの夢を盗み見ていたかのような段取りの良さだ。

 半仙であるとされるユヤン故のことだろうか。


 どうにもすわりの悪さはあるけれど、ここはユヤンの描いた筋書き通りに動くべきなのかもしれない。皇帝でさえもユヤンのことは無下にはできないのだから。



 その手紙が来てから、後宮は大忙しであった。入念な掃除に、調度品は季節に合っているかどうか――


 それから、ジュファたち妃を飾り立てることも重要であった。けれど、ジュファは過度な装飾品をすべて断り、でき得る限り質素で慎ましい装いでいることにした。


 皇帝とはまず話をするつもりでいる。皇帝もまたユヤンが何を言おうとも、後宮で夜を明かすつもりはないと思われる。飾ることに意味はあまりない。

 むしろ、レイレイくらいの伸びやかさがいいのだ。肩がこるほどの飾りは要らない。

 女官たちにお召替えをと泣きつかれてしまったけれど、それでもジュファは応じなかった。簡素な衣のまま、陽が沈むのを窓辺で待った。


 何かが変わる。

 何が変わる。


 今日、僅かにでも通じ合うものがなければ、きっと一生涯それは変わらない。ぼんやりとそんなことを思った。



 そうして、皇帝は夜を待たずしてやってきた。

 夕焼けの赤が皇帝の衣を赤く染めている。戸口に立つ皇帝を残し、供の者は皆隣室へと下がった。戸が閉まり、夕日の赤が遮断されると、皇帝の衣は薄暗がりでもいつものごとく金色に輝いて見えた。


「昨日は礼を欠いたおとないであった。今日は少しばかり貴妃と話をせねばと思うて来たのだ」


 と、まだ幼さの残る顔はどこか照れたようにジュファを直視することなく言った。

 ジュファは立ち上がると、皇帝の前にひざまずいた。


「陛下、お茶の支度を致します。どうか座ってお待ちくださりませ」

「貴妃自らか?」

「教養の範囲でございますわ」

「う、うむ」


 貴妃の暮らす居室ともなれば、厨まで行かずとも茶をいれる道具はそろっている。もとより支度はしてあった。ジュファは隣の小部屋の火の入った竈に鉄瓶を置いた。

 小鞠のようにまとめた茶葉が入った杯の中に沸いた湯を注ぎ、蓋をする。それを盆に載せて皇帝のもとへ戻った。皇帝は落ち着かぬ様子で椅子に腰かけていた。


「お待たせ致しました」


 そう言って茶を差し出すと、皇帝はジュファを見上げてにこりと笑った。


「ありがとう、貴妃」

「一度わたくしが毒見を致しましょう」


 皇帝に毒など盛ってもジュファにはなんの得もないのだけれど。それでも、未だ跡継ぎのない皇帝であるから、少しくらいは過敏になっているかもしれないと思ったのだ。

 けれど、皇帝はかぶりを振った。


「いや、そのような心配はしておらぬ」


 あっさりと言い、皇帝は杯の蓋を外した。


「これは美しい茶だな。良い香りがする。菊……貴妃に似合いの茶だな」


 幼いころから美しいと褒めそやされてきたジュファだから、この程度の世辞でほだされることなどない。けれど、皇帝の様子は気負った様子もなく、ごく自然に口から零れたかのように思われて少し驚いた。


「うん、美味い」


 茶を飲み、ほぅと息をつく様は本当に年相応の少年であった。驚きと呆れが交互にやってくる。それをジュファは抑え込みながら礼を述べた。


「ありがとう存じます」

「貴妃、そこへ座ってくれないか。少々話しづらいのでな」


 皇帝が命ずるならば仕方がない。ジュファは畏まって正面の椅子に腰かけた。すると、皇帝は微笑んだ。国の頂に座すとは思えぬような柔和な笑みだった。


「私が皇帝となって一年、後宮を顧みることもなく、政に没頭する日々を過ごした。まずはそれを詫びよう」

「いえ……」


 政もあるだろう。けれど、一番の理由はあのレイレイではないのか。

 何を答えればいいのか、ジュファにはわからなかった。そんなジュファに皇帝は自ら言う。


「それから、昨日のレイレイのことだが……後宮にと望んだことが実は少しだけあるのだ。けれど今はそういうつもりはない。あれは彼女の幸せを差し置いて、私の弱さがよりどころを求めたのだ。彼女に後宮は似合わぬ」


 はっきりとそれを口にする。わからない人だと、ジュファは戸惑うばかりだった。

 その戸惑いを置き去りにして皇帝は続ける。


「私は後宮という場が好きではない。人として生まれたからには、狭い宮に囚われて寵を競うばかりでなく、もっと自由に伸びやかに過ごせるべきであろう。けれど凝り固まった体制を覆すには、今の私はまだ微々たる力しか持たぬのだ」


 こうしたやり取りは、隣室で女官や宦官たちが聞いているものなのだ。それを承知でこの皇帝はこれを口にする。

 やはり、わからない人だ。


「貴妃、そなたはどうだ? 後宮の居心地はよいか? 忌憚のない意見を聞かせてほしい」


 真面目な顔でそんなことを問うてくる。貴妃は呆れすぎて笑いが込み上げそうになるのを抑えている自分に気づいた。


「陛下、恐れながらわたくしどもは陛下の御子をお産み申し上げるべくここにいるのです。役目も果たせず、居心地がよいはずがございません」


 遠慮はいらないと言うのだから、はっきりとそう答えた。この気持ちを吐き出せるのなら、位など惜しくはない。周囲の失望も構わない。そんなふうに思った。

 ただ、一族に類が及ぶ心配だけをしたけれど、この皇帝ならばそれをしない。その一点においてだけは皇帝を信じていたのだ。


 目の前の若き皇帝は面食らった様子だった。

 言わずとも誰もがわかりそうなことであるのに、この皇帝はそれを口に出されるまで気づかなかったというのなら、やはり幼い。

 皇帝は自分の額に手を添え、深々と嘆息するとつぶやいた。


「……貴妃とこうして顔を合わせたのは今日で何度目だったか?」

「昨日で六度目。今日で七度目でございますわ」

「けれど、今日ほど長く口を利いた日はなかったな」

「そうですわね」

「それでは互いの考えなど知りようもなかった」


 この皇帝は、もしかするとひとつずつの物事を真摯に捉えすぎているのではないだろうか。ふと、そんな気がした。

 世襲した帝位、与えられた後宮、それを受け取るだけでは済まないのだ。すべてのことに自分なりに考え、意味を見出し、納得が行かなければならないのかもしれない。


 なんとも、肩に力が入りすぎている。

 ジュファはその不器用さに、今まで感じたことのないような複雑な思いを抱いた。


「陛下、少々失礼致します」


 そう断って席を立つと、琵琶を手に戻った。ポロンと弦を爪弾くと、皇帝に向けてそっと微笑んだ。


「わたくし、琵琶を奏でている時が一番好きな時間ですの。……これでひとつ、わたくしのことをお知りになって頂けたかと」


 皇帝は、どこか無邪気でさえある顔でうなずいた。


「そうか。では一曲所望する」

「畏まりました」


 琵琶の澄んだ音色の中、ジュファは目をつむり耳を傾ける皇帝を見つめた。

 すべてのことを『そういうものだ』と呑み込めない年若い皇帝。そんな考え方をするのだとは今の今まで知らなかった。


 体ひとつで成せることを、この皇帝はよしとしないのなら、心を通わせるしかないのだ。子を授かるのは当分先のことになるかもしれない。

 けれど、こうしてゆったりと過ごす時間もまたよいものだと、そんなふうにもジュファは今この時に少しだけ感じられた。


「貴妃、私は……妃とは皇帝の寵を競い合うばかりで、こうして意見を言い合える相手ではないと勝手に決めつけていた部分もあった。けれど、貴妃は聡明で、本音で私に接してくれた。勝手な決めつけを今は申し訳なく思う」


 正直すぎるこの皇帝に、ジュファはそっとかぶりを振った。

 錦上添花の菊花が杯の中で花開き、浮かび上がるのと同じように、ジュファの心もふわりと軽やかに浮き上がるようであった。

 レイレイが言うように、黙っていては伝わらないことがあまりに多かった。

 

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